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階シリーズ

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足を出しても進まない。膝を上げても昇れない。下っていくほど深くはない。 旅ではなく、迷い躓くための「階シリーズ」の詩集。
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記事一覧

階の一 「レインラグの劇場入り口にて」

大理石で設えられた劇場の入口で 二人の男が君を待つ 一人は剣を携え 一人は天秤を掲げている よく似た双子の二柱 剣の男は右眼が碧玉で左眼が蛍石 天秤の男は右眼が蛍石で左眼が碧玉だ シャンデリアの蝋燭が揺らめくたびに 男たちの瞳が煌めきを返す 階段を登り切る君を 観客として相応しいか見定める眼差し 君よ 測られることを恐れるな 彼らの足は石に縫い付けられたもの 君の足は段を乗り越えて 君を世界へ運ぶもの 君よ 刺されることに狼狽えるな 彼らの口は開かれることを許されぬもの 君

階の二 「蝸牛クレム」

劇場の入口を抜けたら 巨大な蝸牛がいた 名はクレム 道を修めるもの 無数の金色のピンを刺された 鈍い灰白色の殻を負い 行道を食み進めるもの クレムの這いずった跡は天の川よりも光り輝き 彼が這い回らなかった部分の道は 夜空より黒く染まってしまう まるで足の踏み場もない底抜けの暗闇 クレムは自分の足跡を辿られることは気にも留めないが 自分の足跡を横切られることを大いに嫌う 触覚を顰めて その巨体を戦慄かせたあと みずからの殻に閉じこもるだろう その時がチャンスだ

階の三 「太陽の下の牢獄」

螺旋の行く先は太陽の照らす箱庭の中の牢獄 中心となる噴水池をぐるりと囲うように 均等に並べられた柵つきの牢屋が 雛壇のように六段に重ねられている 牢に囚われているのは青々とした植物たち 葉を伸ばし 蔦を伸ばし 根を伸ばし 空にわが身を懸けようと藻掻いている 衣を脱ぎ捨てた看守たちが目線を切ると たちまちのうちに根は枯れ  蔦は千切れ 葉は焼け焦げる 他の株が見切られている間に 我先にと尖塔に絡みつく 花弁に仏性が宿っていたなら 蜜を求めて数多の媒介者たちが集っただろう

階の四 「ニューロとエルバー」

君の立ち上がったあと 残された木の椅子が 周りの石造りの灰のなかで その位置を示す時 見上げるほど高い柱よりも その空席が僕を刺す 「先に行くよ」と そんな空言を残して あの知識の山の頂まで半分の高さに達した 残りの半分は300年後に積み上げたあとで辿ろう 7合目で君を待つ賢人が 僕を待つ愚行を犯す前に 万華鏡の内側の ステンドグラスの虹が 空の色だけは映さずに 冬を作っている 監獄の中に入れずに苦しむニューロ 囚われの身になれず悶えるエルバー 君は登らなくていい ニュ

階の五 「それは人が支えし宮殿」

4000年をかけてそれは創られた 100年に一人の逸材を100年に一人ずつ用い 10の建材で構成された施設を1000年と見立て 4000年を4つの区画で表す宮殿 それは四季ではない――それは脳幹の頭蓋である それは四方位ではない――それは心臓の肺腑である それは四神ではない――それは背骨の踵である それは四君子ではない――それは内耳の目蓋である 設計士は永遠の象徴を生命の意趣に代えた 芸術家は郷愁の風景を神秘の意訳に換えた 建材は健在であったころの名を忘れられ 新たに名付

階の六 「ロレ・エアラヴィルの書店」

背表紙を眺めるだけで 読んだことになる本はないが 一通り読んでみたとて 背表紙の文字すら記憶にとどまらない本もある そんな本への復讐か そんな読者への嫌味か そんな作者への敬意か はたまた印刷業者への崇拝かは不明だが その本屋では棚に納められた書籍の背表紙を 遠くから眺めることしかできない 通路と本棚は硝子板で仕切られ 書籍を手に取ることは許されておらず 店員に持ってきてもらうこともできない ここは本の美術館や博物館のようなものだ 見上げるほど背の高い棚の本の背表紙を拝

