見出し画像

iPad歴 5年の自分が、次の5年を見すえてノートパソコンに移行する理由。

ついに、iPadを持つのをやめる日がやってきました。

巷では、スマホとパソコンの両方を持っていて、さらにiPadのようなタブレットも買い足した、なんてことが珍しくないと思われる今日このごろ。

また、いまでは、パソコンをやめて、タブレット(もしくはタブレットとしても使える1台2役のパソコン)に切り替えたという人も少なくないでしょう。

もちろん、スマホしかないよ!という人もいるでしょうね。

自分はというと、パソコン無しで5年間ずっとiPadを使ってきました。でもここにきて、あえて再びパソコンへ戻ることにしたんです。

思い返せば2012年3月、初めて手にしたiPad。

当時、iPadを選んだ理由は、パソコンを持つ必要がなくなったから。

それまでずっとデスクワーク主体の会社員をしていたのですが、過去の記事でも書いたように思いきって会社をやめ、Webプランナーとして独立しました。

つまり、デスクワークから離れたことで、込み入ったデザインや企画書づくりなどをしなくなったのでパソコンが不要となり、ほとんどしゃべって提案するだけの働き方に変わったんです。そのぶん、場所や時間にしばられず、当時増えつつあったコワーキングスペースを拠点とできるよう、より身軽で、価格も機能も必要十分なiPadを選んだしだいです。

そしていま振り返れば、そのときパソコンを持つのをやめ、iPadを選んで、ほんとうに良かったと思います。

たとえば、

「iPadだけで旅しながら仕事してるの?」

なんて行く先々で聞かれて。そうした働き方がちょっとだけ注目され、あちこちでインタビューを受けたり、全国誌や各地の新聞に載ったりしたこともありました。

あと、iPadはバッテリー駆動時間が10時間以上もつので重宝しましたね。おかげで旅の移動時間が長いときも安心。全国各地を動きまわり、多くの経験値や人とのつながりを得ることに貢献してくれました。

打ち合わせがあるときもiPadを使ってSkypeなどのアプリによるビデオ通話で済ませられるし、情報発信はFacebookやTwitterのアプリで可能です。全国にある交流の場へと赴き、たくさんのユニークな人たちと情報交換できた分、企画力と情報発信力が会社員時代と比べものにならないくらい向上したと思います。

そんな経験を、iPadのKeynoteアプリを使ってプレゼン形式のスライド資料にためていきました。各地の取り組みを体験するたびに、まるで秘伝のタレのようにスライド資料が熟成していったのを実感しましたね。

そして旅先のコワーキングスペースで許可を得られれば、液晶プロジェクターとスクリーンを借りてiPadにつなぎ、その場に居合わせた人たちへ一斉に声をかけて、即興で秘伝のタレを披露することもしました。

その最後には「こんな自分をどうか応援してください」と言わんばかりにガラス瓶を差し出し、投げ銭をいただきました。多いときには一度に1万円以上も!なかには回転寿司チェーンの株主優待券をくれた人がいて、貧乏旅行のなかでも贅沢させてもらったことがあります。それまで感じたことのなかったような、お金の先にある人の優しさを、ありがたくかみしめたものです。

そんなこんなで、旅の集大成として、2015年5月に、自分の新しい住まいの形《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》を設立。44歳にしてセミリタイアし、ソーシャルな隠居というか、住み開きの隠居生活に入りました。

そこでもiPadは、茶の間の座椅子にゆったりという姿勢にピッタリで、ギルドハウス十日町の設立後、かれこれ1年10ヶ月が経った現在まで大活躍でした。


さて、前置きが長くなりましたが。

そうした自分の働き方や生き方を大きく変革させるのに重宝したiPadを、なぜ5年も使い続けた今やめるのか。

きっかけは、過去5年で2台のiPadを使ってきたんですけど、そろそろ2台目の使用期間が3年くらいで、買い換えを検討するようになったことです。

あまり深く考えなければ、今年2017年に発表されるであろう、次期iPad Proを選ぶところですが。

ちょっとひと呼吸をおいて、iPad歴と同じく、5年先までを考えてみました。

すると、むこう5年間で2台(ひょっとすると3台?)のiPadを買い換えることになるんだったら、同じくらいの金額でノートパソコンが買えちゃうのでは?と思い至りました。

