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【毒家系】お盆の終わりに、先祖にちょっと喧嘩を売ってみたい、という話。

お盆ネタ3連続となるが、ちょっと私の先祖に喧嘩を売りたくなったので書く。

私が今住んでいるのは「母の実家」と呼ぶべき場所である。先祖代々、新原家(仮)の生息地だったらしいが、私が育った地域ではない。私目線だと「おじいちゃんち」として、祖父が亡くなるまで年に数回来ていた場所である。
建物も祖父が晩年建てたもので、母の生まれ育った家はその前に取り壊されている。

で、この新原家というのが無駄に家柄だけ古い。祖父の代で23代目らしいのだが、いわゆる「本家」と呼ばれる奴である。分家筋が色々存在し、ついでに「昔は新原家の小作だった一家が、新原の姓と土地を貰って独立した」なんてご近所さんが周辺にいっぱいいたりするので、集落全体の「新原」率が高い。
小4息子の登校班6人(4世帯)の内、息子を入れて4人(3世帯)が新原だ、と言えばこの新原率の高さが伝わるだろうか。あまりに新原さんだらけで、姓で呼んでも誰の事だか分からないために、集落の人々の間では下の名前で呼び合うのがスタンダードになっているほどだ。(※実際には別の姓です)

そんな感じの新原家は、かつては地方の名士というか、日本昔話で言う所の「村の庄屋さん」的ポジションだったらしい。明治時代あたりには養蚕で多くの使用人を抱えるなど、かなりイケイケだったようだ。
で、そのMAXイケイケだった曾祖父の時代に、この曾祖父がやらかした。入り婿だったらしいのだが、村長となって周辺地域の開拓事業をおっぱじめ、それに家の資産をこれでもかとぶち込み、入植者を呼び込んで集落全体を活性化させた――代わりに、イケイケだった新原家は殆ど無一文になった。地域のために私財を投げ打った政治家、と聞くと美談だが、子孫としては正直「えぇ……?」とならざるを得ないエピソードである。

とりあえず一家が住んでいられる家と少々の田んぼは残ったようだが、その子の祖父は、ごく普通に就職してサラリーマンとなる必要があった。その後叔父が事業を失敗して夜逃げしたという事件もあったために、僅かな田んぼも売り払われた。
そんなわけで、現在の新原家は、ちょっと庭が広い以外は何もない、ごくごく普通の家である。
面倒なものが一切なくなっているのは有難いような、金だけでもちょっと取っておいて欲しかったような。私としてはどうも微妙な心情になってしまう、新原家の歴史だ。

そんな歴史の名残として、ご近所に住むお年寄りには「新原本家」への信仰が篤い方々がまだ少々生き残っている。彼らは曾祖父や祖父を崇めていて、後を継ぐために出戻った母を称賛し、そこに同居して息子を産み育てている私のことも、見かけるたびに褒め称えてくれる。
だが、その称賛と祝福は、同時に「今まで通りの新原本家を維持せよ」という圧力でもあり、呪いでもある。もし私が産んだのが女児だったら、「もう一人、今度は男の子を産まんとだなぁ?」と、道を歩くたびに見知らぬお婆さん達に言われていた可能性があると思うと、ちょっと怖い。

アパート育ちで、18歳以降は上京しており、アラサーになってから初めてこの地域に住み始めた私には、この異文化過ぎる環境がどうも理解できなかった。
昔から話だけは聞いていたものの、母が何故そんなに地元に戻りたがるのかも、自分の生まれた「家」に誇りを持っているのかも全く分からなかったし、祖父の家に住むために実家を引っ越すと聞いたときには「何で???」としか思えなかった。私の結婚相手を「新原の姓で結婚し、将来はこの家で同居してくれる男性」と厳しく限定する理由も謎だった。だがひたすらに毒に浸されていた私は、母の意向を丸呑みする形で結婚した。

そして十年ほど住んでみた今、ようやく多少理解できるようになったと思う。
母という人の基礎となるコミュニティは、家族だけでなく、恐らく周囲のご近所さん達も含めての環境だったのだ。
母は、恐らく毒親か、機能不全だった「家族」において、足りなかった分の機能を「近所の人々」に求めていた。だからわざわざ、父と二人で住んでいた家を引っ越してまで、生まれ故郷に戻って跡を継ぐ選択をし、近所の人々に愛されるための必須条件である「新原家の維持」にこだわり続けるのだ――と。

