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コーヒー33:コーヒーの歴史(日本②)

おはようございます。
今朝も日差しも気持ち良くて穏やかな朝。週末はこうあって欲しい、と思える様な天気で、ようやく春も戻ってこようとしているのかなと感じる。

さて、人類がコーヒーを発見してから20世紀までの、「飲み物として」と「生産地として」の広がりを見てきた。
簡単にまとめると以下のようになる。

6世紀    コーヒー(アラビカ種)の発見(エチオピア)
15世紀   アラビアに伝播
16世紀   トルコに伝わり、世界最初のカフェがオープン
17世紀   ヨーロッパ、アメリカ各国で飲まれる様になり、アジアで栽培開始
18世紀   中米の植民地に苗木がもたらされ、南米にも生産拡大
19世紀   ハワイへ苗木が届けられ、コンゴで新種(カネフォラ種)が見つかる
20世紀   エスプレッソの機械も発明・浸透して各国で様々な形で楽しまれる

これがコーヒーの世界的な、現在に繋がるコーヒーの歴史の流れになるが、それでは日本ではどのように広まっていった来たのか、今日は2回に分けたその後編。全編はこちら

19世紀(江戸時代後期〜明治)

日本初のカフェ

1858年に輸入が始まったコーヒーだが庶民の手に届くまでには時間がかかった。日本のコーヒー史上大きな転換期となったカフェは、1888(明治21)年に東京下谷黒門町(現在の上野)に開業した「可否茶館」だった。外務省に勤めていた鄭永慶が開業した可否茶館にはトランプやクリケットなどのゲームや筆や硯を用意した文房具室などの設備があり、コーヒーを飲みながら知識を吸収し文化交流をする場として賑わいをみせていた。
この時のコーヒー(ブラック)一杯の値段は1銭5厘。当時そばが八厘から一銭なのを考えると、今の牛丼よりも高いフラペチーノの感覚に近く高すぎる印象はない。そのせいか、コーヒーを広めるきっかけになったが経営そのものはふるわず。経営者である鄭永慶自身も投資に失敗して多額の借金を抱えてしまったこともあり、1892年可否茶館は閉店となる。

しかしその後浅草や大阪、銀座、京橋などに次々とコーヒー専門店がオープンし、当時のハイカラな文化人たちが文学や芸術、西欧の思想などを論じる絶好のサロンとなった。こうしたコーヒー専門店の出現でコーヒーが人々に広く愛されるようになっていった。

国産コーヒーの試み
こうした気運の中で、明治に入りなんと日本でも国産コーヒーを作ろうという先進性と気概に満ちた試みが実行される。
明治11年(1878年)10月16日発行の新聞に、10名の農夫、頭取世話役1名、農具、それにコーヒーの苗木を積んで小笠原島へ向けて船を出す記事が掲載された。現地に官舎を建ててまで取り組んだコーヒー移植は、明治17年4月29日の新聞で明治15年には12キロほどのコーヒーが収穫できたことが記載され、順調に生育していたを記している。
ただ、現在ではコーヒー栽培に適した地域(赤道をはさんで南北25度の地域)をコーヒーベルトと呼ぶが、残念ながら日本はこのベルト地帯には入っていない。このためもあってか、その後、移植した6種類のうち4種類が枯れ、1種は育っても結実せず、1種は風害に弱いことなどが判明。また採算と言う点においてはサトウキビに敵わないこともわかり、当時の小笠原島へのコーヒー移植は断念された。
しかし、現在ではコーヒー栽培に取り組んでいる農家も少しずつ増えてきて、少量ながらもコーヒーの収穫されている。小笠原観光局にそのページがあったので、ご参考まで。アツい。

