見出し画像

【開催記録】「対立の炎にとどまる」読書会:私たちはどのような目的や願いを持って対話の場に臨むのか?

今回は、アーノルド・ミンデル著『対立の炎にとどまる(原題:Sitting in the fire)』を扱った読書会の開催記録です。

毎月、友人と共同開催をする中で異なる参加者の皆さんと、異なる学び・気づきを得ることができている恒例企画となってきました。

第1回第2回第3回の「対立の炎にとどまる」読書会の開催記録は、リンクを、第2回の読書会をきっかけに生まれた「プロセスワーク入門」読書会は以下をご覧ください)

今回は、『対立の炎にとどまる』第4回目の開催記録です。


読書会開催のきっかけ

現在、私は生業として対話の場づくりファシリテーションといった方法を用いて、人と人の集まる場を目的の実現に向けて協力しあっていけるようにするお手伝いをしています。

世代を超えて豊かに育っていく関係性、組織・社会の仕組みづくり』というものをめざして日々、対話、ファシリテーション、場づくりの知見を個人、組織、コミュニティで紹介したり、実践を続けているのですが、その学びと探求の過程でさまざまな流派の知識体系、技術、哲学、事例に触れることとなりました。

そしてその中で、何年も語り継いでいきたい大切な知恵が詰まった本を、興味関心の合う仲間たちと時間をかけて丁寧に読み込み、対話することの重要性を感じるようになりました。

現在、毎月3回程度のペースで読書会を続けていますが、その中で大切にしていきたいことは以下の3つです。

少人数でじっくり1冊のテーマについて語り合う場をつくろう

本からの学びを、日々の実践につなげるための仕組みをつくろう

ゆるくしなやかな、種が芽吹いて育っていくような関係性を築いていこう

主催する私個人としては、読書会用に選書している(そしておそらくこれから選書するであろう別の)書籍は、一度サッと目を通して理解できたり、その叡智を実践することが難しいと感じられるものばかりです。

読書会の場は、次の世代に伝えたい大切な叡智を扱う場として、一冊一冊の知見が自分の子どもや孫世代まで伝わっていくような、そんな気の長い関わり方をできればと考えています。

語り継いでいきたい大切な知恵を、共感しあえる多くの人と分かち合う』そのための場としてこの読書会を設定し、参加者それぞれのタイミングで入れ替わりながらも豊かな関係性を紡ぎ、継続していきたい。

このような思いから、月に一度のこの指とまれ方式の読書会は始まりました。

さらに詳しくは以下の記事もご覧ください。

アーノルド・ミンデルとは?

本書の著者アーノルド・ミンデル(Arnold Mindell)は、プロセス指向心理学(Process-Oriented Psychology)、また、それらを対人支援・対集団支援へ活かしたプロセスワーク(Process Work)の創始者として知られる人物です。

1940年1月1日にアメリカ・ニューヨーク州生まれのアーノルド・ミンデルは、アーニー(Arny)の愛称で呼ばれ、現在はパートナーのエイミー・ミンデル(Amy Mindell)と活動を共にしています。

幼少期の経験について、ミンデルは以下のように述べています。

第二次世界大戦が勃発したちょうどその頃、私はニューヨーク州北部の小さな町で生まれた。小学1年生になる頃には、自分を取り巻く世界全体が反ユダヤ主義であるように見えた。他の子どもたちが私のことを醜い反ユダヤ的な名前で呼び、寄ってたかって攻撃してきたとき、自分の家族がユダヤ系であることを初めて自覚した。

アーノルド・ミンデル『対立の炎にとどまる』p245

その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)で工学と言語学、大学院では理論物理学を学んでいたミンデルは、留学先のスイス・チューリヒでユング心理学と出逢います。

1969年にユング派分析家の資格を取得したミンデルは、ユング派が得意とする個人が見る夢の解釈のあり方を広げ、それを身体、グループ、世界へと展開していきます。

その考えはユング心理学の枠組みを大きく超えたものであり、1991年にアメリカ・オレゴン州に拠点を移したミンデルは、プロセスワークセンターを設立します。(下記リンクは、現在の組織体であるProcess Work Insutitute)

