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私たちは何のために働いているのだろう

 戦後ドイツの文学にはKurzgeschichteと呼ばれるジャンルがある。これは日本語に訳せば「短篇」「ショートストーリー」としか言いようがないのだが、本当に2〜3頁しかないのである。とりわけ、ノーベル賞作家であったハインリヒ・ベル Heinrich Böll (1917-1985) の作品は人気があり、数多くのKurzgeschichteを残した。今日はその中から、私のもっともお気に入りの一篇を紹介したい。
 とはいえ、この作品は本邦未訳のため、以下は筆者の拙訳であることをお許しいただきたい。加えて、筆者は文学者でも翻訳家でもないので、この際一語一句正確に訳すことは潔く放棄し、日本語として読みやすく、かつ面白いと思っていただけるような記述を心がけたい。訳出にあたってはHeinrich Böll: „Romane und Erzählungen, Werke 7 1952–1963“, Gütersloh Bertelsmann, 1987を底本とした。


働く気が失せるような話

Anekdote zur Senkung der Arbeitsmoral, 1963

ハインリヒ・ベル作

 ヨーロッパの西海岸にある港で、みすぼらしい格好の男が漁船の中で居眠りをしていた。そこへ洒落た身なりの旅行者がやって来て、新しいカラーフィルムをカメラに入れ、この牧歌的な風景を撮影し始めた。青い空、穏やかで雪のように白い波頭を立てる緑の海、黒いボート、漁師の赤い帽子。カシャッ! もう一回、カシャッ! 縁起よく三回目のカシャッ! この耳障りな音で、うとうとしていた漁師も目を覚まし、眠たそうに起き上がってタバコの箱を探した。だが、探し物が見つかる前に、さっきの旅行好きが自分の箱を差し出してくれた。漁師はそのタバコをすぐには口に咥えず、手のひらでもてあそぶ。そして四回目のカシャッ!──今度はライターの音だ──でもって、気忙しく挨拶を済ませる。この取ってつけたような挨拶のせいで、なんとも気まずい空気が流れた。口八丁の旅行者はそれを切り抜けようとして漁師に話しかける。
 「今日は釣れそうですね。」
 漁師は首を振る。
 「でも天気はよさそうですよ。」
 漁師は頷く。
 「もう漁には出られないんですか?」
 漁師は首を振る。旅行者はだんだん心配になった。漁師の身なりがいかにも貧相なので、漁がうまくいっているのか気になったのだ。大物を逃してしまったのだろうか。そんな憐憫の情さえ感じてしまう。
 「あの、ご気分が悪いとか?」
 やっと漁師が言葉を口にした。「気分は上々だよ」と。「これ以上ないくらいさ。」漁師は立ち上がり、がたいを見せつけるように伸びをした。「最高の気分だよ。」
 旅行者の表情はますます険しくなって、心臓が張り裂けでもするかのように堪えきれなくなって訊いた。「それじゃあなぜ漁に出ないんです?」
 答えはすぐさま手短に返ってきた。「今朝はもう漁に出たからな。」
 「釣れました?」
 「釣れたとも。魚籠にオマール海老が四尾、鯖は二十ダースばかり獲れたっけか……今日はもう獲りに行く必要はないね。」
 ようやくお目覚めの漁師は、心配しなさんなと旅行者の両肩をポンポン叩いた。彼の不安げな表情はこの場に似つかわしくなかったが、心底憂いているように見えたのだ。
 「それどころじゃない。明日と明後日だってこれで十分さ。」そう漁師は言って、よそから来たこの男を慰めようとした。「俺のも吸うかい?」
 「ああ、どうもありがとう。」
 タバコを口に咥えて、五回目のカシャッ! 旅行者は首を振りながら船のへりに腰かけ、持っていたカメラを置いた。そして今度は両手も混えて熱っぽく語った。
 「余計な口出しはしたくないんですがね──想像してみてください。今日あと二回、三回、場合によっちゃ四回漁に出れば、三ダース、四ダース、五ダース、いやそんなもんじゃない、十ダースだって鯖が獲れるわけでしょう。想像してみてくださいよ!」
 漁師は頷く。
 「今日だけじゃない」と旅行者は続けた。「明日も、明後日も、出られる日は全部だ。二倍、三倍、いやいや四倍も漁をすれば……どうなるかわかりますか?」
 漁師は首を振った。
 「遅くても一年以内にはエンジンが買えますよ。二年後には二隻の船が、三年か四年もすれば小さめの帆船なんかも手に入るでしょう。それらの船があれば、当然もっとたくさん魚が獲れる。いつかは帆船も二隻になって、そうしたらあなたは……」昂奮のあまり、彼は束の間口が聞けなくなった。「そうしたらあなたは小型の冷凍倉庫や、燻製小屋や、ゆくゆくはマリネの工場なんかも建てて、魚群を探知するヘリコプターで飛び回り、無線で船に指示を出すんです。サーモンの販売権を買えばシーフードレストランだって出せるし、オマール海老は仲買人なんか通さずに直接パリへ輸出するんです。そうすれば──」再び彼は熱狂で口をつぐんだ。そして心底残念そうに首を振りながら、楽しい休暇のことさえほとんど忘れかけて、寄せては返す穏やかな海を見やった。その海で、獲り損ねた魚たちが元気よく跳ねている。
 「そうすれば……」またしても昂奮で言葉を失う。漁師は子供が咽せたときにやるように、彼の背中を叩いてやった。「そうすりゃ、何だい?」
 「そうすれば」旅行者は気を落ち着かせながら言った。「そうすれば、ここできれいな海を眺めながら、太陽を浴びて昼寝ができるってことですよ!」
 「もうやってるさ。」漁師は言った。「俺はこの場所で昼寝してたんだ。あんたがカシャカシャやり始めて、俺の邪魔をするまではな。」
 そう教えられて、旅行者は考え込んでしまった。無理もない。彼も昔は信じていたのだ。働き続けていれば、いつか働かなくても済むようになると。彼の中にあった漁師への哀れみは跡形もなくなり、微かな嫉妬だけが残された。


