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思い出日記

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ばあちゃんちとテレビの懸賞の電話

ばあちゃんちとテレビの懸賞の電話

「5555」

4つの番号が読み上げられる。
テレビの前で白いプッシュ式の固定電話の受話器をあげ、いとこが電話をかける。すぐに受話器を置いて、またかける。

夕方5時ごろ、母方の祖母宅の居間。
首振り機能つきブラウン管テレビの中で、ばあちゃん家の電話番号の末尾4ケタと同じ数字が読み上げられたのだ。

その内、いとこは食卓のある部屋で、ばあちゃんはテレビの部屋で電話をかけ始めた。

当時の自宅から歩

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やめるときもすこやかなるときも時を共にしたユニクロは、ダサいころから今でもずっと、いちばん近くにいるともだち。

やめるときもすこやかなるときも時を共にしたユニクロは、ダサいころから今でもずっと、いちばん近くにいるともだち。

選ぶ洋服には、自分らしさが現れる。私はどんな色がすきで、どんな価値観を大切にしていて、家庭環境はどうで、経済レベルはどうで、どういう風に見られたくて、どんな人に褒められたくて…

かくいう私の人生は、ずっとユニクロと共にある。小学4年生の頃、はじめてユニクロに出会ったころから。

病めるときも、健やかなるときも、ダサいときも、おしゃれなときも、摩擦が布を分かつまで、それなりにラフに、それなりにフォ

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君をそこから連れ出して

君をそこから連れ出して

今は遠く離れた愛おしい感情も、時を越えて蘇る。昔よく聞いた音楽は、あの日漂っていた空気をそのままメロディの中に閉じ込めて、たまにふとその曲を思い出したときまるでタイムカプセルの蓋をあけるように、あの日の私が息を吹き返す。感情も、目に映った景色も。

天神の夜道を歩く23時。春吉でジャズライブを見た後、なんだか名残惜しくて、街を歩いていた。新天町に美味しいたいやき屋さんがあったなぁ。と、たいやきを買

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死の淵に触れることは、生の輪廓を知ること

死の淵に触れることは、生の輪廓を知ること

初めて死を意識したのはいつ頃だっただろう。
「親が死んじゃったら!」「友達が死んじゃったら!」幼い頃から、誰かに突然会えなくなってしまうかもしれない恐怖をことあるごとに感じていた。友達が麻疹にかかったと聞けばすごく悲しくなって、親の帰りが遅いと心配になって号泣した。

人はどういうタイミングで死をリアルに感じるのだろう。それは、自分以外の誰かの死か、自分の死か。死のどんな側面を見つめるのか、それも

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職業の貴賤を決めるのは誰か。あなたの価値を決めるのは誰か。

職業の貴賤を決めるのは誰か。あなたの価値を決めるのは誰か。

わたしは、自由でいたかった。「1つのことだけしかしない」なんて生き方はできなくて、でも、世間のことを知らなくて。はじめて働いた日から去年まで、「非正規雇用労働者」として働いてきた。そのほうが縛られずにいられると思ったから。

働く人としての誇りと、お金が無くては暮らしていけない現実と、自分はこのままでいいのかという不安。

わたしは自分が賤しい仕事をしているなんて、1回も思ったことはなかった。だけ

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必要なもの以外、なにも欲しくなかった。なにもかも捨てていたあのころ。

必要なもの以外、なにも欲しくなかった。なにもかも捨てていたあのころ。

なんでも切り捨ててきた。
物も、 気持ちも、人間関係も。
潔く、0か100かに。

*

あれはいつのことだったのだろう。高校に入ってしばらく経った日。
14歳のときはじめて手にした携帯に、たくさん集めた連絡先。もう連絡をとることなんてない。つながる手段をもっている必要なんてない。

