クリスマス映画に見るサンタ事情2023/手つかずの鉱床だと言い張ってみる
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本日20日を頂いてます! お送りするのは当記事! 今日は創作論っぽいような気がしないでもない妄想論文です。
まずは今年のクリスマス映画紹介について
メリー・クリスマス!
まずは、クリスマス映画紹介の連載を始めましたー、というお話。カクヨムのほうで。
もう週末にはクリスマスですねー(*ˊᵕˋ)
毎年やってるって言えればかっこよかったんですけど、去年スルーしちゃったので2年ぶり。クリスマス小説は毎年書くんですが、その余力があればなんですよね。
そう言いつつ今年はクリスマス小説も充実の20話構成、本命作品の連載も二日置きにやってて、余所様の企画にも参加させて頂いてとバカ忙しかったんですが(自分でそうしたんですがw)、2年以上あけたくないなーという映画好きのプライドともう一つ理由があって、7作くらいの小さいやつをやることにしました。
2年前のやつ☟
で、小さくやるなら統一感。
今年は「サンタクロース映画」特集ということに。
サンタクロース映画って、つまりサンタが主役の映画です。
というのも、そのサンタクロース映画、ここ数年くらいでモリモリ“尖った”作品が続出しています。これが「もう一つの理由」です。
最初は探しても見つからないことの方が不思議だったたんですよね。映画の本場アメリカやヨーロッパはクリスマスの本場でもありますし。
でも現に自分が2年前にやった大型映画紹介でも、サンタ映画は限られてたんですよね。ちゃんと数えるとたった2作。サンタが出てくるだけなのを含めても3,4作? クリスマス映画以外も交えながらも20作品ある中で。
増えてること自体はありがたいですね。自分もサンタクロースというキャラクターモデルは大好き。
日本の漫画作品でも、『ブラック・ナイト・パレード』や『SANDA』と、サンタクロースに手をつける例をやっぱりここ数年で見かけるようになりました。(ブラパレ実写化は紹介してなくて恐縮ですが)
ただ、どうしてこれまで少なかったのかを考えてみたのが今日のその2。
もったいぶってますが邪推と妄想。あるいは賢い人なら言われんでもわかるかもしれないレベルの浅い考察です。
不文律としての「サンタ・コンプライアンス」
ズバリ言ってしまえば、フィクションのサンタクロースは縛りプレイを強いられてきたということです。
サンタクロースというキャラクターは、クリスマスというイベントの全体の中で、中心にいるようでいて実は離れ小島みたいな存在です。なくてはならないので離島は言い過ぎですが、めっちゃ飛び出た半島の岬くらいにはいる。つまりある面で突出した存在だということ。それはすなわち、“子供”との関わりです。
クリスマスは別に海外版端午の節句じゃないんですよね。全体としては特別に子供のためのイベントではありません。「家族」という単位に焦点が当たったとき、子供を第一にしないというのは今の社会なかなかないことでしょうが、建前上は「みんなのイベント」です。
その中で、サンタクロースはドがつくほど純粋に子供のための存在です。
ということはですね、旧来的な社会と価値観においては、“子供向け”に造形されることが宿命づけられるんです。
宿命ってかほぼ義務ですね。FUXXとかHolyShXXとかこのク〇ガキめとかサンタが言っちゃダメなわけですよ。
しかも、先述のとおりクリスマスという“家族イベント”の一部なので、“ファミリー向け”であることも義務付けられます。おそらくディズニー以上に。確実に親の目がある中で教育的によろしくないサンタなんか火あぶりモノなわけです(その絵面がまずダメ)。
若干これは考えすぎですよ? 酒を飲んで赤ら顔になるくらいはいいっぽいです。まぁだって大人もクリスマスはお酒飲みたいですからね。
しかしまだあります。
サンタは思春期の前後において、実在と非実在を議論されるものです。
自分はそれは、ある種の社会的な情操教育教材だったと思うんですよね。
ひょうたんからトナカイ問題
手品が本物の超能力としてお茶の間に喧伝されていたのはごく十数年前の話です。自分もミスター・マリックが大好きでしたし、FBI超能力捜査官がかわいそうな行方不明の子供を家に帰してくれることを心の底から願っていましたよ(あれ今放送的にどうなんでしょう……)。
そんな時代において、サンタクロースが実在しないかもしれないというのは、火星人が攻めてきた並みの大事件です。
もちろん、火星人を撃退するカタルシスを得てみんな大人になるのですが、そのためにすごい時間のかかる人も珍しくはなかったでしょう。
サンタクロース映画には当然、サンタクロースが登場します。
映画はフィクションなのですから、“実在”を演出するくらいなんのことはありません。
しかし、“実在”がとても重要な意味を持つ時代に、その演出の責任はいかほどでしょう?
