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贈る言葉

ー2022年の"誕生日シーズン"

現在、われわれ夫婦は"誕生日シーズン"の対応が真っ盛りだ。6月前半に母親、7月後半に父親がそれぞれバースデーを迎え、さらに8月早々に義母。おめでとうと言うと、母は「歳を取る。それが嬉しいことかは分かりませんね」と苦笑いする。それはきっと父、義母も、心のどこかで感じているかもしれない。気持ちは分からなくもない。

建て前のお話

クスッとするのは、父、母、義母、3人そろって"言うこと""為すこと"、どれを取っても、決して老いている人のそれではない。父、母は通院が理由とはいえ、暑い中でも、ちょこちょこ連れ立って外出する。義母も顔を合わせるたびに、どこか旅行に連れて行けとせがんでくる。

そんな様子をいつも見聞きしているだけに、歳を取って嬉しくないという言葉は、所詮しょせん照れ隠しか、あるいは建前の上でのお話か。言葉ではそう言っても、実際のところ、歳を取るとか取ったとか、そういうことにあまり頓着とんちゃくしていないように思える。

もっとも、そうであれば実に喜ばしい。確かに、ちょっとしたきっかけで病気になったり怪我をしたりと、若いころのようには行かないだろうが、いつまでも過度に歳を意識せず、これまで通り振る舞ってもらいたいものだ。その方が、こちらとしても楽しいし面白い。

これからも変わらずに

「年齢というものには元来、意味はない。若い生活をしているものは若いし、老いた生活をしているものは老いている」ー。小説家・井上靖はこう言った。年齢はただの数字に過ぎず、年齢に"意味"を与えているのは自分自身だという。

「10代でも、どうしようもない年寄りもいるし、70、80になってもハツラツとして夢を見続けている若者もいる」は、芸術家・岡本太郎の言葉。意味は井上靖とほぼ同じだ。2022年の誕生日シーズン。ハツラツとはいえないが、それに程近い姿を見せてくれる父、母、義母に次の言葉を贈りたい。

これからも変わらず、そのままで。

(写真:『りすの独り言』トップ画像=フリー素材を基にりす作成)

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