そんな母個人の愛されたい願望を満たすためだけに、私の恋愛に、結婚に、難癖をつけ続けていたのか、と思うと怒りが湧くが、話が脱線し過ぎるので今回は置いておく。

さて。
新原家には、お盆になると仏壇に並べて母が飾る、大きな掛け軸のようなものがある。縦書きの表のようになっていて、それに細かい字で沢山の戒名と俗名、没年などが記載された、要は先祖たちの位牌の集合体のようなものであるらしい。
先祖全てが網羅されているわけではないが、その一番古い位置に書かれた先祖の没年は、江戸時代のど真ん中だ。
祖父で23代目という大層な数字の割には、意外と最近である。23代というのが盛られている可能性も勿論あるが、嘘でないと仮定すれば、かなり代替わりが激しい。一代あたりで計算すると、平均13年かそこらしかないのである。

13年に一度のペースで当主が入れ替わり続ける、新原家。
1代だけならともかくも、23代の平均値と考えると、どことなくホラーかサスペンスの匂いがしてくる。

人生50年だった時代を鑑みれば、ある程度は仕方がないのかもしれないが、徳川幕府が300年かけて15代将軍までしかいない件や、ウン百年の歴史を持つ老舗のナントカ屋さんなどと比較した時に、およそ倍のペースで「代数」だけを重ねているというのは、やっぱり異常だ。
代々短命の家系……なのかもしれないが、代が変わり続けるには、死ぬだけでなく生まれる方も必要である。いくら昔の話でも13年スパンで次の世代を生み続けるのは無茶なはずだ。
となると、家系がしょっちゅう途切れかかっていたのを、世代を遡ったり傍系に飛んだりしながら、無理矢理に継がせ続けていたとかだろうか。あるいは、権謀術数渦巻く跡目争いが常時起きていたとか、そういう話だったりするのか。
武家でも商家でもない、所詮は「田舎の百姓」に過ぎない一族のはずなのに、不自然に「代」だけが多いというのは、どうも不穏な気配がする。(農家の方すみません)

そして代々、外面の良い家系であることも確かである。「みんなのため」に私財を丸ごと投げ打ったという曾祖父の話は極端だが、近年に限った話として見ても、分家筋との抗争のような話が一切残っていないのは、イコールで絶対王政のような盤石な体制を敷いていたと思われる。

外面が異常に良く、絶対王政的で、ビックリするほど代替わりが激しいのに、身内の争いのようなエピソードが全く残っていない家系。
いかにも胡散臭い。毒の気配が濃厚である。

そして基本的に「良い」伝説しか残っていない新原家には、近い時代に一つだけ、醜聞と言える面白いエピソードが存在する。

祖父の兄弟には、大正13年生まれの「一三かずみ」と「十三とみ」という男女の双子が存在する。どちらも若くして亡くなっているが、当時の迷信では「男女の双子は心中した男女の生まれ変わりである」と言われ、彼らはそうだと噂されていたらしい。(双子の方すみません)

というのも、その前の代の新原家では「跡継ぎの娘が下男と恋に落ち、それを知った父親が下男を日本刀で斬り殺し、娘が悲嘆のあまり井戸に身を投げて死んだ」という事件があったからだ。当時の新原家としては、身に覚えがありすぎたわけである。
っていうか、農家なのに日本刀があったのか。金のパワーで名字帯刀を許されていたとかそういう話か。そうなんだろうな多分。

で、その後、次女が婿を取る形で新原家は存続したが、そこで婿に入ったのが、後に村長となる曾祖父だった。

つまり、だ。
「超支配型の毒親が、娘に手を出した男をブチキレて殺し、大事だったはずの娘も死なせてしまい、その後(双子の誕生なども含めて)周囲の悪評に耐えられなくなり、イメージアップのために婿を焚きつけて政治進出させ、財産を放出することで家の名誉を回復した」――なんてストーリーを推理出来るのである。
もしくは、やる気に満ちた曾祖父が、家の財産を使う口実としてイメージアップ戦略を提案した可能性もある。その辺のパワーバランスが実際どうだったかは分からないが、体面を何よりも大事にする一族としては、この辺が当たらずとも遠からずだろう。

なかなか面白い。
面白いが、ちょっと先祖の皆々様。
お盆明けでお墓にお帰りになる前に、そちらにずらっと正座して頂けませんでしょうか。

お前ら。
いつから毒親やってんだ白状しろやゴルァ!!!!


