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30歳を境に変わり始めたこと#4.2

#4.2 コロナ禍との遭遇~力をつける・自身を見つめなおす~

「今日から少なくとも1か月、一部の部署を除いて会社は休業となります。」

4月、上記の通知とともに、#4.1で登場したその人は役職が上がり、課長となりました。同時に私の上司にもなりました。休業中、対面することがなく、つかの間の解放期間でした。

「少なくとも1か月は休業か・・・せっかく時間ができたんだから、やれることはやっておこう」

私は以下の6点を、上から順に毎日のルーティーンとして取り組みました。(もちろんできない日もありましたが・・・)

1.休業前と変わらない時間に起床する
2.朝日新聞の天声人語をノートに書き写し、それに対する自分なりの意見を書く
3.オンライン英会話を1日1回受講する
4.近くの川の堤防沿いを5kmランニングする
5.VBAを使ってマクロファイルを作る練習
6.本を読む、そして自分を見つめなおす

それぞれについて説明します。


1.休業前と変わらない時間に起床する

休業だからといって夜更かしして、遅く起きる生活が身についてしまっては大変です。社会復帰できなくなりますし、大学・大学院時代の昼夜逆転生活に逆戻りです。朝は6:30に起き、夜は遅くとも0:00には寝るようにしました。ただ途中からは、自分の意思が弱く、2度寝、昼寝の時間が多くなりました。

2.朝日新聞の天声人語をノートに書き写し、それに対する自分なりの意見を書く

なぜこれをやったのか?それは、言語化能力があまりにも低いと感じていたからです。

パワハラ上司から「話がダラダラ長く、何を伝えたいのかわからない」「もっと相手の立場に立って話したり、メールしてくれ」「オレ以外の誰もが君とのコミュニケーションに苦労している」「今までよくそんな体たらくでコミュニケーションに支障なく仕事やってこれたね」といったことを言われ、ひどく自信をなくしていました。

その上司から言われる以前からも、親から「〇〇(私)は内向的で口下手だからね。仕方ないよね」「私みたいにはっきりと要点を踏まえて落ち着いて伝えればいいのに」とか、友人から「○○(私)は話にオチがないから面白くない」「事実だけ淡々と話されても、で?ってなるよ」といった感じで、「自分は話す、伝える行為が本当に苦手なんだなあ。なんでこうなってしまったのか・・・」と、言われる度に落ち込みました。

そして、そうやって周囲から刷り込まれていく内に、それが当たり前なんだと認識するようになりました。学生時代は、頑張って試験で高得点取れば事足りますが、仕事となると自分だけでなく、周囲とのコミュニケーションが必要です。

パワハラ上司から弱点を指摘され、さらに弱点に追い打ちをかけるようなことをされたため、とても苦しかったです。ですが、自分の弱点を見つめる良い機会になり、少しでも良くなりたい、と改善に向けて動き出せたのは不幸中の幸いです。

「言語化改善のために何をやろうか?いきなり作文や小論文、ましてやBlogなんて書けっこないし・・・」「そうだ!新聞の社説などを書き写してみることから始めようか」と思い立ち、とりあえず朝日新聞の購読をはじめ、天声人語を書き写すことにしました。

私は池上彰さんの本を何冊か読んでおり、その中の「伝える力」では、池上さんが新人記者時代に取り組んだ内容として「先輩の原稿をひたすら鉛筆で書き写し、ニュース原稿の書き方を頭と腕に叩き込んでいった」が紹介されていました。今でこそ池上さんは日本を代表するジャーナリストですが、キャリアの原点は放送局記者であり、記事を書くのに大変苦労したそうです。

私は池上さんを真似てみようと思い、かつ、朝日新聞購読の際、天声人語書き写しノートを一緒に受け取ったので、「まずは天声人語の書き写しからやってみよう」となりました。

当時、あまりペンを持って文字を書いていなかったので、学生時代に戻ったような感覚でした。1文字1文字丁寧に書いていくと、小学生時代の習字教室(硬筆もやっていました)を思い出し、懐かしくなりました。

