見出し画像

モーパッサン『モーパッサン短篇選』を読んで

『モーパッサン短篇選』モーパッサン 2002.8.20 発行  岩波文庫

内容
 鋭い観察力に支えられた、的確で抑制のきいた描写、余韻をたたえた味わい深い結末。モーパッサン(一八五〇‐一八九三)は、十九世紀フランス文学を代表する短篇小説の名手で、実に三百篇以上にも及ぶ短篇を書いた。その数ある作品の中から厳選に厳選を重ねた十五篇を収録。新訳。

岩波書店より

 本書は、15の短編が収録されており、人間の本性や人生の残酷さ、そして時に人の優しさが、短篇の尺の中で切れ味鋭く描かれています。

 また、多種多様なテーマがあり、充実した読後感でした。以下は、印象に残った作品。

「椅子直しの女」

 報われない一途な女性の恋心を描いています。

 偏見や偽善への嫌悪を原動力に、生薬屋を笑えるくらいに馬鹿で卑しいキャラクターに仕立て上げています。

「初雪」

 女性の孤独感や、男女がお互いを理解することの難しさを描いています。

「首飾り」

 1つの躓きが一生を左右させてしまう、虚栄心と嫉妬心が人生を狂わせる様子を描いた作品で、思わぬ悲劇の結末が心揺さぶります。

 貧しい夫婦の10年にわたる辛苦が、最後の一文で、まったく無意味なものになってしまいます。いわゆる「どんでん返し」の作品です。知らなくてもよかったこと、知らなければ幸せだったこともあるでしょう。

「シモンのパパ」

 特に印象に残った作品。 親子の愛情を描いた作品で心温まるストーリー。

ブランショットにたいする母親たちのさげすみの気持がこれまでは納得できなかった。それが今では同じようなさげすみの気持が、子供たちの心のなかでもぐんとひろがっていくのが感じられた。

『モーパッサン短篇選』モーパッサン 24頁

 おそらく、子供たちがブランショットに対する母親たちの蔑みの気持ちがこれまで納得できなかったのは、宗教や男女の事情というものを分かっていなかったからだと考えられます。

 この時のフランスでは、姓は父親の姓を名乗るのが法律で決まっていました。一般的に父親がいないことは合法的に考えると死別しか考えられませんが、シモンの場合、父親がいない上に姓がないということなので結婚していない婚外子になります。
 また、フランスはカトリックの国です。カトリックの結婚に対する考え方は、結婚は一生に一度だけで、離婚は禁止されていました。結婚以外で子供ができることは、宗教上の罪とされ、差別の対象になります。

 したがって、父親が子供を認知していないということからブランショットが男に騙されて過ちを犯した「ふしだらな女である」ということ、それが母親たちの蔑みの気持ちです。

 一方、子供たちは、父親がいないことがわかって「自分たちとは違う」という意味での蔑んだ気持ちになります。

 似たような例として、親が離婚して姓が変わり、周りから不思議な目で見られる、もしくはかわいそうな目で見られることも挙げられると思います。

 一人きりになると、父親のない子は、野原のほうに向かって駆け出した。それというのも、この子はあることを思い出し、そのせいで重大な決心をしたからだった。川で溺れ死のうと決心したのだ。

『モーパッサン短篇選』モーパッサン 27頁

 シモンは「川で溺れ死のうと決心」しますが、川のほとりまで来て「水が流れるのをじっと見つめ」以後の彼の行動には、その「決心」と矛盾する子供らしい特徴がみられます。

 大人の決心は、熟考を重ねた上で「もう死ぬしかない」という結論を出したので、他のことは考えず、決意は揺るがない状態ですが、シモンの行動から読み取れることは、自分の感覚に正直に従い赴くままに反応して、思考が絶えず変化しているので、いかにも子供らしい特徴がうかがえます。

しかし、男というものの御多分に漏れず、フィリップにも多少のうぬぼれがあったので、自分と話しているとき、ブランショットは、普段よりも顔を赤らめがちのような気がしていた。

『モーパッサン短篇選』モーパッサン 33頁

 「フィリップにも多少のうぬぼれがあった」とありますが、そのうぬぼれとは何のでしょうか。

 3か月の間、フィリップはブランショットの家のそばを通っていたので、村人たちの噂になっており、フィリップは村で唯一ブランショットと話す状況になっています。
 村人たちの噂になっているということは、フィリップ本人の耳に入っていると予想されます。そして、相手のブランショットは村一番の美人なので、噂が広がっていることについては、フィリップは悪い気はしないと思っています。

 また、シモンに対してもほとんど毎夕のように一緒に散歩していたので、父親らしい優しい態度で接しています。

 これら二つの理由のことから、フィリップはうぬぼれが生じています。

 似たような例だと、他の人にはそっけない態度なのに、自分にだけ優しくしてくれると思い、もしかして自分に気があるのではないかと思いこむことも挙げられると思います。
 噂にもなっていることからフィリップがうぬぼれてしまうのも仕方がないと思うと同時に、自分を好いているのではないかと思いこむのも男性なら当然の思考だなと思いました。というのも、恋愛するにしても最初は自分が相手を好きでいる状況で、もしかして自分のことが好きなのではないかと思いこむ、妄想すること、勘違いは今現代でも共通してあるなと思ったのが、印象に残っています。

フィリップは、鉄床に立てたハンマーの柄の上で大きな両手を組み、その甲に額をのせた。そして考えにふけった。

『モーパッサン短篇選』モーパッサン 35‐36頁

 「フィリップは、鉄床に立てたハンマーの柄の上で大きな両手を組み、その甲に額をのせ、」「考えにふけった」とありますが、おそらくブランショットと結婚するということ、つまりシモンの願いを聞き入れるかをフィリップは考えていると思います。

 しかし、もしブランショットと結婚した場合、ブランショットに向けられているのと同じ差別を自分に向けられる可能性があります。

 当時のフランスでは、結婚は一生に一度で、結婚したら離婚できないという考え方だったため、とりあえず結婚するかという考えはできません。

 そこまでの覚悟と責任はあるのかとフィリップは真剣に考え、自問自答をしているため、考えにふけっていると考えられます。


 ラストシーンについて、フィリップと『脂肪の塊』のコルニュデの共通点があります。それは周囲に蔑まれて差別されているヒロインに、唯一の助け船とどちらも成り得る存在です。

 コルニュデの場合は、助けようと思えば助けられる位置にいましたが、自分の身を守るためにリスクを負わずに、ブール・ド・シュイフを助けませんでした。

 フィリップの場合は、リスクを考えたうえで、覚悟と責任をもって、シモンとブランショットを助けました。

 同じような状況でも、このような違いが見れることは興味深いです。


 ここまでお読みいただきありがとうございました。また次の記事でお会いできたらと思います。

この記事が参加している募集

読書感想文

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?