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失敗する、という勇気の話。

「星のカービィ」が大好きで、家では常に語尾に「ぽよ」を付けて喋る私の息子は、大変な自信家である。
少なくとも私にはそう見える。
毎月、月末が来るたびに「今月のドリルの範囲」が終わらない事態に陥るのに、その自信は微塵も揺らがない。

「がんばるぽよ!土曜日と日曜日、一日10ページずつやれば終わるぽよ!!」

と高らかに宣言し、実際にやり始まるとヒーヒー言っている。私が「そんなに出来るの……?」と確認した時には「大丈夫ぽよ!ちゃんと終わるぽよ♪」と断言していたにもかかわらず。
ドリルを前に2時間も椅子に座っていて、1ページも進まないこともざらだ。結局ドリルは終わらず、「宿題が終わったらやって良いよ」と言われているゲームには夕方になってもたどり着けないまま、涙目になって「全然終わらないぽよ……」と言っている。

しかも。翌月になる頃には綺麗さっぱり忘れている。
「先月もそうだったじゃん、今日一日で12ページもやるのは無理なんじゃない?」と私が苦言を呈してもどこ吹く風。「出来るぽよ!今度はちゃんとやるぽよ!」と宣言しては撃沈する。
自分の能力を正しく把握し、実現可能な計画を立てることも出来ない、愚かさと幼稚さ。
……なのだが、私は息子のそういう部分をどこか、眩しく尊いものであるように思う。


私が息子の年齢だった頃、私は既に失敗をこの上なく恐れていた。

母は一度怒り始めると、「以前の失敗」を延々と引っ張り出しては怒り続ける人だった。鉛筆を学校で一本失くせば、それより過去に失くしたものが羅列され、更に過去数週間における私の「不注意」への叱責、「判断力不足」への叱責、と説教が移り変わっていく。
「女性にありがちな」とよく言われる種類の怒り方だ。だが、ヒステリックで長い長い説教を聞き流すことが出来なかった私は、それらの内容を律儀に全部吸収し、一つのミスもしないように、一つのほころびもなく整合性を保ち続けられるように、日々を送ろうと努力した。
勿論、そんなことは不可能だった。ただひたすらに失敗を恐れ、不整合を恐れる思考ルーチンが、私の「考える」根幹となって構築されただけだった。

私は、私を信じられていなかった。
私が「やりたい」「やれる」と思う時、実際には「やれない」事が多すぎた。
一般的に子供はそんなもの、なのかもしれない。だが、私は「実際にはやれない自分」を許容された記憶がなく、許容されることは起こりえないと、長年思いこんでいた。

アイスをねだって買ってもらい、一個を食べ切ることが出来なければ、きっと次には買ってもらえない。
――だから、「アイスを買って欲しい」と言ってはならない。言えるとすれば、「アイスを食べたい」までだ。

友達と遊ぶ約束をして、母に外出を許されず、約束が守れなければ「ワタリちゃんはうそつきだ」と言われる。
――だから、「私も行く」とは言えない。言えるとすれば、「行けたら行くね」までだ。

そんな制約に縛られた私の思考は、「目標を口にすること」を強く恐れた。
誰にも目標を言わなければ、「失敗」は見えなくなる。他人から断じられなければ、その「失敗」はなかったことに出来る。
ドリルを10ページやろうと思う時、私は何も言わないか、目標を求められた時には「5ページ」あるいは「3ページ」と言うようになった。もっと出来ると思える時でも、「とりあえず3ページ。終わって出来そうだったらもっとやる」と予防線を張った。

この方法はかなり上手くいった。中学生になり、定期テストの順位が明示されるようになっても「ん-、今回は良くないんじゃないかな。そんなに勉強してないし」と言っておけば、周囲の興味を集めずに済むし、結果が悪くても言い逃れが効く。実は学年3位以内を死守するために泥臭い努力をしていることは、私だけが知っていればいい。
大学受験の時も、私は志望校を受けること自体を殆ど誰にも言わなかった。言わざるを得なかった両親や担任にさえ「単なる記念受験です、受かるわけないですけど。ハハハ」という態度を崩さなかったし、実際に自分でもそう思っているつもりでいた。
汎用性の高い英単語対策に受験期の大半を割いたとはいえ、3か月以上を過去問対策に費やし、小論文を書きまくっていた当時の私の行動を思い返せば、そんなはずはなかった。少なくとも私の中で第一志望の大学は決まっていたはずなのに、その頃の私は既に、自分の願望や目標を、自分自身に対しても隠すようになっていた。