一方、丁寧に書くことに集中し過ぎ、内容を追えなくなり、結局書き終わった後に再度内容を見返すといったムダなこともやっていました。書き写したあとは、その記事に対して自分なりの感想を余白に書きました。

絶大な効果があったかと言うとそうではないですが、世の中の動きを知りつつ(とはいっても時期が時期なのでコロナの話題ばかりでしたが)、執筆者の書きっぷりを真似ることで、文章の構成というか、流れの大枠をつかめた気がします。

実は最近、とある試験で小論文を書く機会があったのですが、タイトルと本文それぞれ記入が必要で、なかなか斬新なテーマでした。書いているうちに、「なんか社説っぽくなってきたな?」と感じ始め、最終的にタイトルを「社説 ~XXXXX~」に変えました。まさか小論文で社説調になるとは思いもしなかったです。1時間で1000字の小論文でしたが、このBlogの甲斐あってか、苦も無くサラサラと書き終え、十分な見直し時間もありました。Blogは小論文対策に効果的と思います。

3.オンライン英会話を1日1回受講する

現在も続けていますが、最近は週に1回(土日のどちらか一方)できればいいところです。できれば、週に2回はチャレンジしたいところです。#2でも書いたように、海外出張時のプレゼンで苦い思いをしています。それを少しでも克服できればという思いもあり、はじめました。

私が利用したのは以下、産経オンライン英会話Plusです。

主にフィリピン人講師が担当してくれます。時間は25分です。専用のレベル別、職業、シーン別テキストを使ったり、自分で記事を選んでそれについてディスカッションもできます。

最近は自分で記事を選んでディスカッションする形式にしています。また、ある程度回数をこなしてきたら自分に合う先生が見つかるので、その先生を毎回指名して仲良くなればより会話がはずみます。

この産経オンライン英会話ですが、当時お付き合いしていた人(今の妻)がオススメしてくれたものです。彼女は以前から受講しており、お付き合いをきっかけに「一緒に頑張ろう!」ということで私もつられてはじめました。

ちなみに彼女が「私のこれまでの人生観、仕事への向き合い方、モノの見方や考え方を一変させるきっかけとなる人」の2人目です。それだけ彼女との出会いは大きなものでした。

4.近くの川の堤防沿いを5kmランニングする

学生時代、陸上競技(中長距離)を経験したこともあり、ランニングは結構頻繁にしています。最近は以前に比べるとだいぶ減っており、30代での体力低下をなんとか阻止したいものです。

当時の住まいの近くには、徒歩15分ほどのところに大きな川が流れており、堤防も整備されていました。都市圏に属しながらも自然豊かで癒されます。

休業当初、5kmを走り始めるのですが、「結構息が上がる、あれ、こんなに脚が重かったっけ?」と。「5min/kmで走れていない?こんなに息が上がるなんて、もしかしてコロナに感染している?」と不安にもなり、お休みすることもありましたが、今のところなんともないです。家にこもり切りの毎日にとって、ランニングは良い気分転換でした。

5.VBAを使ってマクロファイルを作る練習

これにだいぶ時間を割きました。今の部署でもそうですが、エクセル帳票やエクセルデータを処理する機会が多く、関数を駆使してやっていますが、それではどうも限界があります。

大量のファイルや指定のセルに対して機械的動作を手動でやるのは大変非効率です。なんとかしたいし、仕事の出来る同期はマクロを使いこなしていました。

休業前に、彼はPythonを使って、エクセルのデータベースファイルをとある生産管理システムに読み込ませる動作を独学でやり遂げており、周囲も驚いていました。彼とは言語化能力だけでなく、デジタル関連でも圧倒的な差をつけられており、なんとかしてこの差を埋めたいと思いました。

とはいっても、マクロの習得はなかなか思うように進みませんでした。学生時代にC言語を習ったにもかかわらず・・・C言語の授業はだいぶサボっていたので、今となってはかなり後悔しています。

