【hint.317】「感じる」ことでもうまくいく
山田 うーん。直接的な答えではないかもしれませんが、この活動を始める前に、もうひとつ別の違和感も覚えていたことを思い出しました。ちょっと大げさな言い方をすれば、世の中が「分断」されている気がしていたんです。
前野 分断ですか。
山田 競争する社会では、うちの会社とあの会社、うちの街とあの街、うちの家とあの家、この国とあの国とを絶えず比較します。そうして優越感を持ったり、負けないように努力しようと思ったりする。これがある種のモチベーションになって、世の中は発展し、良くなっていくと考える。ただ、その前提として「こっち」と「あっち」、「自分」と「他人」を分けてしまう。この分断が歪みを生んでいるんじゃないかという気がしていたんです。
前野 はい。
山田 この分断をどうしたらいいのかについて、ずっと考えてきました。それで、あるとき気づいたんです。「考える」という作業は、問題をシンプルにするために、複雑な物事をより分け、シンプルにして、分析していきますよね。そうすると、どんどん細分化していっちゃう。科学の世界が細かい専門分野に分かれていくのと同じです。ですから、分断について「考える」ということをすると、さらに分断することになるんじゃないかと思ったんです。どこまでも続いてしまう。
前野 ふうむ。
山田 じゃあ「考える」の反対は何だろう。それは「感じる」ことじゃないかと思いました。ですから、感じる力をもっと大きく、強くするためには、感覚を開く。それがぼくなりの答えといえるかもしれません。
(無意識対談③ × 山田 博/前野 隆司 著『人生が変わる! 無意識の整え方 - 身体も心も運命もなぜかうまく動きだす30の習慣』/ワニ・プラス より)
「すごく仲良くさせる」というところまでを目指さないにしろ、「分かれて」いたり、「離れて」いたりするものが、「一緒に過ごし続けられる」ためにできること。
「考える」ことはそのひとつになる。
「考える」ことって、言葉を使うから、「言葉を使ったやりとりをする」と言い換えても良さそうだ。
「感じる」こともそのひとつになる。
「考える」、「言葉を使ったやりとりをする」のではなくて、ただ一緒に過ごしてみたり、一緒の場所で同じことに取り組んでみたりする。
「感じたものを伝え合う」、ここまでは、「感じる」なのかなとも思う。
伝えあったものに対して「ジャッジをしない」という感覚と言えば、もうちょっとわかりやすいかな。
何か、お互いのことをわかり合おうと、言葉を使って話をしたり、考えて、それをまた伝えたりするって大事。
そういう時間も楽しいし、役に立つし、絶対に無くなっては困るものだとも思う。
ただ、「まぁまぁまぁ、まずちょっとやってみようか」って、一緒に「感じる」、これもやっぱり大事。
いくら、おにぎりのことについて話をし、考えたところで、おにぎりそのものについて、わかったようで全然わかっていない状態でしかないもんね。
「おにぎりはこっちの方がいい」
「いや、そっちのより、こっちの方がいいの!」
でも、目の前にどちらのおにぎりもない状態なのに、こんなふうに分断されてしまうことも、けっこうあるんだよね。
実際に今、おにぎりが目の前にあるのであれば、それを感じれば早い。
手に取ったり、匂いを嗅いだり、食べてみたり。
「まぁまぁまぁ、まずちょっとやってみようか」って。
そうすることの方が、楽しくて役に立つことも、やっぱりたくさんあるんだよなぁ。
忘れないように気をつけよっと。
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