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よく愛は幻とか言うけど、憎しみはリアリティなんだよな。
脱輪用語に言う“虚構内リアリティ”は「ぐっと来る」、“現実内リアリティ”は「生きる張り合い」ぐらいに訳すのがいいと思う。
😘参照😡
https://note.com/waganugeru/n/n2826102212e8
影を慕いて 〜青春の終わりを容赦なく描ききった名作『暗殺の森』〜
影に憑かれた男の映画である。
影とは叶わぬ夢が見せる幻、失われた青春の残照。
13歳の時に性的虐待を受けた運転手の青年を拳銃で撃ち殺した“異常な”過去を隠し持つ主人公マルチェッロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、自身がそこから締め出されてしまっているように感じている“正常な生活”を独力で作り上げ、その内部に復帰せんとする強迫的な欲望に駆り立てられている。中産階級の平凡で退屈な女ジュリア(ステフ
テレビモニターとお茶の間のリアリティ🍵💧📺 -o( '-' )
テレビ番組が廃れたというよりテレビモニターが廃れたんだと思う。
少なくともYoutubeが一般化し始めた時、われわれが映画館の巨大スクリーンから当然のように受け取る臨場感とスマホの極小画面になぜか感じ取る臨場感の中間サイズの臨場感=リアリティ=「ぐっと来る」体験を、テレビモニターは新たに創造しなければならなかったのだろう。
だが、「(特に視覚的)リアリティの醸成にはガワが大事」という表層の真理がま
ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』を読んで
ローラン・ビネのフフフフこと『HHhH プラハ、1942年』読み終えた。
大変におもしろく、ここからいろいろなことを各論的に深めていくための総論としての中継地キャンプのような役割を果たしてくれそうな本。
個人的には、ヴィム・ヴェンダースの映画(特に『パリ、テキサス』)のドイツ的な暗さなり翳りの要因を探っていくなかで浮上してきた「ナチス・ドイツのホロコーストトラウマ」や「フランスの対独協力トラウマ」
改行したりひらがなに開けば詩だと思ってるやつもうグッバイ
行空けすればわかりやすい文章になると思ってるやつもうグッバイ
目次つけたり太字にすれば読者に親切だと思ってるやつもうグッバイ
ネタバレに配慮するのが誠実だと思ってるやつもうグッバイ
脱輪note読まないやつもうグッバイ
われわれの現実世界連関のパースペクティブが「存在者を存在させておく」ことによって成り立っているのだとすれば、「非存在者を存在させておく」ことだって可能ではないのか。
そうか、それが妄想症者のパースペクティブだとも言えるのか。
だとしたら僕は妄想も技術として使っていることになる。
そうか、ぴえんは俺にとっての生きるリアリティそのものなんだ·····!🥺
よく愛は幻とか言うけど、憎しみはリアリティなんだよな。
脱輪用語に言う“虚構内リアリティ”は「ぐっと来る」、“現実内リアリティ”は「生きる張り合い」ぐらいに訳すのがいいと思う。
😘参照😡
https://note.com/waganugeru/n/n2826102212e8
経済という言葉は略語であることを知っていますか?
経世済民、略して脱輪です。
モテていいことは基本的にあまりない。その力を自己のからだから切り離し道具として使用できるようにならない限り(例えば仕事に活かし、異性関係を超えたより大きな枠組みである社会の中で換金して水平化するなど)、野良でモテてても危険なだけ。
望んでもないのにたまたま美しく生まれつきモテに呪われたる女性(ヴァンパイア)に「絶対モテるでしょ〜」とかなんとかゆーのは最悪なのだ。
あほなこと言っていっぱい笑わせるのがいい。
呪いを解くのは無性の双子のようにはしゃいだ爆発的な笑いだけ。
すっぴんとか整形とか声作ってるとか加工厨とか、なぜおまえらはクリエイティブにリスペクトを払えないんだ!
メイクしてくれてありがとう!
整形してくれてありがとう!
声作ってくれてありがとう!
加工してくれてありがとう!
全部まとめて、生まれてきてくれてありがとう!
だろが!!!!!
Aと同時にB(反A・非A)の場に平然と留まり続けるロングスパンの体力が知性なんじゃないかな?
おはよう☺
と、好きな子との一時間が好きでもなんでもない子との一年間を遥かに超えてくる映画を見て思いましたとさ。
会話の本質は時間ではなく空間である。
居心地がいい、悪い、という表現など、まさに。
通常の空間とは異なり、言葉を建築資材として組み立てられた部屋には、想像の鍵を使っていつでも出入りし、住み続けることができる。
わたしたちがその言葉を忘れぬ限り、ずっと。