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葬式という祭りを経て、僕は無事集落に迎え入れられた

半年以上も前になるが、こんな話を投稿した。

20数年前に東京から愛媛に移住し、自分の初出勤と集落の長老の葬式が重なってしまった時の話だ。

それに対して、花 丸恵さんがこんなコメントをくださっていた。

へんいちさん、このおはなし、もっと詳しく読んでみたいです。もし、機会があれば、長めのエッセイで一部始終を読んでみたい!

とても嬉しいリクエストだ。
くだんの記事にあらかたをギュウギュウ詰め込んだつもりだったが、叩けばまだ何か出てくるかもしれない。
大変な遅筆を心からお詫びしつつ、ちょっと書いてみよう。

いつも僕は1記事1000字を目安にまとめることにしている。
だが今回はせっかく「長めのエッセイで」ということなので、縛りなく自由に書いてみることにする。
前回の記事の存在を無視し、またいちから書くので、一部内容が重複することについてはお許し願いたい。

***

1999年の初め、東京から愛媛に移住した。
ある村でまさに始まろうとしていた村おこしの立ち上げメンバーとして手を挙げたのだ。

僕が住んだのは「鉱山」という、わずか20戸ほどの小さな集落だった。
その名のとおり、かつて鉱山でたいそう栄えた集落だ。
江戸中期に発見されたその鉱山は、昭和53年に閉山になるまで、銅を含んだ硫化鉄を産した。
愛媛には、かの有名な別子銅山から連なる良質な鉱脈があるのだ。

鉱山集落は、鉱夫たちの住宅が建ち並んだ一帯だったようだ。
ずいぶんな山の中というのに往時は映画館まであったそうで、はるか平坦部の隣町の町民もわざわざ山を越えて映画を見に来たという。
僕が入った集合住宅もその名を「鉱山住宅」といい、まさにかつて鉱夫が住まった住宅だった。
入居した棟は、閉山間際に建て替えられた鉄筋コンクリート造だったが、山側にはいかにも古そうな木造の棟がまだ残っていた。

***

その古い棟に住む集落の長老が不意に亡くなったという。
そんな連絡が集落を駆け巡ったのは昼過ぎのことだった。
集落は一気に慌ただしさを増す。

まずは集まれる者が、その長老の家に集まった。
座敷に敷かれたふとんに、亡くなった長老が安置されている。
親戚の死ですら葬儀に参列する程度の経験しかないのに、赤の他人の亡骸に対面するなど思いもしなかった。

しかも、末期の水を取ってくれといわれた。
集まった集落の面々が順に故人の枕元ににじり寄る。
樒(シキミ)の葉を水で濡らし、それで故人の唇をなぞって湿らせるのだ。
倒壊しそうな古い家の中、亡骸にさらに近づくことに正直恐怖を感じた。
しかし、見よう見まねでやってみると、不思議なことに魂の灯りをほんのり感じ、その儀式の間はまだ故人が生きているようにも思えた。

儀式を終えて家をあとにし、いったん解散となったが、次は夕刻にまた集まることになった。
翌日、葬式会場になる集会所で、その段取りを打ち合わせるのだという。

***

集会所に集まった面々は、僕以外におよそ10名ほど。

「…というわけで、明日葬式じゃ」
集落の信頼を得ているのだろう、役場に勤めている人が音頭を取った。
てきぱきと役割を分担していく。

「いつもみたいに男衆には火葬の手伝いを、女衆には葬式飾りと料理をお願いすんじゃけど、それでよかろか?」
「そらぁほれでえかろ」
「男衆は…Yさん、明日の朝一番に役場で死亡届出して火葬許可取ってきてもらえろか。あとの皆は先に焼いとって。焼き場はもう押さえてあるきん」
「分かった」
「女衆は金紙で葬式飾り作んりょって。作り方? こないだKさんの葬式で作らなんだ? ほれと同じでえぇんよ」

え? 作り方とかマニュアルに残してへんの?
思わず口からそう出そうになった。
高齢者の多い山のことだから、結構頻繁に葬式はあるはずだ。
しかも毎度同じ飾りでいいのなら、作り方を書き残しておけば、誰も迷わずに作れるではないか。

しかし、葬式の準備は書き残さず、口伝でなければならないのだそうだ。
後になってそんな不文律の存在を知り、その場で軽々しく口に出さなくてよかったと胸をなで下ろした。
効率を求めてすぐマニュアルという発想を恥じた。
ここは東京ではないのだ。

「ところでへんいちさん、明日から仕事と聞いたんじゃきんど」
「は、はい…そうです」
声を小さくして僕は答える。
移住して1週間ほど経ってはいたが、引越の片づけや買い物などの時間に充てていたから、仕事は翌日が初めてだったのだ。
「ほうよな。どうすん。初仕事はすっぽかせんやろ」
その場に集まった一同がこちらを見る。

僕も好きこのんで会社での自分の立場を悪くしたくはない。
はい、ときっぱり答えれば、僕は無事初出勤を迎えることができるのだ。
それに、勝手がよく分からない葬式からも解放される。
しかし一方で、村は集落のつながりをもっとも重視するはずだ。
大切にすべきは会社での立場より、集落での立場なのではないのか?
田舎では祭りの日は仕事を休む、とは移住前の東京で仕入れた情報だ。
翌日の葬式は、集落にとってその祭りではないのか?
それを初出勤だからといって休んでいいのか?
座のリーダーは「すっぽかせんやろ」と出社を促しているが、本当に言葉通り受け取っていいのか?
頭の中を、これまで培ってきた町の価値観と、村の未知の価値観が取っ替え引っ替えぐるぐると駆け巡る――
そして答えを出した。

