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詩の朗読「死にゆく蝉」

ハザカイユウ
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詩を朗読させてもらいました。

「死に逝く蝉。」 高梨蓮 作
https://note.com/takanashiren/n/n49588d3eae4c

 最近、よく通路に蝉が落ちているようになった。
コンクリートよりもせめて土、と脇に避けてやろうとすれば
最後の力を振り絞り喧しく鳴いて僅かに飛んだ、その距離も近くて切ない。

 蝉の寿命は短い。
 ほぼひと夏、それを過ぎれば桜が散る如くに屍を晒す。

 だが実のところ、それに特別の感慨があるわけではない。
なんとなれば所詮定命、せみのひと夏、ひとのももとせ、
いかばかりの違いならん。

 むしろ、哀しいのはその死したるところで、
なんの因果以てアスファルトだのコンクリートだのの上で
何の餌食にもなれず渇き死にゆかねばならぬのか。

 それとほぼ同じ理由で道の上で乾き死にゆくミミズが嫌いだ。
 通りすがりざまにまだ息のある弱りかけたミミズを
一匹二匹と薮に投げたところで焼石に水、
あまりにも多くの数がそれこそ数え切れぬほど死ぬ。

 アスファルトを越えて死体を引いて行くのは蟻くらいしかあるまい。
 残りはプラスチックのごみ箱へか、
およそ命ある物と生まれて連鎖の輪に収まり切れぬその虚しさか。

 たが私にそれを糾弾する資格もない、
私自身がアスファルトとコンクリートを必要とする
人間であるからには。

 私は高梨蓮さんが試作の中で切り取る場面と、そこに語られる心情に、いつもグッと来ます。

 そこには世の常と無常がただ淡々と書かれてあり、でもそこに想いを寄せているからこそ、その場面を切り取るわけで、とても繊細で優しい、情熱と冷静の間を紡ぎ合わせるような言葉使いに絡めとられてしまいます。

読ませてくださった高梨蓮さんに感謝を込めて。
ありがとうございました。

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