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それ、許せる?

【エッセイ】本当の自己肯定とは。


誰しも他人からイヤなことを言われたら傷つきます。怒りの反応が出たりもします。人それぞれ言われたくない言葉があるものです。

例えば

外見的なこと
能力的なこと
性格のクセのこと
体質(病気・不調)のこと
肩書き的なこと

などなど他にもいろいろ、コレを言われたらショックというのが人それぞれあると思います。

例えば人から「○○」と言われたら、
腹が立つと思います。もしくは落ち込む
(○○に自分が言われたら、ムキーッ!なワードを入れてみてください)


何故、腹が立つのでしょうか?


それは、自分が
○○になることを
○○であることを

認めてなかったり
受け入れてなかったり
許してなかったり
恐れていたり

実は
○○を心のなかで軽蔑・差別していたり
自分に禁止しているからです。

○○であることに
罪悪感(劣等感)があるからです。
(ネガティブな観念)

そうなっちゃいけない
そうなることは恥だ
そうなることは醜い事だ
そうなったら完璧ではない
そうなったらバカにされる
そうなったら嫌われる
そうなったら愛されない
そうなったら人生終わる


そして何故、
他人からイヤなこと(○○)を
言われるのかというと……

実は
自分でも、心の何処かで自分のことを○○だと思っていて、その事を自分で
責めているからです。
( ;゜─゜)ゴクリ


たとえ他人から○○と言われても

「自分が自分のことを○○ではないことを分かっているから、他人の言うことなんて、気にしないでよいのだ」

みたいな言い草がありますが、これは、○○を否定していることになります。

他人から「あんた○○だね」と言われて
本当に朗らかに、爽やかに、負け惜しみとか、自虐とか、やけくそ的に認めるとかではなく相手に同意して

「そうなんです。
 私○○なんです👍」

これが本当の自己肯定というやつです。

1ミリたりとも腹が立ちません。
腹が立たないように気を付けてるとか、我慢してるとか、落ち込まないように
努力してるとかではなくて本当に
そういう感情が沸いてきません。

何故か?

それは
自分が○○であることを本当に清々しく認めて受け入れて許しているからです。

「○○」に対して
善悪や正邪の観念がない。
(ネガティブな観念がない)

○○であることに
罪悪感(劣等感)がないからです。

相手が自分を傷付けたくて
「○○」と言った場合、
こちらはすんなり認めて爽やかに
同意するのですから相手は驚きます 
 ゚ ゚ ( Д  )


例えば自覚している自分の性格の
○○な面。自分でもイヤだなと
感じているところがあったとします。

それを否定や排除しようとすればする程、何故かそのようになっていきます。

ウチの親みたいになるもんか!
そう思えば思う程、不思議なことに、
自分もお父さんやお母さんのように
なっていきます。

私は父親を憎んでいたので
断然「お母さん派」でした。

ですが、そんな母親に対しても憎しみを抱いていたことを自覚したとき驚きと同時に心が解放されました。

「お父さんのこと怒ってほしかった」「お母さんに守ってほしかった」

他にもいろいろと。

そして、
この母親に対する
無自覚の憎しみの感情が
「この不運の発生源だったのか!」
と肚落ちした体験があります。
(゜∀゜)💡💡💡

親を憎んでいることを自覚していれば、親に対する自分の感情にも気付きやすいのですが、

親をリスペクトしていたり、
守ろうとしてきたなら、(私は後者です)
親に対するネガティブな観念や
「自分の本当の感情」に気が付いて
見つけ出すことが難しかったりします。

(※これは親が「悪い」ではありません。
原因と悪いはイコールではありません)

親の「こういうところイヤだったなあ」と思うところが私にはありました。

例えば

逃げる癖があったとか
精神的に弱かったとか
支配的だったとか
サイテーな一面があったとか
 (゜ロ゜)・・・。


これらは、自分のなかにも存在します。

自分も、無自覚にそのように他人に
対して振る舞ってたりします。

私はそんなことない!と思う人でも
「自分」に対して、そのように
振る舞ってたりします。

ですが…

人間、自分が自分を扱うやり方でしか
他人を扱えません。

この法則は絶対です。自分へのルールは必ず他人にも適応されています。

この世は陰陽で成り立っている事は、
人間も同様です。

ポジティブ・ネガティブ
両方セットで人間です。

そうでなければ、
この世に存在することは出来ません。

親も、そして自分も
(ということは他者も)

恐れや弱さを持っていて
感情・精神・肉体に限界のある
「普通の人間なんだ」
ということです。


気持ちが矛盾してても
口だけ野郎でも
ハナたれ小僧でも
卑屈でも、頑固でも
(すべて私のことです )
完璧な人間じゃなくても、よいのです。

他にも「○○な面」
それがあっての人間です。

ここで

「やだ!変えなきゃ!!」
と思ったなら、それはエゴの囁きです。

焦らせたり
イヤな気分にさせたり

とにかく
自己嫌悪に陥らせて
エゴが全力で阻止してきます。

変わろうとしなくて大丈夫です
○○を消そうとしなくて大丈夫です

分かると消えます。

「自分が○○なことくらい
 分かってるし!!」

「その方法 (考え方・やり方)
 分かってるし!!」

という声が聞こえてきたなら
「分かっていない証拠」です。

言葉では分かってる。
意味も理解している。

でも
「核の自分は分かってない
 納得していない」

公式は知ってるけれど
解けない数学の問題のような状態です。

「私ってそういう一面あるらしいよ」

心の奥にいる自分に
聞こえるように何度も伝える。


「○○」を恐れずに
素直に認めて受け入れると

「それ」から解放されます。



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