見出し画像

日本新党出身の政治家達

今回は日本新党出身の政治家達についてまとめました。
日本新党は1992年に細川護熙が結党、1993年の第40回衆議院総選挙で羽田孜らの新生党等と連立政権を組み与党になりました。日本新党は1994年に新進党に合流しましたが、日本新党出身の議員からはその後、内閣総理大臣や政党の党首、自治体の首長等が誕生しました。

政治家達が生まれた年
1938 細川護熙
1939
1940
1941
1942
1943
1944
1945
1946
1947
1948
1949 海江田万里
1950
1951
1952 小池百合子
1953
1954
1955
1956
1957 野田佳彦
1958
1959
1960 中村時弘
1961
1962 前原誠司
1963
1964 枝野幸男、中田宏

細川は熊本藩細川家第18代当主にあたる人物で、母方の祖父は第34代、第38代、第39代内閣総理大臣の近衛文麿ということです。1938年1月東京府東京市生まれで、学習院幼稚園の後、小学校、中学校は神奈川県鎌倉市の私立の清泉小学校、栄光学園中学校に通い、学習院高等科を経て、上智大学法学部を卒業しました。大学卒業後は朝日新聞社に入社。自由民主党から参議院議員選挙に出馬し2期途中まで務め、熊本県知事選挙を2期務めました。
海江田の父親は毎日新聞の記者で安倍晋太郎の上司だったということです。海江田は慶應義塾大学法学部を卒業後、参議院議員の野末陳平の秘書を経て、タレント、経済評論家としてテレビ、ラジオ、雑誌等で活動しました。
小池の父親は衆議院議員選挙に無所属で出馬していたが落選し、エジプトで商売をしていました。小池は関西学院大学社会学部を中退後、エジプトの首都カイロの大学に通い、帰国後アラビア語通訳を経てニュースキャスターとして活躍しました。
中村の父親は元松本市長でした。
野田、前原、中田は松下政経塾の出身。
中田は1992年に参議院議員となった小池の秘書を務めました。
1993年の時点で細川と小池は参議院議員、野田、中村、前原も地方議員の経験はあったが、衆議院議員は全員1993年が初当選でした。

政治家達の大学卒業や初当選等
1963 細川護熙、上智大学法学部卒業
1964
1965
1966
1967
1968
1969
1970
1971 細川護熙、参議院議員初当選
1972 海江田万里、慶應義塾大学法学部卒業
1973
1974
1975
1976 小池百合子、カイロ大学卒業
1977
1978
1979
1980 野田佳彦、早稲田大学政治経済学部卒業・松下政経塾入塾
1981
1982 中村時弘、慶應義塾大学法学部卒業
1983
1984
1985
1986
1987 前原誠司、京都大学法学部卒業・松下政経塾入塾 野田佳彦、千葉県議会議員初当選 枝野幸男、東北大学法学部卒業 中村時弘、愛媛県議会議員初当選
1988
1989 中田宏慶、應義塾大学経済学部卒業・松下政経塾入塾
1990
1991 前原誠司、京都府議会議員初当選
1992 小池百合子、参議院議員初当選
1993 枝野幸男、衆議院議員初当選 海江田万里、衆議院議員初当選 中田宏衆、議院議員初当選

細川は日本新党を結党、1993年の総選挙後に羽田孜らの新生党等と連立政権を組んで与党になりました。1994年に細川内閣が総辞職し羽田内閣を発足。
前原や枝野は院内会派民主の風を結成、その後新党さきがけに合流しました。
細川、小池、中田、中村、野田は1994年に日本新党が新進党に合流したときにそのまま新進党に参加。
海江田は日本新党解党時に新進党に参加せず1995年に市民リーグを結成。
前原、枝野は1996年に新党さきがけの多くのメンバーと共に民主党結党に参加、海江田の市民リーグも民主党の結党に参加しました。
細川は1997年、ひと足先に新進党を離党しフロムファイブを結党、その後フロムファイブは太陽党と合流し民政党を結成、民政党は3か月後に民主党に合流しました。新進党が1997年に解党し分裂、小池は主流派である小沢一郎らの自由党に参加、自由党は1999年に自民党との連立政権に参加、2000年の自由党の分裂時に与党に残り保守党を結党、2002年に自由民主党に参加しました。中村は1999年に松山市長、中田は2002年に横浜市長になりました。野田は2000年から民主党に参加しました。

民主党では枝野は1997年に政調会長、海江田は2002年に政調会長、前原は2005年に代表になりました。
自由民主党に入った小池は2003年に小泉内閣で環境大臣、2004年に特命担当大臣になりました。

2009年、民主党は与党になりました。野田は2010年に菅内閣で財務大臣、そして2011年には内閣総理大臣になりました。前原は2009年に鳩山内閣で国土交通大臣、2010年に菅内閣で外務大臣、2011年に野田内閣のときに民主党政調会長になりました。海江田は2010年に菅内閣で特命担当大臣、2011年に菅内閣で経済産業大臣になりました。枝野は2009年に鳩山内閣で特命担当大臣、2010年に菅内閣で幹事長、2011年に菅内閣で内閣官房長官・特命担当大臣、野田内閣で経済産業大臣になりました。

中村は松山市長を3期務めた後愛媛県知事になりました。中田は横浜市長を2期途中まで務めた後2012年の総選挙に日本維新の会から出馬し当選しました。小池は2016年に東京都知事になりました。

2012年に民主党は野党になりました。その後海江田は2012年に代表になりました。枝野は2014年に幹事長になりました。2016年、民主党に維新の党らが合流する形で民進党になりました。前原は2017年に民進党の代表になりました。

2017年の総選挙の際に小池は希望の党を結成しました。前原との協議で民進党が希望の党に合流することになりましたが、小池は全員を受け入れるわけではないと発言し、民進党は事実上分裂となりました。この時枝野は立憲民主党を結党しました。枝野、海江田は立憲民主党からの出馬、前原、野田は籍は民進党に置きながら選挙には無所属での出馬となりました。東京都知事の小池は新党は立ち上げたが自らは出馬しませんでした。選挙後、前原は民進党の代表を辞任、民進党を離党し、希望の党に入党しました。
2018年には民進党が希望の党にメンバーで結成された国民党と合流し国民民主党を結成しました。希望の党の国民民主党に合流しないメンバーは新しい希望の党を結党しました。野田は合流前に民進党を離党しました。
2020年に立憲民主党は国民民主党のメンバーと合流し新しい立憲民主党となりました。このとき国民民主党の立憲民主党に合流しないメンバーは新しい国民民主党を結党しました。前原は立憲民主党へ合流せず新しい国民民主党に入党、このとき野田は新しい立憲民主党に入党し最高顧問に就きました。
中田は2019年の参議院議員選挙に自由民主党から出馬していて、2022年に復活当選しました。

なお、今回取り上げた政治家達と同じ1993年の第40回衆議院議員総選挙が初当選の政治家で、日本新党出身でない政治家には内閣総理大臣の安倍晋三や岸田文雄、日本共産党の党首の志位和夫、名古屋市長の河村たかし等がいます。

というわけで、今回は日本新党出身の政治家達についてまとめました。

noteでは「サポート」の機能で記事に100円から1万円までのお金を払って記事を書いている人を応援できます!ぜひお願いします!