“実在”自体はよし。しかし、中身を問われます。
実在してほしくてしょうがない者にとって、その姿は実在していてよかったと思える理想の形でなくてはなりません。バイキングみたいな野卑なおっさんにサンタに名乗られても、そんなのはニセモノだからノーセンキューなわけです。
さらにさらに、フィクションの中で“実在”させてしまうからこその問題。
最終的には“分別”という次元で、“非実在”の説得性を求められることになります。手品が超能力と信じられていたように、映画に“実在”していたから現実にも実在しているはずだ主張する人が出てくる可能性。フィクション・ファンタジーとして語られたことが現実と区別されない恐れがあったかもしれない。
いまの若い人にはこんな話ビックリされるかもしれませんね。スライムに転生したい学生がトラックに飛びこんだ(そういう言い訳で夜をはかなんだからではなく本気で)なんて聞けばまさかと思うでしょう。でも逆にそんなことくらい普通に起こる時代が本当にあったんです。
じゃあどうするかって言えばですね、「これはフィクションだから!」って言うしかないんです。「サンタはいねーから!」ってはっきり言うしかない。
言えます? 言えませんよ、サンタクロースですもん。火星人が攻めてきて街中で街中が「インディアン・ラブ・コール」であふれ返ります。そんなクリスマス御免です。
めんどすぎません?
こんっっっなに面倒くさくてですね(妄想ですが)、誰がサンタクロースに手をつけたいと思うでしょう。
あえて手をつけるなら当たり障りのないようにするほかありません。古いサンタ映画をけなすわけではないですが、バリエーションに乏しければフレッシュな創作者たちはなかなか入ってこない。
この状況が、しかし変わったんだと思うのです。
まだ予定している分の紹介作品ですが、かつてなら考えられなかったようなサンタクロース像が乱立し始めています。
サンタクロースは責任重大な偶像でなく親しみ深いキャラクターとしてハイコンテクストに認知され、実在非実在に関わらない希望の象徴として社会は彼の落としどころを見つけました。
そもそも非実在のアイドルなんかにまでいい大人が熱狂する時代です。実在しないからなんだっていうのか。しかし実在と同様の倫理は求めない高度な分別と共にあります。サンタクロースは解き放たれたんです。
手つかずの幻想という強み(いきなり魔法少女)
自分はファンタジーを主に書くのですが、いまは回り回って魔法少女を書いています。
また話がぶっ跳んだなぁと呆れてもらってかまいませんが、しかし、サンタクロースと魔法少女は似ているとも思うんです(やっぱり呆れてくださいw)
というのは、どちらもたいてい、扱われる物語が「多感な時期の少年少女ら」を主役とし、彼らに対して“逆親和性”を持ちやすいためです。
表層的な共通点は3つ。
1つ目は主役たちの年齢層のこと。2つ目は、いずれも本来的には子供の(魔法少女は主に女児の)夢を叶える存在であること。3つ目は、1と2の間にあって、主役たち自身で抱えやすい摩擦と軋轢を伴うことです。
「夢を叶える」を含め、サンタクロースも魔法少女もきらびやかな幻想の中にあります。
きらびやかな幻想に対し、人間にはそれを純粋に享受でできる小児期と、偶像として受け入れる落ち着いた成年期の間に、多面的なストレスとして遠ざけ得る微妙な期があります(多感というやつです)。あるいは、彼ら自身が幻想と現実との乖離にある種の疎外感を覚える時期です。
その感覚は感性とのある種の親和であると同時に、アクションとしては反発にあたるため“逆親和性”と仮に呼んでいます。心に近いものを遠ざけるために触れる。自分はそういう“逆親和性”こそはドラマの種だと思っています。