新原家、23代―――この数字が丸々毒親&毒親育ちの代の数である、と決めつけるのは早計かもしれないが、少なくともここ4,5代はかなりの超毒家系だとしか思えない。
代替わりが激しすぎるのも、家系図がしっちゃかめっちゃかなのも、例えば登場人物が全員毒親&毒親育ちで、しょっちゅう「俺はもう嫌だ!!」って逃げる後継ぎが発生したりして、それらを全部なかったことにしたり強引に継がせて早死にさせたりしながら、とにかく家の体面だけを取り繕い続けた結果なんじゃないのか。
家名のために生き、家名のために死ぬ――そんな思想で、ド田舎の片隅で威張り腐ることに固執して、延々と子供を駒として扱ってきた、その結果がこの「23代」という多すぎる数字なんじゃないのか。

これ以上この「新原家」、続ける意味ある?ないよね。
むしろこの家の名前、もう呪いにしか見えないんですけど。

「家」なんてものが効力を発揮する環境を知らない私にとって、新原家を継ぐとかいう話は元々「よく分からんけど、母がそこまで言うならきっと価値のあるものなんだろう」ぐらいの認識だった。どうせ何らかの姓は名乗る必要があるのだし、ヴィンテージ物が使えるならそっちの方が良いのかな、ぐらいの。

だが毒親育ちであることを自覚し、更に毒の連鎖について理解しつつある今の私は、この「家を継ぐという毒」が、母の子供時代の成育環境を歪めた原因の半分ぐらいを占めているのではないかと思うし、何代続いているか知らないが、新原家に続いている毒の半分がたはコレじゃないかと思うのだ。
残りの半分は知らんけど。

ならば。もう、この「家」は綺麗さっぱり潰した方が良い。

まぁ私が何もしなくても、この令和の時代に「家」なんてものは、どのみち効力を持たなくなるだろう。あと20年もすれば、本家信仰の残るご近所の高齢者の方々も、みんな絶滅するのだし。
「お前は跡取りだ、この家を継げ」なんて教育を私が息子にしなければ、新原家に代々伝わる分の毒は、ここで潰える。

だが明示的に「家を潰す」ことも、母が死んで私が相続するターンになれば可能である。私が要らなくなったタイミングで建物を壊し、土地を二束三文で売り払えばいいだけだ。神社のような、売りようのない土地をどうするか、という点が厄介だが、土地の権利を放棄して自治体に返還するといった、何らかの方法もあるだろう。

息子がどうしてもとゴネるなら別だが、そうでもないなら、息子は息子の甲斐性で手に入れた土地に好きな家を建てればいい。私は別に畳の上で死にたい願望もないので、最終的には適当に施設に入れればそれで良いし。
夫……には、残念ながらこの問題への発言権はない。私と運命を共にするか、別の道を生きるか、そこの結論はまた別途である。

うん。やれるな。この際だ、どうせいつか誰かが処分しなければいけないのだから、私の代で終わりにしよう。
価値もなければ金を産むわけでもない癖に、毒を生み出すような「家」なんぞ、百害あって一利なし。汚物は消毒するべきだ。ヒャッハー!

先祖への畏敬の念が少ないのは自覚しているが、それも彼らが「子供の育て方」を間違え続けた結果であって、因果応報だ。
それに、仏となってもまだ「家の存続」などに固執するような狭量な先祖がいるなら、そいつは魂の芯まで毒に染まった毒親育ちに決まっている。
新原本家を断つことは、そんな彼らの救済や供養にだってなるだろう。寺がどう言うかは知らないが、私の概念だとそうなる。毒にしかならないような家など、この世だろうとあの世だろうと、ない方が良いに決まっている。

2の23乗分の先祖たちよ。もし「家の断絶」なんてものがまだ怖いなら、震えてその日を待つがいい。


私が、お前らをまとめて救ってやるからな。


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