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アラン『幸福論』要約と考察 “不安や恐怖とうまく付き合うには“

アランは言う。
人は自分が体験していないこと、
例えば手術の様子など見ただけで痛みや恐怖を感じる。
それは想像力がなせるワザだ。

たとえばひどい怪我を見れば、すぐに顔色が変わる。
するとこれを見た人は、相手が何を見たのか知らなくとも、空気を吸うようにこの恐怖感を感じとる。
どれほど巧みな恐怖の描写も、恐怖に打たれた顔ほど人を動揺させはしない。
表情というものはそれほどに直截で生々しい。

アラン『幸福論』

想像から生まれる恐怖は論理的納得だけでは克服できない。
お化けなんていないと分かっていても、夜の墓場や廃墟はやっぱり怖い。
アランは迷妄の痕跡が思考を美しくする、という。
つまり頭と心で悩み抜いた過程ということだろう。
そしてその美しさは身体性(姿勢、仕草、表情)によく現れるという。

これを読んでこう考えた。
人が不安や恐怖を感じる時を整理すると、❶未経験のものと❷経験済みのものに分かれる。
❶は例えば初めての何か。
やったことない仕事や知らない場所への引っ越しなど。
❷は例えば失敗や事故の記憶。
二度と経験したくないという想いが体を固まらせる。
つまり人は知らなくても恐怖を感じるし、知ってたら知ってたで怖いということだ。

ではどうすればいいのだろう。
アランの『幸福論』で私が読んだ部分にまだこの単語は出てきてないが、
私は恐怖の克服には「覚悟」しかないのではないかと思う。
それがアランの言う「論理的な納得」に加えて、必要なものではないかと思う。

覚悟とはなんだろう。
それはどういう結果でも受け入れる心だと思う。

その心はどこからくるのだろう。
それは「信じる」という想いからくると思う。

信じるという感情は理屈ではない。
それは他者がどうであろうと、自分にとっての「絶対」、その存在があることだろう。
それはあなたが愛する誰かかもしれない。
それは大好きな芸術や、美しい自然や学問、日夜額に汗かき取り組む事業かもしれない。

では、その存在は何から生まれるのか。
それは「情緒」だと思う。感動する心。人が人たる所以の心。

世界的な数学者、岡潔の著書『春宵十話』にこんな記述がある。

情緒の中心の調和がそこなわれると人の心は腐敗する。
社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう。
そう考えれば、四季の変化の豊かだったこの日本で,もう春にチョウが舞わなくなり,夏にホタルが飛ばなくなったことがどんなにたいへんなことかがわかるはずだ。

岡潔『春宵十話』

数学の最難問の1つ、多変数函数論をたった1人で解決した彼は、
数学をやるのに最も大事なのは「美しさを感じる心」だといった。
彼は数学に美しさを感じ、数学を信じ、自らの数学に生きる道に覚悟を決めたのだろう。

恐怖は人の想像力から生まれる。しかしその想像力は、人の豊かな情緒から生まれる。
もしかすると、恐怖と情緒は裏表の存在なのかもしれない。
昔の日本人が自然を美しく情緒的に描くと同時に、畏怖の想いを忘れずにいたのもこういうことなのではないだろうか。

そう思うと、あながち不安や恐怖は決してネガティブなものではなく、
それを感じることができること、それ自体を喜び、
気長に仲良く付き合っていくのもいいような気がした。

・・・まあ、怖いものはやっぱり怖いけど笑。


では今日はこの辺で。

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