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一度もやらないよりは良い、という話。【虎吉の交流部屋プチ企画】

こちらの企画に参加させて頂きます。
お題:「大切にしている言葉」


夫と一緒に暮らすようになってから、概ね12年が経った。
私と夫の関係は良くも悪くも大きく変わり、住む場所も家族構成も変わったが、この12年で一つだけ――「夫の出勤日の朝は弁当を作る」、これだけは私の変わらない習慣となっている。

まぁ弁当と言っても、別に威張れるような代物ではない。
大抵はゆで卵に、2,3種の冷凍食品、そしてミニトマトを弁当箱の定位置に詰め、後はふりかけご飯に梅干しで固定。時々冷食の代わりにミートボールやウインナー、チーズはんぺんなどが入る程度だ。
もっと言えば、ゆで卵すら2,3日単位での作り置きだし、夕飯の残りの煮物などがあればそれも容赦なく入れる。夫の職場に冷蔵庫があるのに甘えて、抜ける手は全部抜くことに命を懸けた、限界手抜き弁当である。

だが質はどうあれ、12年間(産前産後の半年間を除く)ほぼ毎日弁当を用意できているのは、我ながら地味にびっくりなポイントでもあったりする。

私は昔から、夜が大好きな代わりに朝に物凄く弱い。主に夜更かし癖から来る慢性的な睡眠不足と低血圧のせいだが、本音を言えば寝起きから1時間ぐらいは動きたくもないし一言も喋りたくない。
目覚ましのアラームが鳴った途端に起き上がって弁当を作り始めるなど、やり始めるまでは死んでも不可能だと思っていた。

そして、そんな私を12年間支えてくれているのは、同棲開始直後の夫の台詞(と後から母に聞いたもの)だったりする。

「一回も作ってくれないより、一度でも作ってくれてるんだから良いじゃないですか」。

夫と同棲を開始した私が弁当作りを始めた頃、それを知った母は「あのワタリが、いつまでそんなこと続けられるんだか……」と夫に言い、その時の返答がこれだったらしい。

その現場に私はいなかったので、両者の正確な発言内容を私は知らない。
「この間、夫君がそう言ってたのよー、確かに結婚してから嫁さんの弁当を一度も食べたことがないよりは良いわね!」と笑いながら話してきた母に、私は一緒になって笑った――が、その話の母の台詞にチクリと棘を感じ、同時に聞いた夫の台詞がその棘を瞬時に抜いた、そんな感覚が意識に強く残った。

真面目に考えれば、母の言うことにも一理はあった。私はとにかく朝に弱いし料理も苦手で、更に苦手なことはほぼ間違いなく三日坊主になる人間である。
スケジュール帳を買っても最後まで使い切れた試しなどないし、ウォーキングなどの運動を継続できたこともなく、サボテンすら枯らした事がある私が「毎朝弁当を作る」のようなことを続けられるとは思えない、という母の思考は、ある意味当然だし自然である。過干渉な母としては、私の失敗=母の失敗だという考えで、近い将来起こるであろう夫の落胆に対して、予め予防線を張ったつもりだったのかもしれない。

一方で、経済的な理由もあったとはいえ、新生活に夢を抱き、夫の希望を叶えようと弁当を作り始めた私を「あのワタリがいつまで続けられるんだか…(≒どうせ続かないでしょ)」と評した母と、「たとえ一度でも、作ってくれてるんだから良い」と言い切った夫の、どちらの言葉が私にとって有難いかは明白だった。
夫が実際にどう思ってそう発言したのかは分からない。要らんことをわざわざ言う母に反感を持ってくれた可能性もあるが、単純に素で「今作ってくれてるんだから良いじゃん」と思っただけの可能性も高い。
だが、どうあれこの時、私は恐らく生まれて初めて「母に対して、正面から私をかばってくれた人」に遭遇し、その事実に胸を打たれた。

当時の私は、自分が毒親育ちだとは全く気付いていなかった。
だが、それまでずっと絶対的な正義だと信じていた母の「どうせワタリは失敗するという予言」よりも、夫の前向きな意見の方が正しいと――自分にとって心地良く有益であり、必要なものであると認識できた。
それは私の世界の中で、小さくとも革命的な出来事だったように思う。

何に寄らず失敗を怖がる私の癖は、今もまだ治ってはいない。
だがこの12年、失敗しそうな何かに挑戦する時――例えば初めてパンを焼いた時、ダイエットを始めた時、noteを書き始めた時、資格の通信講座に申し込んだ時、そういう「何かを始める」時に、私はこの時の夫の台詞を思い浮かべてきた。

「一度もやらないより、一度でもやった方が良い」。

明日の朝も私は、寝ぼけ眼でフラフラしながら、冷凍食品とゆで卵を弁当箱に詰めるだろう。
夫に関して思う所は色々あるが、少なくともこの台詞に関しては、夫は間違っていない。少々癪には感じるけれど、夫のくれたこの言葉が、私の「母でない人から貰った」数少ない指針となっているのも確かである。

「一度でもやった方が良い」を積み重ねて早12年。
手抜き弁当を作り続けることが、夫のくれた言葉に報いることになっているのかどうかは自分でもよく分からないけれど、「どうせ私なんて続かないから」で一度も作らなかったより、遥かに良かったのは間違いない――と、そう思う。



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