そうおもって、ほんの数名の連絡先だけ残して、電話帳をクリアした。

あれはいつのことだったのだろう。働きはじめてし

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消したい過去も消さないことでいつか意味が生まれる

消したい過去も消さないことでいつか意味が生まれる

言葉にしてみることは大事だ。輪郭がないものだからこそ。

はっきりとした形がないものだからこそ、何度も何度も言葉にし形にして残すことで、それらが重なる部分はだんだんと色濃くなっていく。

*

最近、以前書いて非公開にしたnoteをちょこちょこ見返している。

なんだか誰に向けて書いているのか分からなくて、何について書いているのか分からなくて、わざわざ人に読んでもらうほどのものでもない気がして、非

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30分待った特急は、目の前にとまって、走り去った。

30分待った特急は、目の前にとまって、走り去った。

あれは、いくつの時だったのだろう。

少しだけ大人で、でも時の流れにのれなくて。瞬間を記録した写真のように、記憶の中で高校生のまま止まっていた友人の顔。数年ぶりに会ってあそんだ。

季節は夏だったんだろうか。不快なほど暑くはなく、寒くもなく。だけど、快適な気温でもなかったことは覚えてる。

最寄りの、特急がとまる駅。そこから二人電車に乗って、街に遊びに出掛けた。「お祭りで着る浴衣はどんな色がいいか

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変人として生きる気楽さ

変人として生きる気楽さ

人とおなじじゃないわたしは、普通には生きられなかった。普通には生きられないわたしは、さらに人とは違う自分になった。そういう人は、下手に馴染もうとするより、自分は変人だ、と腹を括ってしまえば自由に楽に生きられたりする。そんなわたしの、昔のはなし。

お茶と先生と言葉あそび私は変人であり、真面目でもあった。物心ついたころから。

一番古い真面目エピソードは、幼稚園の年長さんの頃。

お昼ごはんの時間は

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わたしが死んだら、宗教葬じゃなくてパステルカラーのお花をたくさん飾ってね。~死について話すことをタブー視しないこと~

わたしが死んだら、宗教葬じゃなくてパステルカラーのお花をたくさん飾ってね。~死について話すことをタブー視しないこと~

自ら自分の人生を終わらせることは不幸なのだろうか。自ら人生に幕を下ろすということは、命を粗末にしているということなのだろうか。

多くの人は死を恐れ、死について話すことをタブー視し、生きたくても生きられなかった人と比べ、死を身近に感じることがない。

*

人の人生が終わる時、人は死に際だけを見てその人の人生が幸せだったか不幸だったか決める。

人の終わり方が悲しい時、人はその人の人生すべてが不幸

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20歳になったその日、なにかを変えたくて自転車で遠出した。なにも変わらなかった。その日1日だけでは。

20歳になったその日、なにかを変えたくて自転車で遠出した。なにも変わらなかった。その日1日だけでは。

「ああ、今日も、気がついたら朝だ...。」

*

2013年の6月9日。

その日20歳になった私は相変わらずの昼夜逆転生活で、寝なきゃって頭では分かっているけれどなんだか寝るのが惜しい気がして、結局眠らないまま朝を迎えた。

引きこもり生活も3年目。10代が終わってしまう。20歳になるなんて、そんなに大きな節目ですら変われなかったらきっとわたしは一生変われないだろう。そう思った。何かしなきゃ。

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どこに連れて行ってあげようか、昔のわたしの手を引いて。

どこに連れて行ってあげようか、昔のわたしの手を引いて。

わたしを一言であらわすなら。

いろんな言葉が当てはまるけど、ひとつ挙げるとしたら「『あ、そうなんだ』で済ます人」。

いつもいつもサッパリしているわけじゃないけど、たぶんけっこうサッパリしてるし、そんなに執着しないし、意外とあっさり手放す。



人の性格というものには、生まれつきとか、遺伝とか、そういったものもあるだろうけど、たぶん、幼い頃起こった出来事に形作られる要素のほうが多いんじゃない

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人生でいちばんたくさんの愛をくれた存在を、わたしも守りたいとおもうようになった

人生でいちばんたくさんの愛をくれた存在を、わたしも守りたいとおもうようになった

親子ならば、家族なら、仲が良くて当然?

そんなことはない。

感謝してることと、好きなことは一緒?

そんなことはない。

*

自分の信じていたことが、自分の価値観ではなく親の価値観だった気づく、いわゆる自立の時期。なんだか今まで信じていたことがすべて間違いだったような気がして、強烈に、猛烈に、距離を置きたくなった。

わたしは本当の自分じゃないわたしを、わたしだと思っていたの?そんなわたしを

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あの悲しかった日々、陽が沈んだ部屋の暗いベッドの上で、昔の自分を思い出していたのは

あの悲しかった日々、陽が沈んだ部屋の暗いベッドの上で、昔の自分を思い出していたのは

「あなたは、どんな子供でしたか?」

もしも興味がある人に、何でも質問していいよって言われたら、わたしは迷わずそう尋ねるだろう。

今の自分が居る場所は、必ず過去のどこかから繋がっているのだから。



17歳のわたしは、陽が落ちて暗くなった部屋のベッドの上で、ただ壁にもたれかかって座っていた。

なにをするわけでもない。なにがあったわけでもないのだけれど、ただなにかが悲しくて、ずっと涙を流して

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