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名前のない関係はさよならも曖昧で


「RADの俺色スカイがサブスクで聴けるようになったね」って、ただそれだけを話したい男友達がいる。「CDで入れたからいつでも聴けるんだけど、でもなんかサブスクで聴けるとは思ってなかったよね、ライブ音源なのもいいよね」って話したら、君はきっと「もしも も入ったりして」と冗談を言って笑ってくれたんだろう。

って。

そんなことをぼんやり想像しながら、俺色スカイを聴いて歩き春の陽気にあてられていた。

春の暖かさは残酷なほどに近く、凍てついた心でさえ無理矢理溶かしてしまう。君の心も同じようにそうであってほしいけれど、君は今でも明けない夜を切に願っているのだろうか。

ああ、ほんとうに情けない。こんな些細なことでも、こういうことがあると関わりがなくなったことに慣れた毎日が嘘だったみたいにものすごく話したくなるし、君が私の人生から出ていった現実を未だに拒んでしまいそう。

それでもどうにかして連絡を取ろうとしないのだから、あの頃の私とはやっぱり違うのだろうな。変わろうとした君と同じで私も変わろうとして少しは変われたのだろう。

大人になるということは何かを諦めていくことではなく、受け入れられるようになることだと信じていたい。「諦めたのではなく受け入れたのだ」と、私はもしかして言い聞かせているだけだったかもしれないけれど、それでも、「そっか、そうなんだね。」と思うことと「そっか、仕方ないね。」と思うことは似ているようでちょっとだけ違うし、その違いをわからない君ではないでしょう。

*****

私が君と同じ会社を辞めてから時間が経ったけれど、同じような業界にいるのだから仕事を頑張っていればどこかで一緒になったりしないかなんて馬鹿みたいなことを、長い期間、ふと考えている。そのせいで資料のあちこちに名前を探してしまう。

最悪な公私混同。全くもって私らしくない。

実際に仕事で関わることになったら仕事に手は抜かずとも物怖じするのは私の方なのに。ほんとうにあほらしい話だ。でも恐れながら少し期待している自分もいるのは、「仕事ならどうしたって関わるしかなくなるだろうし」という邪念があるからなんだと思う。ほんとうに最低な大人だな。

まあ、偶然仕事が一緒になるなんてこと、そんなことはそうそうないだろう。狭くはない業界だし。

例えば、ほんとうに君の同業者、かつ私の仕事でも関わりのある人に名前を言えば知っている可能性はとても高くて、フリーランスである私は仕事をある程度選んだり依頼したり、そういう感情的な行動もできるから、魂胆を持って仕事で関わることができるといえばできる。

仕事の面でも頼りになる人だから、邪念を抜き去ってもまた一緒に仕事をできたらそれは良いものになるだろうな、とは思うけれど、それはしない。できない。

そんな姑息で卑怯な手段を取れるわけがないし、ただそういうずるいことを考えてみるだけで、行動に移すなんてことは到底できない。そんな振り切った勇気もなければ、仕事に対するプライドを押し退けるほどの度胸も私にはない。

君との別れに失恋という名前が付けられるような関係だったら、私は過去を懐かしむだけで済んだのかもしれない。

名前のあった関係にしか、名前のあるお別れはやってこない。だから君とのお別れに名前はつけられない。だからさよならが曖昧になってしまう。「またね」を性懲りも無く期待してしまう。

名前のないお別れを私は、私たちは、なんて呼んだらいいんだろう。君という大事な友人を失い、「異性でなければ」なんてことは嫌というほど考えたけど、所詮は全部たらればだ。同じ種類の好きだったらとか、出会い方がどうとか、同性だったらとか来世はとかそんなありもしないもしも話はできればもう考えたくはない。君にももう、そんなことは考えてほしくはないし。

取り返しのつかないことなんてもの、この世にはそれほどないけど、覆せる現実もそうそうないから悔しい。

絶縁された当時のように、悲しくなったり、辛くなったり、寂しくなったり、虚しくなったり、そういうことはもうないし、涙は出ない。今の私はいたって穏やかに君を思い出すことができる。

ただ、やっぱり「話したいな」って思う瞬間が何度もやってくるだけ。

話しがしたいなって思うとき、君を思い出にすることを私が必死で拒んでいるみたいにちょっとだけ気道が狭くなる。私自身が君の思い出になることに対して、それはとても良いことだと思えたのに、私は君をまだ思い出にしたくないと思うのはちょっと駄々をこねているみたいで嫌だな。

君と関わりが切れてしまった今でさえ、君がくれた言葉に救われていることがあるというのは、私の中で君がまだ生きているということでもあり、同時に君がゆっくりと思い出になりつつあるということなんだろうか。

数年前の春、私が「私と仲良くなったら多分(君)は得するよ」と言ったことをずっと覚えていた君は、その数年後に「得しかなかったよ」と言ってくれた。

だからいつか

最後に会ったあの日「ここで今素直にならなかったら後悔するよ」と言った私の言葉にも「後悔するよってあれほんとだった」って君は同じ顔して返してくれるかもしれないでしょ。

だからまだ、さよならは曖昧なままでいい。曖昧にしておきたい。



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