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上書きされる記憶、あるいは過去のブログを消してしまった話

 今から3年前のこと。当時の交際相手の親に、私のFacebookとTwitterの過去投稿をすべて遡られ、それをプリントアウトされて結婚話が破談になったことがあります。そんな私です。(その影響で、私は2016年にTwitterとはてなとnoteのアカウントを作り直しています)
 結果としては、それはそれでよかったと思っています。その後、(恋愛関係に限らず)ほんとうにほんとうにたくさんのひとと出会うことができました。

 ところで、最近は地味にショックな出来事がいくつか起こっていて。もっともショックだったのは、高校時代に書いていたブログが手違いで消えてしまったこと。
 高校時代は、niftyが提供しているブログサービス「ココログ」を使ってメインのブログを書いていました。先日、あまり使っていなかったniftyのプロバイダ契約を解約したのと同時にブログも消えてしまいました……しまった、ココログがniftyのサービスだったのをすっかり忘れていた……プロバイダの契約と連動していたのか……。

 高校時代、ほかにもいくつかブログは作っていましたが、もっとも長期間、メインブログとして使っていたのはココログでのブログ。2007年を最後に更新していませんでしたが、たまに覗いては懐かしく思っていました。
なので、見れなくなってしまったのは本当に悔しい……。

 どこかでせめてキャッシュだけでも見れないだろうか……と思って、Wayback Machine をチェックしてみました。
 このサービスは、あちこちのサイトを自動巡回してアーカイブを取得しているようで、すでに存在しないWebサービスなどはもちろん、個人ブログも残している場合があるとのこと。
 私が高校時代に書いていたブログにも、なんと、2015年に訪れていた形跡があり、トップページのアーカイブだけ残っていました……!
(でも、そこから先の階層については残されていませんでした´・ω・`)

 この画像だと味気ないですが、実際は、背景に新緑のテンプレートを使った、爽やかな可愛さのあるブログでした><

 ブログをプリントアウトしたことってあったかな……と思い返してみましたが、このブログに関してはそういうことをした記憶はありません。スクショなども撮ってはいないと思います。あと可能性があるとしたら、昔のケータイに残ってるメール送信データ? 高2、高3の頃に使っていた端末自体は実家の物置に残っているかもしれないけど、内容が残っている可能性はさすがに低そう……。
 もし、私の熱心なアンチやマニアがいて、高校時代のブログを何かのネタに使ってやろうと思いプリントアウトorスクショしているようなひとがいたら、ぜひデータの提供をお願いします!! 怒らないから(笑)

 ちなみに、小中学生時代に書いていたWebでの日記やリレー小説なんてもうとっくに消えていますが、それに関しては「仕方ないか」という気持ちが大きく、そこまで悔しさはなかったり。
 高校時代のブログのほうは、時々読み返していたぶん、内容の記憶はまだ鮮明なはず。でも、失って悔しいのは最近まで読み返していた高校時代のブログのほう。これってなんだか面白い現象かも。
 小中学生時代に書いていたものは、情報を蓄積するというよりは「その場を楽しむ」つもりで書いていたというのも大きいのかもしれないな。「記録していないこと」と「記録したつもりのこと」の違いが、失ったときのショックの大きさの違いなのかもしれない。あるいは高校時代のブログのほうは、もう10年以上眺めていたコンテンツだから、それが大きかったのかもしれない。

 じゃあ、まだ記憶が鮮明なうちに、高校時代のブログについて覚えてる限りの内容をどこかに書き写しておくべきかな……って、私の脳はデータ転送ケーブルじゃないんだぞ。
 でもそもそも、ブログ記事も私の記憶もどちらも電気信号の一種なんだよな。どうして私は過去のブログにこだわってるんだっけ。あぁそうか。私は引っ越すと前居住地での脳内情報が上書きされちゃうから、ブログというカタチでバックアップを取っておくことが必要なんだ。
 大切なこともちょっとした拍子に忘れる。じぶんの記憶はあまり信じられない。ブロックチェーンみたいに改竄できない紐づけができたらいいのに! あぁでもそれじゃフラッシュバックがつらそう。人間は「忘れる」ことができるのがロボットとの違いだってだれかが言ってた。あのブログももう役割を終えたということなのかもしれない。出来事に過度の意味づけをするのは必ずしもいいことではないかもしれないけど、ムリヤリ好意的な解釈をするならそういうふうにも言えるのかな。あるいは将来的に知名度が上がった際の炎上リスクを防げたとか? いやでも大したこと書いてないし検索しても引っかからないしな。楽しい記憶も、頑張った記憶も、(限度内の範囲での)大変な記憶も、のちのちコンテンツになるってことがブログによってわかった。友達との交流にも一役買ってた。勉強や受験のことも、音楽や執筆のことも、家族や友達関係のことも、旅先のときめきも、じぶんだけにひっそりわかるようにぼかして書いてたあんなことについても……。

 ネットに依存するのって危険かも、と今回痛感しました。あ、いわゆる「ネット依存」についての話ではないです。情報を預けるのをひとつのウェブサービスだけにしておくと、退会せずとも、そのサービスが終了したときにデータを失ってしまいます。その怖さを痛感しました。
 ちょうど先週末、デザインフェスタに行ってきたばかりというのもあり、マテリアルとして残すのってなんだかんだ強いのかも、まだまだ捨てたもんじゃないのかも、なんて思ったりも。
 まぁ、アナログな手段を用いなくても、定期的にスクショや魚拓を取ったり、データをエクスポート、インポートするのも有効かもしれませんね。「鑑賞メーター」とか「ザ・インタビューズ」とか、サービス終了しちゃったの寂しかったな……。

 先ほども書いたけれど、私は元転勤族。引っ越しが多かったので、引っ越すたびに前居住地での情報は薄れていきます。ひとの脳、許可したつもりもないのに自動的にあれこれ上書きしていっちゃうのがタチが悪い。いや、逆に便利なのか? できるならこの機能オフにしたい。
 まだ29年しか生きていないというのに、人生100年時代、この調子であと約70年分のデータは脳にどう保存されていくのだろう。まぁ、残りの約70年分もフルで使うわけではないんだろうけど。情報の量が増えたのに脳の容積が拡張しないのは人類のバグだと思う。そりゃ認知症だのエラーも起こるよ。アップデートしてほしいよね。あ、スマホ端末とかクラウドが脳の延長の役割を果たすのかな。AIが頭脳労働を奪ってくのかもしれないけれど、私はできる限りじぶんの頭も使っていきたい。あぁ、未来。


 今回の記事のサムネ写真は名古屋時代(2014年頃)の私のお部屋だよ。パソコンのある風景の写真を探してきたらこれが見つかった。お部屋のメンヘラ臭がやばい。まぁ名古屋時代は仲良しな友達があんまりできなくてこの部屋にはだれも友人を呼ぶ機会はなかったのですが……。


 ちなみに今回、どうしてはてなブログではなくnoteのほうの更新にしたのかというと、最後のほうに有料記事として、高校時代、友達にもだれにも言ってなかったエピソードを書いてしまおうかなと思っていたから。たぶんあなたが想像しているような内容で間違いない。でも、やっぱり恥ずかしいのと、モヤモヤすることが多いのでやめました……まぁ、いつか有料記事に変更して書くかも。

より素敵なものをお届けできるよう頑張ります。よかったらブログにも遊びにきてね。http://www.wuzuki.com/