「明日は葬式を手伝います」
一瞬、間が空く。
「…おぉおぉ、ほぉかほぉか、ほれでホンマにえぇんか?」
一同が顔を見合わせ、目が細くなる。
「ほな、明日の朝はYさんを軽トラで送ってやって」

こうして僕は、村の価値観を受け入れ、集落に受け入れられた。

***

翌朝、言われたとおりにYさんを軽トラで役場に送った。
大学時代に免許を取ったきり8年ほどペーパーな僕が、いきなりマニュアルの軽トラでどうなるかは容易に想像がつくだろう。
発進しようとするたびエンスト、からの急発進、そして急停止。
狭い道に並行する深い谷川に車ごと転落する絵を想像し、背筋を寒くした。

役場の用事を終え、次は焼き場へ向かう。
え? ここであってる? と思うほど小さくみすぼらしい小屋。
葬式までに手伝いの者だけで荼毘に付すのが一般的な土地柄ゆえ、焼き場に親族が来ることもなく、駐車場もない小屋で十分なのだ。

すでに火葬は始まっていた。
管理人などいないから、集落の4人ほどで状況を見守る。
「さぁ、やるで。やらなやってられん」
飲まなければ焼いてられないという意味だろう。
どこに隠していたものか、一升瓶とコップが出てきた。
カチンとコップを合わせ、なみなみと注がれた酒をあおる。
亡くなった長老を肴に、一同、飲む、飲む、飲む…

時折、炉のフタを開けて燃えさかる火の中を確認する。
「いかんな、あそこ焼けとらん」
薬物が溜まった肝臓は重金属化しているのか、焼けにくいのだという。
長い棒を炉に差し入れ、焼け残る箇所をつついて崩す。
「ほらな、やっとかなやってられんかろ」
棒でつつくのも、飲みながらそれをするのも、僕にはバチ当たりに思えた。
けれど、これがその地の常識なのだろう。

焼き終わって骨拾いに進む頃には、もう僕は結構酔っていた。
どうやって葬式会場に行くのだろうと思っていたら、皆あたりまえのように自分の車や単車に乗り込み、消えていった。
これもその地の常識なのか?
慌てて僕も軽トラに乗り込み、エンストを繰り返しながら皆の後を追う。
それがこの地の葬式の常識なら、たぶん警察も見逃すように思えた。
治外法権ってこういう意味だっけ…と回らない頭でぼんやり考えた。

***

集会所に着いてみると、前日打ち合わせをした殺風景な部屋が、みごとに葬式会場に化けていた。
女衆は大変そうながら賑やかに、作った料理を大皿に盛りつけていた。

近くの寺から僧侶が来て葬式は始まったが、業者を介さない手作り葬式だから、湿った司会もお涙頂戴の演出もなく、ほんの20分ほどで終わった。
続いて皆お待ちかねの宴会が始まった。

「焼き場で飲んで、結構ベロベロなんれすけど」
そんな訴えはあっさり黙殺され、次から次へと酒を注がれる。
グラスを空けなければいいと思われるかもしれないが、その地には返杯の慣わしがあるのだ。
返杯とは、自分の盃を人に渡して酒を注ぐ、注がれた人はその盃をすぐ空けて返しまた注ぐ、返された人はまたすぐ盃を空けることをいう。
山を隔てた隣国土佐のしきたりが、その地にまで及んでいた。
だから自分のグラスとは無関係に、エンドレスに酒が目の前にやってくる。
ちょっと大変なことになってきた。

女衆が丹精して作ったおいしそうな宴会料理もずらりと並ぶ。
「さぁさ、食べてよ」
ふつうならありがたいその言葉が、魔女の呪いのように聞こえる。
まだ半ば客人である僕は、はいと答えて料理を頬ばる、詰め込む。

飲む、食べる、飲む、食べる、食べる、飲む…
トイレに駆け込む、吐く、吐く、吐く…
席に戻る、飲む、食べる、飲む、食べる…
トイレに…

酔いはとんでもない状況になってきて、もう誰の話も耳に届かない。
ひたすら席とトイレを往復し、口に入れては口から出した。
宴もたけなわ、の頃にはかなり厳しい状況になっていて、人知れず僕は抜け出し、歩いてすぐの自宅に逃げ込んだ。
葬式怖い、宴会怖い…と真っ青な顔でブルブル震えながら。

***

葬式という祭りを経て、僕は無事集落に迎え入れられた。
決断の時、自分の初出勤を選んでいたらと思うと空恐ろしい。
おそらく、ゼロではなくマイナスからのスタートになっただろう。
東京から飛び込んだよるべない孤独な人間が、マイナスから挽回できるチャンスなど万に一つあるはずもない。

今こうして思い出話として綴れるのだから、席とトイレのお百度参りも悪いものではなかったということか。
ならもう一度? いや、もう二度とごめんだ。

(2022/11/3記)

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