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見えない障害があること


おはこんにちばんは!
のんです。

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早速ですが、
「見えない障害」について、
私の見解をお伝えしていきます。

といっても「見えない障害」という言葉は、
馴染みがない言葉かと思います。

ここでお伝えする「見えない障害」は、
私が声の悩みを経て培ってきた生きづらさから、
採用した言葉なので、正解も縛りもありません。

何かにハンデを追っていても、
外見から判断できない悩みは
できる前提で扱われてしまう
ことも多く、
精神的な負担も大きくなり、
二次障害へ発展する可能性も十分にあると捉えられます。

そのため、
私は「見えない障害」という言葉を広めることで、
自分が抱えた「声帯萎縮」の認知度を拡大するとともに、
他にも人から理解を得られにくい悩みや
生きづらさを抱える人に寄り添い、
社会貢献にも励みたいと考えています。


というわけで、
今日は「見えない障害」という言葉を通して、
社会に伝えたいこと、3選をご紹介します。


①見た目から判断できない、生きづらさがある


「見えない障害=生きづらさ」

ともいえます。

他の誰かにとっては大したことのないことでも、
自分が生きづらいと感じていれば、
それは見えない障害
。と私は捉えています。

例えばこんなこと。

・人と会話はできるけれど、
 名前を呼ばれたときに大きな声で
 「はい!」と言えない。言いづらい。

・午前中は活発に活動できるけれど、
 午後は体がだるくなり活動できない。

・十分な睡眠をとっているはずなのに、
 仕事中や会話の最中に眠くなってしまい怒られる。

病気や障害の有無関係なしに、
それがつらいと感じることであれば、
それは見えない障害。

一見「甘え」「サボり」に見えることでも、
真剣に悩んでいること、生きづらさがあれば、
それは見えない障害と捉えられます。

②「見えない障害」は誰もが抱えているもの


そもそも、
「障害」はマイナスなことではないですよね。

けれど、
私は自分が障害を抱えているかもと感じたとき、
無意識的に、私は障害者ではない。
と信じ込もうとしたり、
自分の悩みから目を逸らそうとしたことがあります。

障害を抱えている人のことは肯定していたつもりが、
自分は障害者になってはいけない。
と潜在的に「障害」という言葉に対して、
距離をとってしまっていたのです。
(そんなこともあって診断を得るのが遅くなったのかも…)

障害ごと自分を受容することができた際は、
そんな概念も消え去りましたが、
確実にジャッジしていた自分がいました。

そして私は、障害があると感じる世界も、
障害がないと感じる世界も経験したことで、
「障害者」「健常者」という言葉に関しては
どっちでもいい。
といった考えを得ることができました。

どちらにせよ、自分だよね。
何歳年をとっても自分だよね。
誰に何を言われようと、私は私だよね。

そもそも見えないだけで、
生きづらさという名の障害は
みんな抱えている。

怒りっぽいあの人も
いつも笑っているあの人も
障害がそうさせていないとも限らない。

そう思うと、
考えてもきりがないことがわかりますし
自分だけ悩んでいても…といった気持ちにもなりました。

診断を得ることで
心が軽くなることもあるかと思いますが

ようするに、それぞれが、
自分らしく生きるべきですよね。

「見えない障害」は誰もが抱えているもの。
みんな一人じゃない。

ひとつの考え方として、そんな言葉で、
気持ちが軽くなる方もいましたら嬉しいです。

③既に世の中にある、指標に目を向ける


公共機関にある優先席を想像してください。

席の近くには、
優先的に席を利用すべきお客さまがどんな人か
マークを用いて示されていると思います。

また、妊婦さんが持つマタニティマークや
自動車の初心者マークなど、
世の中にはマークができるほど、
気付くべきこと、配慮すべきことがたくさんありますよね。

マークがなくても、
困っている人が目の前にいたら、
助けるのは当たり前。

と感じる方もいるかと思いますが、
寄り添いの思考をもっていることと、
実際に助ける行動を起こせるかはまた別です。

そもそもマークすらなかったり、
マークがあってもどうにもならないもの、
自分すら気付けないなどの
もどかしさがあるのも、見えない障害。

車椅子に乗っている人も、
足だけが不自由だとは限らず、
他に生きづらさを抱えている場合も
考えられると思います。

同じような悩みでも、
症状や生きづらいと感じる理由も人それぞれ。

心が読めない以上、
見た目から正確に相手を判断できることなんて、
ほとんどない
と思っています。

けれど
・気付くことさえできれば配慮できる
・知ることさえできれば寄り添える

とも思うからこそ、
せめて今すでにある指標くらいには目を向けて、
優先席やマークを持っている人への配慮は
スマートにできる人でありたいなと感じます。

必要以上な声掛けも必要ありませんが、
いざというときに、寄り添える人たちで
社会が溢れたら素敵そうですよね。


見えない障害や人へ
歩み寄ろうとする方が増えることで、
日常生活で苦しむ人が、少しでも減りますように。



なんとなくでも、
見えない障害のことがわかったような気がする。
何か気付きが得られた。
と思っていただけましたら、
是非「いいね」を押してくださると嬉しいです。



次回は、見えない障害と関係性が深い、
「ヘルプマークとサポートマーク」について
お話しようかなと思います。

実は、マークには健康な人や
助けられるよといった人が付けるマークも
あるのです!



最後までお読みいただき、
ありがとうございました!


今日も
素敵な一日になりますように☀
お疲れ様でした☾



のん


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