幻のインスタントコーヒー
現在のコーヒー普及のきっかけを作ったインスタントコーヒーだが、最初に発明したのが日本人であるということは意外と知られていない。
1899年、加藤サルトリ(了:さとりとも)博士は、コーヒーを一度液化してから真空蒸発缶に入れて水分を除去し粉末にするという真空乾燥法を成功させ、インスタントコーヒーを発明した。
ところが、当時の日本にはインスタントコーヒーの販路がなく、彼はアメリカへ渡りシカゴで加藤商会を設立。その後、ニューヨーク州バッファローで開催されたパンアメリカ博覧会にその製品を出品・販売。
しかし、加藤博士は当初特許を取っておらず、1903年に別の方法でインスタントコーヒーを作ったジョージ・ワシントンが特許をとり、インスタントコーヒーを大々的に生産したため、幻の発明者となってしまった。
建国の父ワシントンと辺境の地日本から来た一商売人とでは部が悪すぎた、というのは日本人としてのやっかみだろうか。

20世紀(明治-大正-昭和-平成)

第二次世界大戦による、コーヒー暗黒期

カフェも各地に出来て一般的に飲まれるようになったコーヒーは1937年(昭和12年)戦前としては輸入量がピークを迎える。しかしその後第二次世界大戦の影響により、コーヒーは「贅沢品」「敵国飲料」のレッテルを貼られ、ついに1944(昭和19)年に輸入停止となる。

終戦から5年経った1950(昭和25)年からコーヒーの輸入再開と共に、日本のコーヒー文化の第二章が始まった。
1960(昭和35)年には国内でもインスタントコーヒーの生産が始まり、翌年輸入が自由化により、一層庶民も飲みやすく一種のコーヒーブームが湧き起こった。

世界で初めての缶コーヒーが誕生

島根県西部にある浜田市で、“希代のコーヒーマニア”とも言われた三浦義武が世界で初めて缶コーヒーを製造・販売した。1965年(昭和40年)発売の世界初缶コーヒー「ミラ・コーヒー」は200グラム入り、当時の値段で80円で販売。現在130円程度と考えると若干高いくらいの価格だろうが、何よりも誰も見たことがなかった缶コーヒーを独自で開発して販売したのだから、破格と言って間違いない。
当時は缶の腐食が原因で難しかった商品化を、地元・浜田市の缶詰工場に協力を仰ぎ、東京都の製缶メーカーとともに腐食しにくいスチール缶を開発したことで販売を可能にした。風味はお店で飲むものとほとんど変わらず、2年置いても品質が変化しない極めて完成度の高い製品だったとされ、価格と共に彼の情熱を感じる。

1969年にはUCC(上島珈琲株式会社)によって、レギュラーコーヒーから抽出された本格的なミルク入り缶コーヒーが開発・生産された。

今ではカフェだけでなく喫茶店やコーヒーチェーンなどが街を歩けばどこにでもあるけれど、こうした店舗がなかった当時は自動販売機などを通してどこでもおいしいコーヒーが飲める缶コーヒーは、画期的なまさに発明だった。そして、そのコーヒーを気軽に飲みたいというニーズを生み出すベースを育んんだことも間違いない。

21世紀(平成-令和)

国民飲料と言っても過言ではない程人気に

その後、海外からの情報やトレンドが早く入って来るようになると、特にアメリカのシアトル系コーヒーチェーンの台頭やサードウェーブのドリップコーヒーがマーケットを席巻する。これにより、自分でドリップで淹れたりエスプレッソマシーンを購入したり、それこそお気に入りの豆を探したり、と自宅でもこだわりのコーヒーを淹れる人々が増えてきている。


*上記の情報は以下のリンクからまとめています。

世界のコーヒーの歴史を振り返った時、圧倒的後進国だった日本がインスタントコーヒーや缶コーヒーなど独自な形でその歴史に加われていることは誇らしい限り。
そういった名もなき市井の人々の努力の積み重なりで、今目の前に当たり前に様にコーヒーがあることに感謝して襟を正してコーヒーをいただこう。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。


皆様も、良い一日を。

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