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【AZアーカイブ】ゼロの蛮人(バルバロイ)第二話

《『王宮日誌 シャルロット私書録』より》

私たちが二年生に進級してから、二ヶ月ほどした頃だった。
その日、私は友人のキュルケと一緒に、《アルヴィーズの食堂》で雑談しながら朝食をとっていた。雑談……といっても、話すのはもっぱらキュルケの方だったが……。

「ねえタバサ、聞いた? あの手足を鎖で繋がれた蛮人(バルバロイ)の使い魔。そう、『ゼロのルイズ』の奴隷よ。やっと鎖を外してもらえるんですって。そりゃ、歩きにくいもんねぇ」
「………!」
「ほんと、見てて可哀相ったらなかったもの。いくら奴隷だからってひどかったもんね、しょっちゅう殴られてさ。あんまり気分のいいもんじゃないわよ」
蛮人が、あの哀れなトラクスが、鎖から自由になる。もちろん契約が結ばれている以上、主人の命令が絶対である状況に変わりはない。

だが、彼は動物ではない。蛮人だろうと、私たちと同じ、人間だ。

「これで少しは人並みな扱いになるのかしら。だといいけど……。なんかルイズ、『感覚共有も雑用も満足に出来ないなら、やっぱり護衛にするのがいいのかしらね』とか言って、トリスタニアから剣やら鎧やら買い集めてたのよ。そうよね、彼、戦士向きっぽいかも。いつだか馬の世話をしていた時、嬉しそうだったし馬丁かとも思ったけどね」
「…………(もぎゅもぐ ごくん)……」

彼に、武器や防具を。鎖に繋がれた犬並みの最低の奴隷からは、かなりの地位向上だ。流石のルイズも、苛めるのに飽きて頭が冷えてきたのか。

……しかし、私はいやな予感がした。彼の左手にあった、謎のルーンの事もある。
「……危険、かも」

自由。人間としての尊厳。
自由。意思決定の裁量権を、ある程度でも自己自身が持つ。
自由。心身の拘束状態からの、解放。

その日、トラクスは手足の枷を外された。自由になった両手を掲げ、歓喜の涙を垂れ流す。枷の跡は痛々しく残っていた。皮膚は擦り切れ、風が当たるとまだ痛い。それでも、手足が自分の意のままに動かせる。そのことがとても嬉しかった。

遠き故郷の神々に感謝する。一度死んだのに生き返らせてくれ、また異郷で奴隷になって苦しみはしたが、神々はこの鎖を外してくれたのだ。あの生意気な小娘の心を惑わせ、俺を助けてくれたのだ。トラクスは溢れる涙を拭かないまま、すっきりした表情で部屋を見渡した。

小娘の寝ていたベッドは、おびただしい鮮血に染まっていた。

自由になったトラクスの右手には、血に塗れた剣が。左手には、ピンク色がかったブロンドの毛皮が、タオルのように握られていた。

……ルイズの、頭髪だ。いや、『頭の皮』だった。それで手と剣を拭くと、ビシャッと卓上に置いた。

さあ……帰ろう………!
故郷、トラキアの地へ。勇猛で誇り高い、スキタイ人の住む土地へ。

その日の昼過ぎ。
トリステイン魔法学院、学院長室。そこから出てきたのは長い白髭の老魔法使いオールド・オスマン。その後ろに美人秘書のミス・ロングビルもいた。
「『眠りの鐘』を貸せじゃと?」
「はい……どうも、よっぽどの事のようです」
先ほどから、どうも学院の中が騒がしい。人々の悲鳴、走る足音。魔法の爆音も少し聞こえた。訝しげな表情をしながら、老いた学院長は事態の把握に乗り出した。

「お……! おおお! オールド・オスマン!」
生徒を誘導しているのは禿頭の中年教師コルベールだ。かなり焦っている。
「お呼びつけなどして申し訳ない! どうか頼みます!急いでください!」
「ミスタ・コルベール、どうか落ち着かれよ」
汗を総身にかき、恐怖に青ざめて震えている。一応歴戦のメイジである彼が、顔色を失っていた。

「………ミ……ミス・ヴァリエールが……拉致されました!」
「え!?」
「何時!!」
「今日の午前です! ああっあっ、頭の皮を……あの蛮人は化け物です! ヤツは気絶した彼女を抱えて、血刀を引っさげて学院をうろついています!
いまいましい!! 鎖で繋がれたまま召喚された時点で、ちゃんと危険性を認識していれば、こんな事にはならなかったのに!」

「しかし……それが午前中という事なら、もう学院にはいないのでは?」
「大体きみたちゃメイジだろう、蛮人の一人くらい魔法で片付ければ早かろうに」
もっともな指摘と叱責が二人から飛ぶ。
「いや、それが! ヤツの持つ錆びた剣は、あらゆる魔法を吸い取ってしまうんですよ! どうも何かの魔剣らしいのです! 人質もいますし…。それに、ついさっきもヤツを見かけた者がおりまして、急いで人をやって全ての門を閉じさせました! 急を要します! 会議に諮っている間などない! しかし衛兵の手が足りないのですよオールド・オスマン!! どうかこのとおり!」
コルベールは興奮して、早口で状況を説明した。

