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京都旅の振り返り

おはようございます。
今日も東京は素晴らしく晴れて、晴れすぎて空が白んでしまうくらい。気温も朝から24℃あり、今日も暑くなりそうだ。

今日は4/30〜5/3の4日間の京都(一瞬奈良)旅で感じたことを今のうちにまとめておきたい。

京都の歴史観

京都の史跡を訪れて一番感じるのは、やはりその歴史の長さ。
お隣奈良をメインとする飛鳥時代(593〜710年)からの文化の連なりを含めば1400年ほど前から、既に(首都としての)人々の暮らしが根付き、花開き、今なお日本人の心の原風景とも言える景色をここかしこに残している。首都としての歴史は、794年に桓武天皇が都(泣くよ うぐいす 平安京ね)としてから1869年( 明治2年)に 明治天皇が東京に遷都するまで1000年以上あり155年の東京よりも圧倒的に長い。(もちろん鎌倉や江戸といった歴史の”表舞台”はまた別としても)
そして、当時からの文化が、各時代のここの住人であることへの自負を持った人々によって長い年月をかけて自治的に守られ続け濃縮された独自の文化が形成されている。この美意識が今ある風景を残しているとも言えるので、どちらが先ということもなく相互的に育んだものなのだろう。

奈良から仏教勢力や藤原氏などの貴族の影響から離れられ、琵琶湖に近く宇治川を使っての水運も便利、なおかつ水捌けが良く災害も起こりにくいという、当時の政治的な背景と幾つもの好条件を適える場所として選ばれたとされる京都盆地。当時としては十分に大きかっただろうが山々に囲まれていることが、結果として東京や大阪のような無尽蔵に広がっていける平地の新都市として大きく異なり、より一層閉ざされたコミュニティ感を強めたのかもしれない。(上京区、中京区、下京区しか本当の京都として認められないという括りもこの際置いといて笑)

京都の自然

京都にいて感じることは、自然がとても近いこと。
盆地のお陰で見上げればどの方向にも彩り豊かな山を見ることができるし、鴨川に限らず水路や水辺も多い。その水路の周りは柵などがないことも多く、代わりに生垣や哲学の道の様に並木が寄り添って、人だけでなく鷺や鴨なども引き寄せられるものだからより自然度を高められている。
お寺があればその周りが木々で囲まれていたり御神木があったり。街中でも長屋前の軒先に大小に関わらず鉢を並べて花や草を育てているし、家屋と家屋の間の狭い路地でさえも飛び石を配して地面を残してそこに苔や野草を生やしている。なんだかロンドンやパリに近い感覚。
「小さい秋」という言葉があるけれど、京都には気がつけば至る所で「小さい緑」を見つけられる。これを気持ち良いと感じるのは、僕がガーデニング好きだから、というだけではないだろう。

街中に平気で鷺も鴨もいる
木の幹に咲く花

京都の宗教観

京都が面白いのは、天皇のお膝元でありながら仏教と共に豊かな土着信仰が育まれて幅広い宗教観が育まれてきていること。
僕が今回登った3つの山(笠置山、鞍馬山、稲荷山)だけ見ても、岩があり、木があり、鳥居があり、異なる信仰の対象がそれぞれ共存している。社会組織において天皇がいようとも、それ以上に力を持つ超自然的なものを信じてそこに力を委ねる精神性、そして自分が信じるものと異なるものを信じる他者も受け入れる他者への尊敬や信頼、許容性があるということだ。
これが京都で旅行者でも触れられる優しさ、あったかさの源にある気がする。

京都のウチとソト

外の人たちには「いけず」とも言われる京都の人々だが、彼らはどんな人たちなのだろう。
他のエリアにだって「江戸っ子は3代続いてないとダメ」とか「東京行って標準語を喋るようになったら魂売ったと言われる大阪人」も皆独自の内側文化を持っている。「一度会ったらもう友達」みたいなアメリカンなノリも良いとして、京都はそれとは違って、仲良くなるにせよ、まずはゆっくり慎重に最初は丁寧にやりましょう、というスタンス、適切な距離感がベースにある様に思われる。相手に敬意を払いつつ、自分も含めてお互い無理をしなくていいちょうど良い立ち位置を事前に示して距離感を確認していく、という理に適ったコミュニケーションだ。