─ 跋文 ─

 子供のころの私は、大人たちは働かなくても済む日がいつか来ることを夢見て働いているのだと思った。それが労働の意味だと思っていたのである。しかし、その考えは裏切られた。なぜわれわれは働かなければならないのか。もしも生活のためだとしたら、お金さえあれば働かなくてもいいことになる。それなら、何が私たちを労働へと駆り立てるのだろう。駆り立てる? そう、われわれは「駆り立てられる」ようにして働いている。いったい何が私たちを労働へと追い立てるのか。
 作中の漁師は、なにゆえ漁に出ないで昼寝ができたのか(「もう船を漕いでいるからさ」というジョークではない!)。旅行者が言ったことはこうだ。物々交換の時代であれば、漁師は人々がその日の食卓に供する分の魚しか採ることができなかった。たくさん採ったところで、食べきれなければ捨てるしかないからである。でも、貨幣経済ではそうじゃない。お金は魚のように傷んだり腐ったりする心配はないので、いつまでも手元に置いておける。だから人々は必要量を超えて物を売ったり買ったりすることができ、したがって漁師も、その気にさえなればもっと魚を獲り、もっとお金を稼ぐことができる。稼いだお金はさらなる利益のために投資される。ローンも借りて大きな船を買い、その船でもっと魚を獲って、ローンを返すためにももっとお金を稼がねばならない──もうお気づきだと思うが、これは資本主義下における経済活動の縮図である。絶えざる成長──それがわれわれに労働を強いる。
 〝絶えざる〟であるから、この成長に終わりはない。作者が執筆した時代にも、すでにオートメーションによる合理化の足音は聞こえていただろう。人間の仕事を機械が代わってくれるようになれば、ゆとりが生まれる。しかし、そのゆとりはさらなる成長のために召し上げられる。筆者が社会人になりたてのころ、インターネットが普及し始め、一人一台のパソコンが当たり前になりつつあった。それらは私たちの仕事を著しく効率化してくれたが、私たちは暇になるどころか、ますます多忙になった。この先もまたAIが人間の代わりを務めるだろうが、働かずに済む世の中はやって来そうにない。ベルは本作によって、資本主義社会における疎外された労働をシニカルに暴いてみせたのである。

𝐶𝑜𝑣𝑒𝑟 𝐷𝑒𝑠𝑖𝑔𝑛 𝑏𝑦 𝑦𝑜𝑟𝑜𝑚𝑎𝑛𝑖𝑎𝑥


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