これ以降、ミンデルはタオイズムや禅といった東洋思想、シャーマニズムの概念を援用しながら自身の考えを語るようになりました。

アーノルド・ミンデルの思想との出会い

私とアーノルド・ミンデル氏の初めての出会いは、 廣水 乃生 さんが講師としてやってきた『場づくりカレッジ』という場づくり・ファシリテーションを学び、実践するプログラムでした。
その際に初めて私は、人の集団では表面的なやりとり以上に非言語の、明確化されていないメッセージのやりとりが行われていること、そのような場をファシリテーションするとき、ファシリテーターはそのダイナミクスの構造を捉え、違和感やメッセージに対する自覚を高める必要がある、といったことを体系的に学んだと記憶しています。

その学びに何か確信的なものを感じたのか、以降私は『紛争の心理学』『ディープ・デモクラシーと、どんどん日本語訳されたミンデルの書籍を手に取り、それらの原著も取り寄せるまでに至ります。
ところで、どうして原題は『Sitting in the Fire(炎の中に座る)』なのでしょうか?

そのような問いを持ってみると、同じようなタイトルの本も見つかるではありませんか。ラリー・ドレスラー著『Standing in the Fire(邦題:『プロフェッショナル・ファシリテーター』)』です。

2017年以降、私は組織・集団のプロジェクトや、ワークショップを運営するファシリテーターを生業としてきました。
その中で、グループ内の葛藤や対立が深まる中で一触即発の場面や、暴力性が噴出するような場面にも遭遇してきました。

そのような時、ファシリテーターとしての私は文字通り炎に焼かれるような緊張感、緊迫感、存在を揺さぶられるような危機感に身を置かれます。

この場はどうなるのか…
不用意な一言が暴発を招いてしまうのではないか…
次に口火を切るのは誰か…
ここの場の人間関係も決定的な破局になってしまうのか…
ミーティングの残り時間で何かの形で決着させられるのか…
自分にできることは何か…

それでも、そんな中でも、対立を超えたその先に、より良い未来を描きたい…と願い、自分の存在を投げ出すような覚悟と決心を持って場に臨み、真摯にファシリテーターとしての役割を全うする。

そのような体験で感じていたものが、『』ではなかろうか、というのが私の仮説です。

初めての邂逅以来、アーノルド・ミンデル氏が創始したプロセス指向心理学、プロセスワークを実践するプロセスワーカーの方々とも出会い、対話を重ねてくる中で今ここに至りますが、『紛争の心理学』は2022年12月に『対立の炎にとどまる』として復刊され、再び本書と縁が結ばれました。

そして、今回の読書会を思い立つ前に、本書の出版直後、アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎(ABD)という読書会が連続企画として開催され、私もその場にも参加しておりました。
※全3回シリーズの『対立の炎にとどまる』ABD読書会の第1回第2回第3回の参加記録はリンクを、アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎(ABD)については以下も参考までにご覧ください。

ただ、この場だけでは扱いきれないテーマがあったことも手伝い、本書を取り上げてこの指とまれ読書会を開催する運びとなり、現在も毎月1回は本書を扱った読書会が継続し、4回目を迎えています。

読書会を通じての気づき・学び

読書会の運営方法

読書会の運営方法は、今回の読書会の呼びかけにいち早く反応してくれた友人のアドバイスを参考にしながら進めることにしました。
極力、プログラム的な要素は削ぎ落としつつ、シンプルに対話を重視した構成を行おう、という方針を意識しつつ運営方法を考えることとなりました。
まず、以下のようなオンライン上のシートをJamboardで準備しました。

準備していたJamboard

読書会を始める前の準備として、初めの一言を1人ずつ話した後、上記のオレンジ、黄緑のテーマについて再び1人ずつ話してもらいます。

その後、黄色の付箋の書き出しの時間を設けた後は、その黄色の付箋について対話・探求を進めていくことにしました。

読書会の最後は、1人ずつ今回の感想を話して終了となりました。

この間の開催時間は90分。今回の場も、気づけばあっという間の2時間となりました。

日本人の国民性と、対立について

今回の読書会の対話の冒頭、扱われたのはこのテーマでした。始まりは、ある参加者からの『日本人は対立を歓迎する人種かそうでないのか?』という大きな問いかけからでした。

和を以て貴しとなす』とは聖徳太子(厩戸王)が制定したとされる十七条憲法の第一条にある言葉(以和爲貴)であり、飛鳥時代から「和をなによりも大切なものとしなさい」という現代に通じる考え方の萌芽はあったように思われます。

