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日々ののたれ書き

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ちょっとした読み物を集めたマガジンです。
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記事一覧

永井宏の『雲ができるまで』を読んで、読書の自由を思う。

 コミックスのようなサイズ。表紙カバーはなくまっ白な紙のクロスの表紙。タイトルやロゴ、著者、出版社の名前が淡い空色で刻印されている。永井宏。『雲ができるまで』。信陽堂という聞いたこともない出版社。だが、本を手に取るとわかる。とても丁寧に作られた本だ。  永井宏は美術作家という肩書きを持ち、八〇年代には雑誌「BRUTUS」の編集にも関わっていた。二〇十一年に亡くなっている。  本書は三度目の復刊となるが、手がけた信陽堂の編集者も永井と仕事をし、その影響を受けた人物である。装

失われたXX年と『オン・ザ・ロード』

 出発の日は二日酔いだった。たしかにワインを1本呑んだが、二日酔いになるほどではない。はずだった。しかし、バッチリ二日酔いのまま、新幹線に間に合うように家を出る。  最寄りの駅まで歩くのが面倒だったので、タクシーを拾う。私を見て、運転手は「帰省ですか」と尋ねてくる。 「ご両親も帰ってくるのを楽しみにしているでしょうね」  とかそんな話をした。マスクをしていたからわからなかったのかもしれないが、私はまあまあのおっさんだ。帰ってきて喜ぶようなものでもない気がする。    新幹線に

パン屋が朝にやってない

 最近、パン屋が朝遅くない?  在宅ワークになってからは、油断すると日中ほとんど外に出ない、なんてことになってしまうので、意識的に朝は散歩するようにしている。  スケジュールの都合もあって、大体7時頃にふらふらと上下無印の服で歩いているのだが、その日は、なんかパンでも食べたいなあ、サンドイッチとか良さそうだなあ、と思い、パン屋を見つけたら、何か買おうと思っていた。  ところが開いてない。どこも開いてない。パン屋って朝早いものじゃないの? と思いながら、スマホで検索してみると、

『一汁一菜でよいという提案』を受け入れる

 『一汁一菜でよいという提案』を受け入れてみようと思った。  なんだそれは? 誰がそんな提案をしているのだ。と思った方もいらっしゃるだろう。言い出したのはわたしではない。土井善晴さんである。  有名な料理研究家の土井さんの書籍『一汁一菜でよいという提案』の中で提案されている考え方である。どういうことかと言えば、食事はご飯、お味噌汁(野菜多め)、お菜(漬物)という最低限のものさえ揃えれば十分であるという提案だ。要するに、わざわざ一汁三菜揃えたり、豪勢な食事を用意したりすることは

川越と『詩人と女』

 大型連休に出かけなければいけない、ということは全くないはずだが、私は埼玉県の川越市に出かけた。何をしに行ったかといえば、一応観光だ。  前日は珍しく、酒を飲まずに寝たので朝はすこぶる快調だった。逆に少し眠り過ぎたくらいである。予定より1時間ほど遅れて、出発した。とはいっても、誰かを待たせたわけではない。A氏と川越で合流する予定ではあるが、時間も決めていない。私は川越に向かう電車に乗った。  車内は混んでおらず、座りたい者は座れて、座りたくない者は座れないといった所。私は座

ロールアップでいいじゃないか

 ロールアップでいいじゃないか。私は最近、こんな風に考えている。何のことか? もちろん、パンツのロールアップのことである。  私のパンツは大体、ロールアップしている。ロールアップする必要のない丈のパンツまでロールアップしている。もはやロールアップでいいじゃないか、というよりは、ロールアップで行こうじゃないか、というスローガンめいた強迫的な考えに及んでいる気すらする。何でこんなことをしているのかといえば、心の安らぎの為だ。  ロールアップがなぜ心の安らぎなのか? それはパンツ

人生で一番食べるであろうハムエッグに投資する

ここ数年、朝ごはんが大体同じ。 ハムエッグ。ご飯。味噌汁。たまにパンの時もある。 在宅ワークになってから、家で朝食を食べる機会が増えたので、さらに食べている気がする。 自分が死ぬまでの間に、たぶん人生で一番多く食べる気がする。どんな好きな料理より食べるはずだ。ハムエッグ。たまにウインナーエッグ。 そんなわけだから、いつの頃からか卵はちょっと高級なものを買うようにしている。 高級といっても1個50円くらいのものだ。コンビニでおにぎり買うよりも安い。 そこまで繊細な舌をしている