そして、試しにギルドハウス十日町に住んでいるひとからノートパソコンを借りてみて、1ヶ月くらい使ってみたんです。

そうしたら、思いのほかノートパソコンがしっくりきました。

とくに感じたのは、性能が成熟してきているな、という点です。最近のノートパソコンは、高性能すぎる気もしましたが、それだけにiPadほどの未熟さや、買い替え頻度の高さが感じられませんでした。

OSでもそうですね。最近のノートパソコンに搭載されているWindows 10は、これまでMS-DOS → Windows 3.1 → 95 → 98/Me → NT 3.51 → 2000 → XP → Vista → 7を使ってきた経験のある自分からすれば、かなり成熟しているように感じました。これまでのWindowsではバージョンアップするにも有料で、なおかつパソコンも買い換えがち。でもWindows 10からは、恒常的に無償で機能が追加されていくようです。

一方のiPadに搭載されているiOSは、まるで過去のWindowsがそうであったように、まだまだ未熟な育ち盛りで、それに伴ってハードウェアたるiPadも、5年先まで何度も買い換えを余儀なくされそうな気配。あのiPhoneの発表がまだほんの10年前で、目まぐるしく機種変されているスマートフォンがそうであるように。

というわけで、ノートパソコンに移行する意欲が高まりました。

ちなみに、いまのところデスクトップ型のパソコンを選ばない理由としては、バッテリー駆動できない(とりわけ宅内をあちこち持ち歩けない)ことに加えて、古民家の小容量のブレーカーが落ちたときに編集中のデータが消えるといやだな、といったところでしょうか。

あと、iPadを使ってきたんなら、いっそのこと同じApple社のMacBookのほうが相性いいんじゃない?と思われるかもしれません。でも、iPadと併用するならともかく、単独で使うわけだし。最新の機種でいえば、基本性能が一段と高いWindows搭載ノートパソコンのほうが10万円ほど安いということもありますね。それに、もともと自分はWindowsのほうに愛着があるんです。

ところで、ノートパソコンが、これからのソーシャルな隠居生活をたしなむにあたって、なぜiPad以上にしっくりくるのか。そして具体的にどう活用していくのかについては、また機会があったら書こうと思います。

それにしても、いよいよほんとうにiPadを手放すんだな。

なんだか、これまでのことをいろいろ感慨深げに思い出しちゃいます。

まだまわりに誰も持っている人がいなかったけど、小学6年生のとき何故か夢中になり手にしたパソコン。そして、日本のインターネット黎明期を変革させてきた会社のひとつで会社員として無我夢中に働き。その後コワーキングに感じた可能性をiPadとともにのびのびと駆け抜け。その都度、働き方を変えてきました。

と同時に、住所も移り、埼玉県出身の東京勤めから、人口80万人の大きな地方都市へ。そこから、あちこち暮らすように旅して、いまや5万人あまりの小さな中山間地域に移住。

どんどん川の上流というか山の奥へ移ってきていますね。。。

ひとり暮らしからシェアハウス生活を経験し、まるで全国どこでも生きていけるような状態から《住み開きの古民家》へと住まい方が変化しました。

そのときどきの動機は勘みたいなものだったけど、いろんなものを見て触れて話して失敗もして、じゃあこうしようかと行動してきたので、いまでは無理なく自然体で、しなやかに立ち振る舞えている気がします。

今回のことも、これから5年先に待っているかもしれない《次の変化》に向けての前兆かもと、なんとなく思うところがあったりして。

あれ?iPadじゃないの?
なんかハルさんぽくないなあ。

だなんて、この5年間での交友関係からはそう思われるかもしれないけど。小学6年生からのことを考えれば、こうしてノートパソコンを使おうとする自分がとても自然体のように思えます。

《次の変化》へ対応するために。

iPadで、そうであったように。

ともに歩いたiPadへ。ありがとう。

そして、おつかれさま。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。