「わ……わかった、『眠りの鐘』を出そう。しかし、そんな相手に効くかどうか……」

学院の正門前。二人の衛兵が、内側を向いて見張りをしている。固定化魔法のかかった巨大な門は、すでに閉ざされていた。
「おい……」
「ああ……たぶん、あれだ……」

カッポッ カッポッ カッポッ カッポッ……

馬蹄の音。マントと革鎧を纏い、腰には鞘に納めた刀剣を下げた男が、馬に乗ってやってくる。トラクスだ。使用人を脅してか殺してか、馬を盗んで乗ってきたのだ。鐙を踏んではいない。彼の前には流血して気絶したルイズが荷物のように括り付けられている。剥がされた頭皮も一緒だ。

トラクスは最初に『主人』…ルイズを殺そうとはしたが、左手の奇妙な烙印がギリギリと痛み、それを止めた。だから気絶させて頭の皮を剥ぎ、手拭いにする程度で許してやった。脱出するための人質としても有効だ。

それに、剣を持つとこの烙印が光り、いつも以上に身が軽くなる。剣の最適な振るい方が、頭の中で完全に理解でき、その通りに体が動くのだ。この『マジナイ師』どもが奴隷を作る時に、護衛用に『力』を与えてくれたというわけか。有難い。

手に入ったのは、買われてきた錆びた剣と軽い革鎧、刀と短剣といくらかの食料、水袋、金貨と馬だった。これだけあれば、外に出てもかなり生きていける。欲を言えば弓矢なども欲しいが、奪えばよい。

また、この錆びた剣は凄いマジナイがかかっていて、敵の放つ烈風や火炎を吸い込んでしまう。しかも不思議な事に喋る。昔父祖から聞いた、神々や英雄の賛歌の主人公になった気分だ。

「ひゃひゃひゃひゃ、おでれーたぜ相棒! うまくいったなァ! ほれ、あの門を抜ければもう外だ! この『ご主人様』は殺すなよォ! ひょっとして身代金がガッポリもらえるかもなァア!!」
少しガラが悪いが、唯一言葉の通じる仲間であり武器だ。大切にしよう。
そう言えば、さっき『デルフ』とか名乗っていた。

トラクスは門から数十歩手前で止まると、習い覚えた異郷の言葉で叫んだ。

「門をォ――――――ッ!! 開っけろォ――――ッ!!」

「「!!」」
二人の門衛が、トラクスの剣幕に怯える。
だが、門の左右の詰所から十人ばかりの援軍が駆けつけると、武器を構え、楯を並べる。後列には四人ほど、弓矢を持った衛兵もいる。
「いっ、弓!? そんなに強いの? こいつ……」

「うううううううううううう……」
トラクスは門衛が増えたのを見ると、野獣のように唸り声を上げ、デルフを鞘から抜く。そして手綱を操り、馬を足踏みさせてから突撃させる!

「開けろ開けろ 開けろ開けろ 開けろ開けろ 開けろ開けろ」

タカカッ タカカッ タカカッ ダカカ ダカカ ダカカ ダカカ

「開けろ開けろ 開けろォ――ッ!!」

恐ろしい殺気を放ち、血刃を振りかざしてトラクスが襲ってくる!
弓兵が二人、矢を放つが、トラクスは身を沈めてかわし、馬首を返しながらそのまま横薙ぎに剣を振るう! 

「ぐがっ」

馬のスピードと遠心力をあわせ、達人の振るった魔剣は楯や武器を切り裂き、前列二人の喉笛を裂いて血の海に沈めた!

そしてトラクスは背を向けて猛然と離脱し、元の位置まで馬を戻す。敵に背中を見せる事を恥じない、騎馬民族スキタイ人得意の『ヒット&アウェイ戦法』だ。

ダカカッ ダカカッ タカカ タカカ タカカ

「げああああああ!!」
味方の断末魔の叫びと流血が、数では優勢な衛兵の士気を削ぐ。
「うっらアアアア!! 開ァけェろオオオオオオ!!」
トラクスはまた叫ぶと、再び真っ直ぐ門へと馬を走らせる!

ダカカ ダカカ ダカカ ダカカ ダカカ

「きっ、きたァ!!」
「馬だ!! 馬を射(う)てェ!! 人質には当てるなァ!!」
年長らしい髭の衛兵が叫び、まず敵の機動力から奪おうとする。相手には弓矢のような遠隔武器はない。

「ギヒヒヒーーーーン」

馬の胸や喉に数本矢が命中し、暴れた馬がトラクスとルイズを振り落とす。
だがトラクスはルイズを引っ張り上げつつ跳躍して倒れこむ馬を避け、トッと着地する。

おい! 応援呼んでこい!
「こっ、この人数で足りないすか!?」
「いいから早く行け!!」
槍や弓矢で武装した衛兵、合わせて十人ほど。しかし、徒歩のトラクス一人に勝てる気がしない。こいつには魔法さえも通じないと言うではないか! ただの衛兵の集団に勝てるとは思えない。

(メイジがこれだけいる場所なのに、役立たずとは!)

トラクスは血走った目をしてルイズを背負い、紐できつく縛りつけた。『背後の守り』だ。それからデルフを構え、雁首揃えた門衛たちを、ぎらりと睨み据えた……。

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