例えば、i = i + 1の概念がよく理解できず、躓きました。「なぜ1 + 1が1になるんだ!?」とだいぶ混乱しましたね・・・これはiにi + 1を代入するという意味で、繰り返し系(For Next、Do ~Loopなど)のコーディングでは必須知識です。

苦労しながらも意味を理解し、おかげで自力で機械的な単純作業はマクロ化できるようになってきました。次は同期が独学で習得したPythonでしょうか。バグが出て解決できないとイライラしますが、解消されて思い通りに動作したときの快感は忘れられないです。

6.本を読む、そして自分を見つめなおす

休業に入る前から「今のままではまずい」と思い、ビジネス関連書をあさるようになりました。

ロジカルシンキング、なぜなぜ分析、インプット/アウトプットの仕方、時短仕事術、仕事ができる人・・・といったタイトルの本です。私は今までこんなタイトルの本を手にしたことがなく、かなりアレルギーがあり、買ってみたものの、読むのに時間はかかるは、途中で退屈になって挫折するは、で酷いものでした。だいたい書いてある内容はどの本も同じだし、具体的に何をすればいいのか?それが書いていない。読んでも、「で?結局どうするの?頭ではわかっているけど・・・」といった考えしか浮かばず、仕事にも活かせず、モヤモヤしていました。抽象的な概念の理解が難しかったようです。

休業中には、こういったビジネス書もいいが、もっと精神的な部分にアプローチしてみようとなりました。手に取った代表的な本が「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」「自分の中に毒を持て」です。

いずれも超有名な本ですが、アドラーの考え方は私にとって常識を覆すもので、当初はなかなか受け入れられず、違和感、怒り、といった感情が渦巻きました。特に、

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」

という言葉は自分の心に刺さりました。当時のパワハラ上司は「私を水辺に連れて行っているのではないか?でも私は飲むことを自ら拒否しているのではないか?」と。「上司がすべて正しく、私がその正しさを理解できない、というか、私の頭が邪魔していて、かたくなに理解しないでいるのでは?」と。

ですが、この「水辺に連れていく」とは、単に「相手のためを思って」ではなく「相手が支援を求めてきたときに相手のためを思って」が正しいと今は理解しています。

また「水を飲む」は、①「理解できているが水が飲めない」、②「そもそも理解できていなくて水が飲めない」の2パターンがあると思います。

①「理解しているが水が飲めない」は、相手に良いと思ってしたことが相手の信念や軸と合わず受け入れられない場合。または、水だと思っているものが、相手からしたらどう見ても硫酸にしか見えない(=飲んだら死ぬ)といった価値観の違い。

②「そもそも理解できていなくて水が飲めない」も、相手との価値観の違いや前提条件の違いがあって、相手は飲みたいのに飲めないのかもしれない。または、相手が非定型発達・発達障害を抱えていて、そもそも、生まれつき言っていることが理解できない、など。深く、多面的に考えればいろいろな状況が思い浮かんできます。

当時は上記のような理解ができず、単純に上司が正しく、私が一方的に悪い、と捉えていたため、かなり苦しく、自己肯定感も低かったです。

また「嫌われる勇気」には「過去を振り返るな」「過去も未来も関係ない。今この瞬間だけにスポットライトを当てよ」と書いてありますが、捉え方によっては「じゃあ、辛かった過去、恥ずかしかった過去、どうしようもない過去を忘れろというのか?そんなできもしない、酷なことをしろというのか?」となりそうです。

ですが、これは間違った解釈で「過去は関係ない」のではなく「過去の出来事が今に影響を与えているのは間違いないが、その過去の捉えようはいくらでも変えられる」ということです。

私もそうですが、みなさんの中で、好循環のときは過去が良いものに見えたり、悪循環のときは思った以上に悪く見えてしまう傾向はないでしょうか。つまり、過去とは思った以上に曖昧なもので、現在からみればいくらでも改変可能だということです。