拙作語りで恐縮ですが、自分が書いている魔法少女の主人公は高校生。魔法少女モノの登場人物としては比較的高年齢にあたる設定です。
これは高年齢になればなるほど、幻想系モチーフとの心の距離は広がり、現実との摩擦も増えると期待した結果です。本来であれば、彼女らはそんなものにうつつを抜かしている余裕はなく、現代の高校生は半強制的に未来を見据えなくてはならない。
一方で、「願いが叶う」という象徴的モチーフは“未来”というファクターに直結するサプリメントです。
この構造はひどくストレスフルに歪であることでしょう。だからこそ、当事者たちの精神は不測の躍動を起こし、ドラマが期待できる。闇雲な情動はたくさんの獲得と損失を生み出す。それを物語に引きずり出せるか。自らがどう動くかを最初に問われるのも十代。
サンタクロースも同じです。
逆に相違点は、「願いを叶える」のがそういう装置を得てとはいえ本人主体であるか、他力によるかの部分でしょう。「この歳にもなって恥ずかしい」みたいなストレスも、自分に対して覚えるか他人に対して覚えるかは大きな違いです。教育的背景の強いサンタクロースが後者なのは自然なことで、物語的アプローチの方向性にも大きな差異が生じることにはなります。
とはいえ、他者とのかかわりをクローズアップしやすいと考えれば、それがサンタクロースの弱みだとも限りません。むしろ魔法少女は自己完結してしまいがちです。それを10代の孤独と照合するというアプローチは、これもまた有用なアイディアだと思いますが。
ファンタジー書きを自称していますが、本当はただ未成年を書きたい自分。
クリスマス作品は毎年書いていると言いましたが、やはり未成年を題材に書いたものが多いです。
一方、学生時代初出の手直し版が多かったのですが、当時はあえて「クリスマスモチーフを扱わないクリスマス作品」という縛り創作をしていました。今年初めて完全新規作品を書いた中で、ようやくサンタクロースを取り扱えたばかり(本当にちょっぴりですが)だったりします。
また来年も再来年もクリスマス作品は書いていくつもりですが、ことここに来てサンタクロース熱が高まってもいます。
社会的要請から縛りが多かったと思しきサンタクロース。多面的には手つかずなまま、現代において解き放たれたある意味大穴のパブリックドメインでしょう。周りももっと軽率に手を出し始めないかなと考えている次第です。
☆ 映画紹介記事では紹介しない日本のサンタクロース漫画 ☆
『SANDA』
『BEASTERS』の作者が描くサンタクロース主役の漫画。大人が子供に絶対的地位を与えた近未来社会で、消滅したはずのサンタの子孫だった少年・三田が赤い服を着ると白ひげのマッチョに変身する。トンデモバトル作品なのに、「子供とは何か?」を問うことでしっかりサンタ作品にもなっている怪作。
『ブラックナイトパレード』
『荒川アンダーザブリッジ』『聖☆おにいさん』の作者が描くサンタクロース業をこなす黒サンタたちの漫画。業態が完全に会社。“忙しすぎるコンビニ”で働いていた青年・三春はある日“顔のない黒サンタ”にスカウト(拉致)され、悪い子向けプレゼント専門の部署で働くことになる。不条理コメディのようで赤サンタ不在の理由、三春自身を含む登場人物らの背景に不穏な気配のする謎が多く、またサンタ会社内部の設定も作り込まれた骨太なファンタジー。
いずれも腰かけでなく意欲作なんですよね。地力のある人がやっぱり大穴として狙っていくんでしょうか。欧米に遠慮することはありませんね。
引き合いに出した拙作・青春魔法少女(音楽系)と、今年のクリスマス作品もよろしくお願いします☆(いずれも連載中)
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