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【機能不全家庭生まれ育ち】親を捨てた後の生活【体験談】

親捨てて埼玉に来た後、どんな生活をしていたか思い出したので書こうと思います。

このときはまだ結構うつ。

埼玉に来た理由は友達に誘われたからなんだけど

とりあえず所持品はスーツケース一個分。

何日間だけとかじゃなくて、生活用品がスーツケース一個分でした。

実家にある自分のものは奪われて妹のものになったかゴミとして処分。全部。(そもそも部屋すら消えてたけど)

スーツケースの中身は服5着くらいと、iPad(スマホもパソコンも持ってなかった)、身分証、貴重品、後何だったか...?靴とかか。

それで友達の家に転がり込んだけど

生活保護申請しに行って、断られて、iPad売ってもう一回申請したら引越しするように言われた。なるべく早くしないと申請できないって。

それで賃貸探したけど、精神病院通いで生保予定と伝えると2時間経っても貸してくれるところがない。
3時間かからないくらいでようやく一件オッケーが出たので、即決。入居。

所持品 スーツケースとスマホ

iPadは生活費に変わってた。それでももう全財産いくらかってくらい。

引越ししてすぐB型探して働き始めた。

部屋はワンルーム、一階。

カーテン、炊飯器、トースター、電子レンジ、洗濯機、ベッド、机、椅子、洗剤やシャンプー類、化粧品も何もない生活が始まった。

最初は生活に必要な家電のお金は出ると説明されたが、出してもらえなかった。

朝起きたら、百均の鍋にお米と塩と野菜ひとつ入れて煮込む。

午後のBに間に合うように支度して家を出る。

お昼は食べない。

帰ってきてお風呂。

全身固形石鹸で洗って流すお湯を溜めて服を洗って洗濯する。

家の中のカーテンレールにキャンプロープ引っ掛けて、吊るす。カーテンの変わり。(部屋はびしょびしょになる)

部屋の掃除は1日4回する。虫が死んでいるから。

8時くらいに寝る。


こういう生活でした。3ヶ月くらいかな。

一階の部屋で、箪笥の点検孔からめっちゃ虫が部屋に入ってきて、

人生で生まれて初めてのGと格闘し

疲れ果てて寝られなくなり、病みました。

この時はマットレスを敷いて寝袋を被って寝ていた。

ストレスで過食が出てお菓子を買いすぎたり

定期を買うのにポンと大きいお金が出ていって

電気代節約のために、水でシャワー浴びたし、冷蔵庫(友人のお古)の電源切ったし、エアコンも我慢した。

Bで人との関わりだけが自分の人間としての尊厳でした。

服がほとんど毎日変わんなくても、化粧してなくても、坊主でも、かっこいいって言ってくれるから。

固形石鹸で長い髪洗うとギシギシになるけど坊主ならまだセーフ。

上の階の人は叫ぶ人だったし、外に洗濯物干しというか庭じゃないけどスペースがあったけど、そこにゴミ袋置いてた(虫対策...ゴミ箱なんか買えない)ら、次の日消えてました。

誰でも入ってこれるからね。

これが25歳の時の生活。

実家で死んでこなかったことを後悔してました。

毎日生きてることが怖かった。

お金を払えなくなったらどうしよう

家を失ったらどうしよう

明日何か食べれるかな

というか栄養失調で死ぬのでは

お風呂入りたい

というか洗濯手洗いとか何時代だよ

Gって結構でかいし音が怖い

また今日も出るかもしれない

いつになったら終わるんだろう...

お腹すいたな


毎日、何時間も、こんな感じ。

いや、ごめん、ちょっと盛ってるかもしれない。

はっきりした記憶がなくて。てへ。

実家帰って死のうって決めて市役所に実家帰ることだけ伝えに行ったら、グループホームを紹介された。

田舎育ちだからグループホーム=身障しか無いって思ってた。


病院でも特に、入院とか言われて無いし、軽い軽い言われてきてたから。

もしや死ななくても良き👀?

もっと早く言ってくれっていうのは欲深いでしょうか?☺️

それで急いで、もうどんな人でもいいから最低限の文化的な生活ができればいいや..とおもって、あともうギリギリなんですって伝えて、すぐ入居させてもらいました。

洗濯機があって、毎日お湯にも浸かれるのに、1日2食もご飯が出る。

少しずつ貯金して、ベッド買ったり机買ったりなんかもしてようやく令和の生活ができるようになりました。

そこで一年お世話になって、自分を整えて、今新しいグループホームです。

Bに近いので交通費節約とメンタル安定のためと、最低限でいいと言ったけど、ゴミ漁られたりとか過干渉がかなりストレスだったので。メンタルのため。

引越し費用は新しいホームの職員さんが車で運んでくれたので、かかっていません。

引越ししたのが11月末。

12月にパートナーと出会えて。

新しい基盤はここなんだな、という感じです。

GHはかなり良し悪し分かれます。

だって健常者同士でシェアハウスしても、1人暮らしでもトラブル起きるでしょ。

全員何かしらの障害があって

でも何の障害かはお互いに知らなくて

職員さんがいる時間はホームによる。

職員さんも、普通のパートの方もいれば介護経験ある人もいれば障害者介護経験もある人もいる。

職員さんやスタッフさんは精神病について専門家では無いのです。

それでみんなで生活する。24時間。

私はある程度日中活動できるくらいだったし、話を聞いてくれる人がいっぱいいたし、仲のいいお友達もいっぱいいるからなんとかやれてるけど、寝たきりの鬱状態(私の症状が1番重い時)だったら耐えられなかったかも。