今、私が書いているBlogも過去を書いていますが、書きようによっては表現の仕方が幾通りにも及ぶでしょう。書いたその日の調子や外的要因なども影響するでしょう。ただ、好循環、悪循環によらず絶対に捉え方の変わらない過去もあるはずです。

それは自分の今の軸、信念に直結するものだと思います。もし、それがネガティブなものならば、目を背けず、全身全霊を注いでその事実を受け止め、自分を癒していく必要があるでしょう。それが根本的に、究極的に、成長するための原点だと考えています。

長くなりましたが、後半の内容は以下の本を参考にしています。ご興味があれば是非お読みください。

次に岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」は、「転職するか否か」の場面で読みました。

当時、本当にパワハラ上司と離れたくて、「自分の得意と思われる、自分の能力がいかんなく発揮できる場所に行きたい」と強く思っていました。

実際、コロナ禍に突入する以前から転職活動をはじめ、コロナ禍中にとある製造業ベンチャーから内定をいただくことができました。それ以外にも書類選考は通過することが多く、「こんな能力の低い自分であっても必要としてくれている人がいるのか」と感激しました。

「自分の中に毒を持て」には、「迷ったらあえて厳しい、いばらの道を進め」と書かれており、「果たして私にとっていばらの道とは、転職することなのか、それとも、自社に残留することなのか?」とだいぶ悩みました。

転職について両親に話をすると絶対に反対されるため、すでに転職していった会社の友人、高校時代の友人、弟、仲の良いほぼ同い年の親戚など、利害関係なく客観的にアドバイスをくれるであろう人々に相談しました。

結果、誰に相談しても残留する方が無難だろうとなりました。それでも私は「転職してみたい」という気持ちが捨てきれず、悩みに悩みました。おかげで、休業中に実践していた「1.休業前と変わらない時間に起床する」が途中からできなくなってきました。ランニング中、河原に出て、「自分はどちらの道を選択すべきなのか?」と川に問いかけましたが、もちろん川は答えてくれません。それほど悩みました。

最終的にどうしたかというと、絶対に反対されるであろう親に相談してしまいました。親はもちろん反対。「その内定先の企業は叩き上げかつ業績も伸ばしていて素晴らしい」と言っていましたが、やはり、「ベンチャー、従業員数が少ない、ワンマン社長ではないか?」といったところを気にしていました。

親からは「従業員数が少ないと1人1人の動きが社長から丸見えだ。常に監視されていると思って働いた方が良い」「1人1人の責任の重さが半端ではないだろうし、いつクビを切られてもおかしくないのでは?」「給料だってガクッと下がる。今お付き合いしている人とはどうするのか?結婚を考えている中転職なんてしていいのか?」「今うまくいっていないなら転職してもうまくいくはずがない」「小さい会社は酷いやつが多い。その点はお父さんが経験済みだ。もっと酷いパワハラ上司に当たるかもしれない」「そもそもそれは本当にパワハラなのか?○○(私)が勝手に感じているだけでは?」「今の会社なら潰れないしコロナ禍でも安心だ」「逃げるのか?」と言われ、諭されました。

言われたことは重々承知の上でしたが、やはり、親に相談するということは心のどこかで「転職するのが怖い」「例えパワハラを受けていても残留する方が安全だ」と思ったからでしょう。「親だったら今の私の暴挙を止めてくれるだろう」といった期待感もあったかもしれません。

結局辞退し、今に至ります。辞退後は「パワハラされていても、自分にも悪いところがある」「今の状態で転職しても自己肯定感が低く、同じことを繰り返すことになるだろう」「パワハラ上司はいつか去る。そこから一気に回復して、十分な成果を出し、今の会社ではもう十分やり切った、となったタイミングで転職するならしよう」と自分を納得させました。

ただ、岡本太郎さんから「お前はいばらの道を選んだのか?」と質問されたならば、残難ながら自信をもって「YES」とは答えられないでしょう。

長くなりました。結局2か月休業となり、久々の出社を迎えました。再びパワハラ上司と対面での仕事が始まります。つづきは#4.3に書きます。


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