願望、未来、希望。
そうしたものを口にする人の周囲には、人が集まるのだと思う。
その人が言葉にする願望を、未来を、希望を一緒に見たいからだ。

それらを口にしなければ、「失敗」は他者から見えなくなる。応援は得られなくなるし、他者の興味を引くこともないが、失敗した時に批判を受ける恐れはなくなる。「応援」を必ずしも必要とせず、「失敗」への恐怖が強い私のような人間には、その方が良いと思われた――が、そこには落とし穴があった。
願望を隠すことが染みつきすぎると、自分自身でも願望を見失い、他者の共感を得なくてはいけない場面が来ても、それを語れなくなってしまうのだ。
それまで失敗を隠し、願望を語らないことで身を守り続けてきた私が、就職活動で初めて直面した問題だった。

10万行のプログラムが書かれれば、必ず数百件のバグが発生するように、人間が生きる以上、必ず失敗は起こる。
失敗をしていないように見える人間は、「失敗を隠す」ことに長けているか、「自分は失敗などしていない、アレが○○だったせいで、上手くいかなかったことはあるけれど」と思い込んでいるか、そのどちらかだ。

私が餃子を5回焼けば2回は失敗するが、失敗した餃子をこっそり捨ててしまえば、「失敗などしなかった私」を取り繕うことは出来る。私は長年そういう風に生きてきて、しかも「餃子なんて別に食べたくないかなと思って」と言い張り続ける内に、「自分が何を食べたいか」を見失うようになってしまった。
餃子を食べたいと思った自分を認め、餃子を作るか買うかして、真剣にフライパンで焼かなければ、焼き立ての餃子を手に入れることは出来ないのに。

私はnoteを書くことで、長年しまい込んできた数々の失敗を開示する訓練をしている。
noteを読んで下さる方々は優しい。無論、私が過去にどんな失敗をしていようと、読んだ方々に直接は何の迷惑もかけていないはずだけれど――それでも私の失敗を、柔らかく受け止めて頂いている。
そして、過去に黒焦げにしてフライパンと一体化させてしまった餃子の話をすることで、私は「新しく餃子を焼く」勇気を貰っている。また焦がすかもしれないけれど、今度は上手く焼けるかもしれない。

餃子を食べたいと話す勇気を。今日また餃子を焼くのだと宣言する勇気を。
今度こそきっと成功させる、そのために動画を3回見たと開示する勇気を。
――それでも失敗した時に、「また失敗した」と言える勇気を。
そして食卓に謎の焦げたミンチを出し、「また失敗しちゃった」と言いながら食べる勇気を、私は今、貰っている。

実害を受ける家族にはそっと、隣に納豆も出しておくけれど。
納豆ご飯さえ無事に出せるならば、あるいは私一人で済ませる食事ならば、私の餃子がどう失敗しようと、他者から見れば「取るに足らないこと」だ。

失敗はきっと、美しい。
少なくとも「餃子なんて別に食べたくないし」と言っていた頃の私よりは、こんがり餃子を食べたいと言って、定期的に失敗しては納豆ご飯を出す今の私の方が、美しい。

私の息子も、あと数年もすれば自分の能力をもう少し見極められるようになり、「ドリルを12ページやれる」などとは言わなくなるだろう。
息子が失敗を恐れるようになった時、私に何ができるかはまだ分からないけれど――納豆を切らせさえしなければ、餃子を何度失敗しても構わないのだと、いつか完璧な餃子を焼けるようになる日まで、失敗を繰り返す勇気こそが美しいのだと、そう伝えられるようになりたいと思っている。


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