一方で、眼に見える数字だけが価値を置く資本主義が、東京や大阪の様に幅を利かせられない背景も、同様に京都の持つこうした価値観、美意識にそぐわず、シンプルすぎて時に稚拙にも思えるコンセプトへの拒否感なのかもしれない。
京都は場所も限られてますし、どうぞ他のとこで頑張ってくださいね、的な。

京都の方とのお話

今回疲れて小川の横のベンチで休んでいたら、たまたま隣に掛けられていた地元の50歳くらいのおば様が(東京の40超えたおじさんが何言うか)声をかけてくれてお話をする機会があった。
疲れてたからお茶でもしようか迷っててという話から和菓子の話になり、まさかの前回たまたま見つけた和菓子屋さん、塩芳軒さんがオススメというので僕が知ってて相手もびっくりしながら「本当に美味しいですよね」って盛り上がって。その界隈に住まわれているみたいでそれ以外に銭湯に行く話で長者湯が伝統的で薪で炊いてて、とか北に上った船岡温泉もいいよとか、俳優佐々木蔵之介さんのご実家佐々木酒造は市内唯一の酒蔵で前を通るだけでいい匂いがするとか、いろいろ親切にお勧めを教えてくれた。
そんな彼女もお母様が山口から嫁いで来られた当時(察するに50年ほど前か)は「よそもの」として苦労したというに仰っていたが、今はそうでもないという。以前からの日本人観光客の波に加えて、ここ10年で国際的観光地になったことで日常生活の中に常に「よそもの」が入れ替わり立ち替わりやって来る、そんな新たな日常を避けられない状況になっている。さらに京都に移住するする人も増えてきたことで、少しずつ京都の人々の意識も変わってきているのだろう。
そんな中で自分たちの文化や目の前の生活を守ろうとしている防御本能の一端が「いけず」に現れているのではないか。「楽しんで、また来てくださいね」という別れ際の彼女の挨拶を聞いてそう思ったりもした。

京都の伝統と革新

言うまでもないが、京都の人たちは古いものへの理解、価値を置く美意識が他県民よりもずば抜けて高い。その表れが街並みや市内にも溢れる寺社仏閣の多さが物語っている。そして、そうした伝統的な建物を維持していくためには伝統技術が不可欠だ。だからこそ、京都には昔から工芸品も多くそれに魅了される訳だが、今や時代は以前よりも早く変わっている。和室が減り畳が使われなくなり、座布団がイスに、和服が洋服に、履き物が革靴を通り越してスニーカーに、漆や焼き物がプレートに代わって洋食を演出する様に時代になっている。どんなに貴重な素材を使って丁寧な仕事がされても、使われなくなってしまえば芸術品としての価値以外は見出してもらえず、数が出なくなれば産業として傾き、継続が難しくなり、更に後継者が見つけにくくなり、その流れが一層加速してしまう。その危機感が伝統へのこだわりを上回った時に、もしくは新たな創造性で物が作り出される時、新たな製品展開や技術応用して伝統技術が未来に繋がれていく。
その意味で技術は間違いない中で、西陣織の細尾さんなど今までの業界内での常識を打ち破ってニーズを取りに行く新規性に富んだ攻めも目立つ様になってきている(細尾さんは横幅が決まっていた反物の幅を広げることで、元々も高い技術を活かした芸術的なテキスタイルとして欧米のラグジュアリーブランドの店舗のファニチャーや製品に素材を提供されている)。
ただそれは今になって始まった話ではない。藍や漆で見てきた通り、今ある伝統工芸は今に伝わる過程の中で、常に職人達が経験に基づいた創造性を発揮して新しい生産方法、加工技術で更新されてきた結果なのだ。

市民の生活で見てみても、お出汁を軸にした和食やお抹茶、和菓子がこんなに充実している一方で、パン屋さん、町中華、カレー屋さんの激戦区だったりとそのカウンターカルチャーもかなり懐が深い。和食の美味しいものをわかっているからこそ、出す側もそれ以外のものでも同じレベルのクオリティを提供するし、受け取る側もそのレベルを求めている。古いからいいものではなく、長く続けられる良いものだけが選ばれ残る街、それが京都。その厳しい審美眼や基準故に伝統を守り続けてきたのだ。
これからも京都の文化が世界にリアルタイムで愛され続けるものとして、京都の人々がその守護者として守り続けるのだろう。
願わくはこの良いものに価値を置く価値観が、京都の外にも広がっていくことをただひたすら願う。

改めて京都様、ありがとうございました。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、残り最後1日のGolden Weekを楽しんで。

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