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【短編】ラグジュアリーホテル

投げ捨てたい。なにもかも。ラグジュアリーホテルの窓からあれもそれも、果てしなく、確実に、抜かりなく、ひとつ残らず投げ捨てたい。傷ついて哀しいわけではない。いらだちが抑えられないわけでもない。ただあらゆるものを投げ捨てて、宙を舞う姿に自分を重ねたい。そう、私は解放されたかった。

パパの服を適当に投げ捨てる。自分の服も程よく投げ捨てる。ルームフレグランスを投げ捨てて、リファのドライヤーも投げ捨てる。テーブルに置いてある金ピカのよくわからないオブジェも投げ捨てる。テレビはちょっと重いけれど頑張って投げ捨てる。ついでにリモコンも投げ捨てる。

叶わない願いを投げ捨てる。わざとらしく丁重に投げ捨てる。くだらない約束も投げ捨てる。分解しながらこまめに投げ捨てる。臆病な自尊心を尊大な羞恥心とセットで投げ捨てる。公序良俗の維持観念もこの際思い切って投げ捨てる。金輪際すべて投げ捨てる。捨てる、捨てる、捨てる、捨てる、捨てる。

窓から空へと羽ばたいてゆけ。海馬の奥底で大事にしまっていた、想い出もひとつ残らず羽ばたいてゆけ。すっからかんになってしまえ。もぬけのからになってしまえ。捨てる、捨てる、捨てる、捨てる、捨てる。

破棄衝動。それは卑屈な心のうちに秘められた私のないものねだり。ほんとうに捨てたいものなんてなにもないのに、それでも捨てたいという妄執に囚われるのは、追い詰められた愚者の成れの果てかな。でも、それが今はなんだかとても、とても正しいことのように思えるんです。私は解放されたかった。そして、愛されたかった。



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