癒えることのない傷口が透けて見えてる【連載③】
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中学生1年生の終わり、お互いの境遇を知る
彼女と私は校内ではほとんど言葉を交わさないけれど、放課後は必ずと言っていいほど一緒に帰り、日が暮れるまでずっと一緒にいた。
中学1年生の後半、たしか金木犀が香る頃だった。
何がきっかけだったのか、詳細はお互い忘れたけれど、互いに育ってきた環境、家庭環境、抱えているわだかまり、そういうものを赤裸々に話した。話したのはいつもの帰り道だった。
「どっちが先に話したかな?」「どうだったかなあ」と今でもたまに話すけれど、話し出したのがどちらが先なんてわからないほど、自然に、いつもの会話の流れで話した。
そこではじめて同じような境遇にいることを知った。家庭環境のこと、育ってきたこれまでのことと現状、これからのこと。
そこから更に仲が深まっていくのは自然の流れだった。
「同じものに惹かれてきたこと、なんだか腑に落ちた」と私たちは、笑いながら話していた。
誰にも話せないことを、不思議なくらい彼女には躊躇なく話せたし、彼女もそれは同じだった。家族のような距離感で育ってきたからこそ幼馴染には言えなかったことも、彼女には全部話せた。
気を遣われてしまうだろうとか、哀れてしまうだろうとか、可哀想がられてしまうとか、彼女の前ではそういう気持ちが意味を持たなかった。
「なんか、嬉しくないのに嬉しいな。変だね」と言った彼女の言葉の意味が、私にはよく分かった。
もしこれまでにあった地獄が彼女に出会うためにあったものだとしたら、容易くそのすべてを清算できるくらい、喜んで受け入れられるというくらい、彼女と出会えたことに心から感謝した。人生は私に味方したのだとさえ思った。
何度も何度も、誰に向かってか分からないありがとうを眠る前に思った。
中学生2年生、彼女の入院
中学2年生になって彼女が持病を治すために遠くの病院へ入院することになった。
病気があるとは聞いていたけれど、手術と入院が長期に及ぶとは思っていなかったし、地元の病院へ入院だと思っていたので、当時はかなり寂しさでいっぱいだった。
彼女が地元を離れる前日、お互いに離れがたくて時間を伸ばして伸ばして夜までコンビニの近くの公園にいると彼女のお母さんが仕事終わりに私たちのもとへ来た。その日はとても寒い日だった。
彼女のお母さんが来た時、とっくに日が暮れていたこともあって、「もうそろそろ」とは言われるのかと思ったけれど、「寒かったでしょう」と優しく笑って、ほかほかの肉まんを渡してくれた。
そして「近くで待ってるから帰る時に連絡入れてね」と言ってすぐにその場を離れた。手に渡された肉まんの温かさがそのままダイレクトに心に届いたみたいに、この人から彼女が生まれこの人に育てられたということにひどく納得した。
「(彼女)のお母さん、って感じだ」と私が言うと彼女は「顔似てるって言われないけど」と言った。「そういうことじゃないけど」と思ったけれどなんとなくみなまで言わないことにして、「だね」と笑って済ませた。
静かに雪が降っていて手が悴んで真っ赤になっても私たちは気に留めず、肉まんを食べながら気が済むまでずっと話していた。
二人で話している間は泣かずにいたけれど、その日、彼女と離れた後にものすごく泣いた。コンクリートに涙がぼたぼた落ちて雪のシミなのか涙の跡なのかわからなかった。
もう会えなくなるわけでもないし転校するわけでもないけれど、毎日一緒に居たからほんとうに心細くて寂しかった。嫌な思いをしても彼女といる時間さえあれば、私は笑っていられたから。
彼女が入院している期間、私は携帯を肌身離さず持っていた。
彼女は当時携帯を持っていなかったから、かけてくるのはいつも病院にある公衆電話からで、夜にかかってくるその着信を逃せば私からかけ直すことはできないから話せなくなってしまう。
だから、いつでも出られるように離さず持っていた。
数十分でも彼女と話せれば十分だった。どれだけひどい環境に置かれていようが、着信音が鳴ることを知っていれば希望を繋ぐことは容易かった。彼女はよく「放課後が恋しいなあ」と言っていて「早く帰ってきてよ」と私は私で、彼女は病気と戦っているというのに馬鹿みたいに駄駄を捏ねていた。
彼女が手術を無事終えて退院して帰ってくる日は、自然と早く目が覚めたし、退院してきた彼女と会って「ただいま」と言う声を聞いたときはさすがに目の前で泣いてしまった。
「すぐ泣く〜」と笑いながら、彼女は私より背が小さいくせに手をめいいっぱい伸ばして、私の頭にぽんぽんと軽い調子で触れていた。
私は彼女に出会ってから泣き虫になった。
ほんとうに、あの頃も今も彼女の前では立派でいられない。大人になった今でさえ、すぐに泣いてしまうしすぐ甘えてしまう。
辛いときに、何にも憚れないで時間を置かずに、辛いんだと素直に言うことができるのは彼を除けば彼女くらいだ。ひとりじゃどうしようもないんだと、力を貸してほしいんだと、私がそう言えば彼女はいつだって寄り添ってくれた。私が彼女に対してもそうであったように、私たちはお互いに支え合ってきた。