階の七 「レサットとオズ・レノール」

肉肉しく絡み合う触腕が壁沿いを這う チーズケーキが食べたくて食べたくて 彼女は今日も髪よりも長く手を伸ばす あの蕩けるようなチーズの舌触り 思い出すだけの今日に耐えかねて 明日も髪よりも多くの手を伸ばす あの焦げた焼き目の歯と舌触りと 口内で崩れて混ざる甘味と苦味を 反芻する夢を昨日も忘れてしまう されど毎日毎日毎日の現実のなか 明かりなき部屋で指が触れるのは いつもたったひとつの肉の塊だけ チーズケーキのように甘くはない 満ちているくせ満たしてはくれず 蕩けているく

階の八 「小さな噴水」

水が 水が 水が 絶え間なく湧き 湧き 湧き 喉を 喉を 喉を 削るように乾き 乾き 乾き 腐り落ちた肉を 肉を 肉を 泳がせた 堀の外に針を垂らし 釣れますかな や 釣れませんな や 釣りませんな や 釣ろうとしてませんな や 釣りかねてますな や 釣りきれませんな 腰を椅子に縫い付けられた  小便小僧の大便が 泉の水を浄め この池に落としたものは こちらの小便ですか それとも こちらの大便ですか いいえ どちらでもなく どちらでもなく 混ざり合う 精霊の経血が 噴き

階の九 「美術館のモモ」

あたしこんなところにいるはずじゃないのよ ほんとはもっとステキなところにいるはずなのよ なんてったってあたしがいちばんステキなんだから 真っ赤なおべべが目立っているわ 目立ちすぎているのだわ まわりの絵なんか目じゃないわ こいつら生きちゃあいないもの 平べったくって 仰々しくって やってられないわ 澄ましたようで 苦々しい表情も 見ちゃいらんないわ そんなに鼻を近づけて 食い入るように見つめるもの? あたしのことを見なさいな 吐息がかかるほど近づいて 風に揺れる髪のリズムを 

階の十 「印度の井戸から」

印度の井戸から子どもが這い上がる 聖なる穢れた水の流れを胎として かつてふた親が危めた者の血を継ぎ 束ねられた因果を精として 小粒のチョコ菓子のように生まれてくる 「わたしはお前が燃やした柊の枯れ葉だよ」 「わたしはお前が聞き逃した土鳩の13番めの鳴き声だよ」 「わたしはお前が自転車に乗っていたから通れなかった道の先だよ」 「わたしはお前が…」 役に立たない白い柵を乗り越えて 濡れた脚でペタペタと乾かない足跡をつけて 子どもたちは世界へ拡がる 地表面を埋め尽くすように

階の十一 「聖地ソイデメアへ」

もう無理です セニョーラ この先を登らなくてはならないのですか 老骨に鞭打ちここまで来ましたが この先にある廟に参りたかったですが 足が動きません セニョーラ こんな遠くから見ても見上げるほど高い塔 とても辿り着ける気がいたしません 尖塔の先の十字架 あれは私の墓標でしょうか 爪が割れそうです セニョーラ あの噴水の側で しばし腰を下ろすことは叶いませんか 考え直すのであれば今ではありませんか セニョーラ ああ 脚が棒のようであればまだ良かった 我が脚はただひたすらに重

階の十二 「黒い服のバロネス」

黒い黒い服のバロネス 黒い黒い服のバロネス いつも窓辺に独り立ち 帰らぬ児らの看取り待ち 幸薄かれと願を掛け 価値弱まれと難を避け 明けぬ夜道の父を呼ぶ 巻けぬ鎖は宙を跳ぶ 黒い黒い服のバロネス 黒い黒い服のバロネス 瘤より役に立たぬ空 飛ぶより飽くの待たぬ法螺 貰い物より残した鉄漿に 暗い眼指落とした畝に 胸の空くよな しゃっくりひとつ 爪を剥くよな 徳利荷物   黒い黒い服のバロネス 黒い黒い服のバロネス お疲れの演をあの児らと見て お流れの宴をあの人と

階の十三 「ラーラ・ラーラ」

ラーラ ラーラ 高い高い塔の上から飛び降りて 窓ガラスに映る空の青さを粉々に砕いて 見上げることでしか知れない空なんか忘れさせておくれ ラーラ ラーラ 深い深い夢の底まで潜り込んで 追いかけてくる罪悪感から僕だけを逃して 曇り空に残してきた声の出し方を覚えさせておくれ ラーラ ラーラ 長い長い山脈の先から顔を出して 穢れた息吹で雪肌に霊薬を塗り込んで 地殻へと染み込んだ電流を途絶えさせておくれ ラーラ ラーラ 巡り巡る血で血を洗う右手首を掴んで 照り返す感情に萎えさせら