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たべもののまわりのはなし③アドベントカレンダーがチラリ

資本主義社会に生まれて今日まで育ってきたので季節商品の驚くほどの先取りを当たり前のように享受してきたし、それを日常的な喜びだと思って生きてきた。ハロウィンが終了してすぐにクリスマス仕様になる商品棚に、ウキウキと同時にやや急かされるような気持ちになることはあっても気分が沈むことはない。

まだ早いだろ〜、からの、ウワッもうすぐだ!のあの感じが嫌いじゃないのだ。こう書いている今も、街は既にホリデーホリデーホリデー。お金の使い方が自由になるといろんなお店の視野が広がる。アー10代の頃なんてお花屋さんもクリスマスになることを知らなかったな。今年は引っ越して最初のクリスマスということで可愛いリースをひとつ、買った。

その足で、これもずっと恒例にしているアドベントカレンダーも、買って帰った。カルディとかに売ってる、クリスマス当日まで12月にまいにち1つ開けて中のお菓子を食べるやつである。子供たちに囲まれて妙にご機嫌なサンタは定番柄なのだろう。私はこの柄を、多分ずっと覚えているのだと思う。

祖母を、数年前の11月に見送った。
気温が急に変わる頃合いというものは若い部類の私にも時々負荷が大きい。まして、療養中のお年寄りには大変な季節だったと思う。大病なぞしたことなかった祖母であったが、その数年前から患っていた病気が少しずつ澱が溜まるみたいに悪くなり、よく晴れた午前の白い日差しの中でお迎えの時を迎えた。

家に帰りたい、と言っていたのかどうかは私には定かではないが、少なくとも長く彼女と暮らした我が家でお見送りの儀をしようとなんとなく家族全員が納得していた。とはいえたださえ受け止めるには重くて悲しすぎる事態が起きた中での準備で、娘である母を筆頭に全員が疲れ切っていたし、それぞれのタイミングで時々堰を切ったみたいに涙が出て、言葉も少なくなっていた。

当日に家の前に貼る「忌中」の文字は、家族の中でも比較的字が綺麗な私が書くことになった。こんなクニャッとした文字、書いたことなかったな…と能天気なことを思いながら、いつ最後に使ったかわからない墨汁を買ったばかりの筆に浸してなんとかかんとか書いた。字を書くことは好きだけどお習字が嫌いだったのは、この後片付けの面倒さにあったな…とか考えつつ、湿っぽい半紙の端を黒い画用紙に貼り付け、リビングの適当な棚の上に立てかけて乾かしていた。

そんな時だった。
しばらくして急に、リビングから母の笑い声がする。お母さん…ちょっと大丈夫!?と様子を伺おうとすると、母に手招きされた妹も同じ方向を見つめて大笑いしている。えっ。2人して、悲しすぎてちょっとへんになっちゃった…?と不安になりながら駆けつけると、そこには…

気難しい雰囲気の「忌中」の文字が書かれた紙。
その左側から…サンタがコンニチハ☆していた。

こんな時に言うもんじゃないが、笑いすぎて死ぬかと思った。写真こそないが、それはそれはいかめしい「忌中」から「よっ」みたいな感じで満面の笑みのサンタがチラリとこちらを見ている。状況が異質すぎて何?マジで…今も思い出すとフフッとなってしまう。
11月にアドベントカレンダーが手に入る世の中のおかげで、ふいに我が家に状況に似つかわしくない爆笑の嵐が訪れたのだった。

そういえばアドベントカレンダー自体、母がいつも買ってくれていたっけ。今も昔も忙しい人だけど、季節感を大事にしてくれた。だからあの時家に、アドベントカレンダーがあったのだ。
それにしても、置いた時に気付かなかったものかというか、あの棚のところにアドベントカレンダーなんてあったっけ…。
きっとおばあちゃんがあまりに悲しんでいる私たちを見かねて、ご機嫌なサンタさんを遣わしてくれたのだろうと思っている。不器用だけどお茶目で、料理の上手な人だった。

それ以来もともと好きだったアドベントカレンダーは私にとって家族の優しさの象徴みたいなものになったのだった。何かあってもなくても、時は過ぎ、日は進む。ひとつひとつの日を、ささやかな喜びで満たす喜びを教えてもらった。
夫はアドベントカレンダーを楽しむ習慣はなかったのだという。彼にとっても、暖かい冬と家族の思い出になってくれたらいいと願っている。

アドベントカレンダー、大好き。

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