*****
当時入院していたときのことを大人になってから「ほんとは、きっとすごく怖かったよね」「私早く帰ってきてとか言って、大人になってからほんと子供だったなあって思った」「ごめんね」と言ったら、
彼女はこう答えた。
「そりゃあ、怖かったし痛かったよ。しんどくて悔しくてたまらなかった。病院内の学校に行っていたとはいえ、勉強ついていけなくなるだろうなっても思ったし当時も言っていたけどクラスに戻るのも怖いなって思ってたよ」
「でも、帰らなきゃって思ったし、早く帰りたいなって思ってたから。(私)と電話するたびに早く早くって」
「地元に帰った日の(私)の顔見たら、ああだいぶ待たせちゃったなって思ったの」
「あのね、自分を待ってくれているっていうのはすごく心強いものだよ」
中学生2年生後半、彼女の退院後
彼女は退院後、大きく残った手術の傷跡を学校の人たちに見られないように、着替えをするときや服装にはかなり気を遣っていた。
「傷、まだ全然痛む?」と聞くと「痛むよ。いろんな意味で」と言って笑った彼女の顔がとても切なくて胸が痛かった。
私は実家の問題もあって次第に彼女の家にいる時間が増え、彼女のお母さんに「お風呂入ってきたら?」と言われ、「(彼女)のあとで入るから私部屋にいるね」と彼女に言うと彼女は「一緒に入っちゃおうよ」と言った。
学校で傷口を必死に隠そうとする彼女を見ていたから「いいの?」と返したら「なんで?」ときょとんとしていたので私も面食らってしまった。「え?傷口、見られたくないでしょ、一緒じゃなくて大丈夫だよ」と言ったら、
「?見られたくない人に見せないようにしてるだけだよ」と彼女が笑い出し、バスタオルを私の手に置いた。
「(私)に見られても嫌な気持ちには絶対ならないってわかるし」「一緒に入ろうよ」と脱衣所から手招きされた。私は招かれるままに脱衣所へ向かい、彼女と一緒にお風呂に入った。
彼女はその後も私の前では傷口を隠そうとは全くせず、「少しは生々しくなくなってきたかな」とか「このくらいの空き具合ならこのワンピース着られるかな?」とか、いつもと変わらない様子で日常会話みたいに話してくれた。
彼女は最初に私に傷口を見せたとき「私は見せたくないとかなかったけど、よく考えたら見た(私)がきもちわるかったらごめんね」と言った。
そんなこと思うはずがなかった。ただ、こんなに小さい身体でどれだけ痛い思いをしたのだろうと想像したら苦しくて痛々しくて子供ながらに精一杯の気持ちを込めて「私にできることなんでもする」と言った。
彼女は今にも泣き出しそうな私を見て少し瞳を震わせて「同じクラスじゃないしな〜〜机運ぶ時痛むから手伝ってっても言えないしなあ〜〜〜」とふざけて笑っていた。
「自分のクラスから飛び出してそっちのクラスに飛んでいくし!」と言うと彼女は「やっぱり、(私)と同じクラスがよかったな」と泣き出しそうな顔で言った。私は
「私も」と返すのが精一杯だった。
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彼女と同じクラスに幼馴染のうちのひとりがいたので、後日幼馴染に「重いものとか力使うもの辛いと思うんだけど、自分でやろうとしちゃうと思うからもし辛そうだったら手伝ってあげてほしい」と彼女のことを少しだけ話してお願いした。幼馴染は深く頷いて「任せて」と言ってくれた。
他にも友人は彼女のクラスにいたけれど、やっぱ信頼おけるのは幼馴染で、そういう人にだけでいい、大事な人のことを見ていてほしかった。
彼女に幼馴染がどうのこうのとはなんとなく話さなかったけれど彼女話ししているなかで「クラスは大嫌いだけど、みんな嫌な人ってわけじゃないよ」と色々話してくれて、彼女が名前をあげるなかに幼馴染の名前があって心底安心した。
よかったという気持ちと、ありがとうという気持ちで胸がいっぱいだった。
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お願いをした幼馴染と会っているときに「というかさ、(私)と(彼女)さんっていつの間に仲良くなったの?学校で親しく絡んでるの見たことない気がするんだけど」と言われて「小学生のとき、放課後」と返すと幼馴染はなぜか嬉しそうにケラケラ笑っていた。
「(私)からしつこく話しかけたんでしょ」と言われて付き合いの長さってすごいなあと思いながら「そうだよ」と言ったら「よかったじゃん」と返ってきたので、笑って頷き「ほんとにね」「ありがとね」とお礼を言った。あの時は、ほんとうにありがとう。
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そして時は過ぎ
私たちは中学3年生になり、同じクラスになった。
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