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塾の勉強に夢と希望があった時代。『みかづき』森絵都


昭和36年から平成へ、塾をめぐる先生たちの熱意や家族の物語。各章ごとに結構時代が跳んでいるので、長い時代を描いているわりには、スピード感があるから読みやすいです。NHKでドラマ化されたのも納得。同じNHKで、塾をあつかった連続ドラマ『名古屋お金物語2』を思い出しながら読みました。廃業した回転寿司のお店で、塾をやってたお話です。

進学することで人生が開けた時代。学校が、子どもたちの受験勉強をサポートしきれなかった時代。大手の塾なんかがなかったので、個人経営の塾がたくさんあったそうです。主人公たちの塾もそんな1つ。生徒に人気だった学校の用務員大島吾郎が、奥さんと塾を始めます。

十分な知識さえ与えておけば、いつかまた物騒な時代が訪れたときも、何が義で何が不義なのか、子供たちは自分の頭で判断することができる

戦前、「お国のために」を信じて騙された人は、きっとこんな風に考えて、新しい教育に希望を感じた人たちがいたんだろうな、と思わせられる一言です。

生徒に自分で考えさせる勉強といっても、それは簡単じゃありません。自分で考えるのが好きな子は少数で、誰かにさっさと答えを教えて欲しいだけの子が多いです。いえ、興味のあることは考えるけど、関心ないことはやりたくない子が普通だと思います。

なにより、親や子どもたちが受験のテクニックやノウハウを重視するようになり、受験でいい大学に受かることが大事になってしまうと、塾も変わらざるをえなくなります。自分の子供の適正より、学歴に目がくらんでしまったり。そもそも、自分に自信のある親なんて、いないです。

親がすべきは一つ。人生は生きる価値があるってことを、自分の人生をもって教えるだけ。

塾を経営した親子3代の物語は、フィクションですが本当に読み応えがありました。この物語では学校は悪役ですが、それもまた新鮮です。立場が違えばそうなりますよね。学校も塾も千差万別。子供と先生の関係もいろいろです。

ちなみに、娘の通っていた公立の学校は「塾にいかなくても学校で対応するから」という方針で、クラブ活動が盛んだけど、早朝の補習とかあったし、面接の練習もしてくれたりで、すごく助かりました。それでも、塾に行く子はそれなりにいたそうですが、ある大手の塾に通っていた娘の友達曰く、「志望大学のランクを下げた途端に、塾は対応してくれなくなった」そう。

あと、娘の別の友だちで、有名私立高校に進学した子は、難関大学以外を希望したのでサポートなしだった模様。娘の学校のように、やさしい応援が羨ましかったそうです。でも、先生だって、一人でクラスの30人以上全てに対応できません。本当に、こういうのは学校とか先生との巡り合いです。運です。

タイトルの「みかづき」は、最初意味がわかりませんでしたが、本を読んでみると、こんな理由でつけられていたようです。

これまでいろいろな時代、いろいろな書き手の本を読んできて、一つ分かったことがある。どんな時代のどんな書き手も、当世の教育事情を一様に悲観しているということだ。最近の教育はなっていない、これでは子どもがまともに育たないと、誰もが憂い嘆いている。もっと改善が必要だ、改革が必要だと叫んでいる。読んでも読んでも否定的な声しか聞かれないのに最初は辟易したものの、次第に、それはそれでいいのかもしれないと妻は考えはじめたそうです。常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない


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