いや、家でモラハラ虐待されながら介護して時給100円で労働するよりはマシだったのかな。うん。きっとそう。

今は自炊できるまで回復して、病院でも障害や病気ではなく生育環境が不安定だったのと合わない薬で気分が上下して、病気にさせられていたんだろうとのことでした。

自立に向けてちょっとステップアップできました。ここまで7年かかってます。あくまで受診日で症状でいうと15年!もう新年だから8年と16年か...。

新年早々重い出話してしまいましたが、浄化してしまいたくて。

良い風に考えれば、地球にとってもとってもとっても優しい生活をしていました。SDGs。便利な言葉ですね。

それはそれとして。


くそがーーーーー!平成生まれのこれでも最初のZ世代ですよ??(意味のないマウント)

いろんな家族の虐待を何年も耐えて学校行って、子育てもした介護もした。もう面倒見きれない、このままじゃ殺されると思って家出てきたら社会からこの仕打ち。

それでもまだ最下層では無い。日本にも世界にももっともっと大変な人がいる。

そして親の庇護から出て病気のまま、働くこともできないのに。

若いのに、人様のお金で生き延びて。

今生きてるだけでありがたいことだって。

わかりますよ。言われてきたし、自分でもそうやって考えて頑張ろうとした!!

でも無理!!

もう2度一生どころか来世でだって未来永劫こんな人生送りたくない‼︎

私は生きてるべきじゃないのかなって

私が生きることは許されないことなのかなって

すごく考えました。

でもさそんなのありえないから。

他人に誰かを生かすか殺すか判断する権利も強要できる力もあるわけがない。

私に暴言吐いてきた人たちは、私が死んだって別の人に同じこと言ってまたその人が死ぬだけのシステムです。

世の中にはかわいそうなことに頭の悪い人もいっぱいいて、自分は偉いって思いたいし振る舞って行動したい人がたくさんいる。

たくさんね。

だから生きるって事は戦いです。

勝ちの条件は自分で行動できたかどうかじゃないかな。

自分の人生を自分で決めて行動したか。

私は生き抜いてきたけど、死んでしまった人も知っています。

でもその人たちは敗者ではなくて、自分で決めて行動して達成できたのだから

私はすごく尊敬してる。

私がその行動を選ぶ事はきっともうなから

私は寿命まで戦い続けて、もっともっと生き延びるつもりです。

日々サバイバル。今日生き抜けたらそれでいい。


こういう経験が、早く働かなきゃっていう焦りとか、もっとできること増やさなきゃ、とか

お金の不安(ある意味ここまででも何とか生きれるいうラインでもあるから安心もしてる)とか

サバイバル上等‼︎かかってこいや‼︎っていう過剰適応になったりしていますね。

ね、自己否定は他者否定なんですけど、根深いでしょう。

家庭環境の話ばかりしてしまうけど、

この3ヶ月がなければ、今の病気も何もない状態が一昨年手に入っていたと思います。

この記事は八つ当たりです。上手く消化できなくて。

誰も悪くないから。いや権力をカサに暴言吐かないでほしいけど。

どうしてこんな生活をしないといけなかったのかなとか、他にもこんな、さらにこれよりも酷い環境での生活が強いられる人もいるんだ、この国でっていうのと。


正しさなんかどこにもないし、希望は探しに行っても見つからないしっていうのと

なんかシンドくて。今とのギャップを考えると、アレはなんだったの?って。

もっと早くここに来れなかったのかなとか。

でも私は運命とか絶対信じないので(運命論は甘えだから嫌いだ)

あれがあって今ここいいるんだよね。

すごく辛かったけど、きっとそのうち笑って話せるようになる。

虐待経験みたいにさ。もう平気ですって顔できるようになる。

実家にいた時は痛くて苦しかったけどこの時はものすごく恐怖だった。

怖いという感情。

あ、恐怖を知るためだったのか。

あれが恐怖。うん、それを知るためだけ。そっか。

恐怖って本能的で(イメージ)、恐怖も体に残るしすぐ反応出るよね。

パニック発作みたいなの出てた。この時期は「自分は死んでしまう」っていつも感じていて、すごく怖かった。

でも私は殺されなかったよ。今も生きてる。

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