町田康『しらふで生きる』を読んで、分断社会を思う。

この本の発売を知って、最初の感想は「なんでや!」だった。疑問というよりは非難に近い「なんでや!」である。 というのは、16歳くらいにヴィレヴァン(ヴィレッジ・ヴァンガード)で町田康の本を手にとってから、10代の時はそこそこ夢中に読んだ人間からすると、町田康の断酒宣言はちょっとした裏切り行為のように思えたからだ。 町田康の小説・エッセイ・詩には酒が出てくる。美味そうに飲んだりするわけではない。小説の登場人物やエッセイの本人のどちらも逃避や中毒のようにくわっと酒を飲む。一杯飲ん

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『天才たちの日課 クリエイティブな人々のかなずしもクリエイティブではない日々』を読んで、クリエイティブとかいう呪いについて思う。

ちょっとした読み物を読みたくて、読んでいた本です。 有名な作家や作曲家、画家、学者とかの職業についている人たちがどんなルーチンで生活しているのかということを、証言や記録から引っ張り出して、淡々と書いています。 重たい内容のものは読みたくないけど、読書の体験だけはしたい時に読むのにはぴったりな内容かと思って読んでました。 で、これを読んでわかったのは、どんな天才的な仕事を成し遂げた人も、日々のルーチンを守ることにかなり苦心していたのだ、ということです。 もちろん、ものすごく機

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ぞなもし創作ノートその2 キャラクターには神話的と人間的があるぞなもし

キャラクター。 物書きが言うキャラクターとは、ほぼ性格についてのことを言っていると思う。 人生の都合で、「キャラクターとはなんぞや」「返答せい!」と独眼鉄のようなことを自問しなければいけない時がままある。 なのでアウトプットという意味で、ここにちゃらちゃらと書き殴ろうと思う。 まず最初に、個人的な考えだが、キャラクターには大きく分けてふたつのパターンがある。と思う。 ① 神話的キャラクター ② 人間的キャラクター 簡単に要約すると、 ①神話的キャラクター   └成長

『父が娘に伝える自由に生きるための30の投資の教え』を読んで、自由を考える。

タイトル長い。 最近、多い。こういう系のタイトル。 この本に関しては、このタイトルはマーケティング的にどうなんだろうとちょっと思った。 内容が一ミリも伝わらない。 この本の隣に並ぶのは、『○○で1億稼いだ✗✗が教える△△』とかなので、圧倒的に弱い。 ちょっとオシャンに全振りしすぎよ〜、と思わずにはいられない。 それはともかくどういう本かというと、アメリカとかで流行っている「FIRE ( Financial Independence, Retire Early ) ムーブメン

ぞなもし創作ノートその3 〜ログラインで分析する面白いストーリーに共通する考え方について〜

ログラインという考え方がある。 話によると、ハリウッドの映画業界で脚本家とプロデューサーのピッチセッション用の考え方だそうです。 脚本家「面白い企画がおまんねん」 P「ほな、いっちょ聞きまひょか」 脚本家「えー、ことの起こりは、紀元前の~」 P「ちょい待ち。それ、紀元前の話ですか? 『ベン・ハー』みたいな」 脚本家「ちゃいます。現代ですわ」 P「そら君、そこから説明されたら、よう聞かんわ。わてかて暇ちゃいまんねん」 脚本家「ほうでっか。ほなどうしまひょ。めっちゃおもろいはず

agree出来ない夜

事の始まりはアニキのツイートからだった。 「歌(や)るか」「歌(や)ろうか」「歌(や)ってやるってばよ」とジャンカラの会員半額デーに過敏に反応したアニキのつぶやきに、分隊長含む隊員たちのノリと勢いと日々のストレスからの解放を求める精神がよくわからないベクトルを描いて、話が挙ったのが前日にもかかわらず、翌日のカラオケ祭りの開催が決定された。その間に交わされた事務的な連絡といえば場所と時間を伝えるアニキからのメールくらいで、もう二十代の終わりに差し掛かっている人間がこんな衝動的で

マーク・ロスコとカフカの『変身』

 朝、目が醒めて、自分が虫に変身していたとしたら、一日目は驚くかもしれないが、二日目、三日目と日が経つにつれて、案外、自分が虫であることを受け入れて、それっぽい振る舞いすら行い始めるのではないか。  人間の『自己』は自らが、自分らしい判断や振る舞い、容姿を実現しようとする不断の行為と認識の循環であり、一旦、その系(すじ)が切れてしまう、もしくは逸脱してしまえば、人はその系を捨てて、別の系へと移行するのではないか。    睡眠から覚醒とは、つまるところちょっとだけ死んで甦り、自