このほか、ルース・ベネディクト『菊と刀』や鈴木大拙『日本的霊性』、新渡戸稲造『武士道』など日本人論に関する文献は様々ですが、エリン・メイヤー『異文化理解力(原題:The Culture Map)』においては、日本は「ネガティブかつ間接的にフィードバックを行う」×「ハイコンテキスト」な文化圏であると指摘されています。

以上、『日本人とは〇〇だ!』と断言しきれない状況ではありますが、一般的な感覚として、そして特に欧米各国と比較して『日本人は対立よりも調和を大切にする人種』である、という認識があるように感じられます。

また、この話題から、

『和を大切にする日本人が対立に向かうとしたら、それはどのような状況が考えられるか?』

『アダム・カヘン氏は自身のファシリテーション論の中でLoveとPowerについて述べてきているが、時にPowerを発揮できることは重要ではないか?』

という投げかけも起こりました。

LoveとPowerといえば、キング牧師の言葉です。

愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である

日本人に限らず、この愛と力のバランスや適切な使いどきに活用できることは、人が人としてより良く生きていく上で重要な知見と言えるでしょう。

対立と調和:Love & Power

アダム・カヘン氏(Adam Kahane)は現在、人々が最も重要かつ困難な問題に対して共に前に進むことを支援する国際的な社会的企業であるレオス・パートナーズのディレクターを務められています。

これまでに出版された5冊の書籍はいずれも邦訳されています

カナダ・モントリオール出身、ミドルネームをモーセ(Moses)というアダム・カヘン氏は、1990年代初頭にロイヤル・ダッチ・シェル社の社会・政治・経済・技術に関するシナリオチームの代表を務め、その頃に南アフリカの民族和解を推進するシナリオ・プロジェクトに参画しました。

以降、これまでに世界50カ国以上において企業、政府、市民社会のリーダーが協力して困難な課題に取り組むプロセスを整え、設計、ファシリテーションを行なってきた第一人者です。

アダム・カヘン氏の二冊目の書籍である『未来を変えるためにほんとうに必要なこと―最善の道を見出す技術』はまさに原題が『Power and Love』であり、愛と力がテーマでした。

本書の中で特に印象的だった点としては、まず、本書における力(Power)愛(Love)について、神学者であり哲学者のパウル・ティリッヒ(Paul Tillich)による定義に則っていたことでした。

曰く、

力とは、「生けるものすべてが、次第に激しく、次第に広く、自己を実現しようとする衝動」
"the drive of everything living to realize itself, with increasing intensity and extensity."


愛とは、「切り離されているものを統一しようとする衝動」
"the drive towards the unity of the separated."

『未来を変えるためにほんとうに必要なこと』『Power and Love』より作成

また、近年の書籍等においてアダム・カヘン氏は公義(Justice)という第3軸について提唱しています。

アーノルド・ミンデルの言う『対立の炎にとどまる(Sitting in the fire)』の実践には、アダム・カヘンの語る上記のようなLove、Power、Justiceという視点も有効だと考えられます。

※アダム・カヘン『共に変容するファシリテーション』について扱った全3回のABD読書会記録については、以下をご覧ください。第1回第2回第3回

ランクに関する自覚の欠如

今回の読書会の中で対話が少しずつ深まりつつあった中、対話の場づくりとランクの差といったテーマが扱われることとなりました。

アーノルド・ミンデルの思想において、ランクという言葉は重要な概念です。

ランクとは、どのような人にも自然に備わる属性およびその属性による集団内での影響力の差をもたらす要素を指します。

これらの要素には人種、言語、年齢、性別、社会的地位、宗教、経験などが含まれますが、これらはある集団内で無自覚に扱われることで時に被害者、犠牲者を生み出してしまうことになります。

かつての日本の家父長制的な家族であれば、性別のランクにおいて女性よりも男性が優位とされ、アパルトヘイトが存在していた当時の南アフリカであれば、白人が黒人よりも社会的地位が高く、制度上の優遇も受けられ、心理的にも優位に立てる、といった例が挙げられます。

ランクは、より劣位に置かれる人ほど自覚しやすく、優位にある人ほど無自覚になりがちなものです。

このようなランク差の問題については、アーノルド・ミンデルの名前やランクという用語は直接出ないものの、NHKでも「特権」という表現で扱われています。

ところで、なぜこのようなテーマが挙がったかといえば、ミンデル自身も自身のランクへのアウェアネス(自覚)が欠如していたため、あるミーティングの参加者に怒りをもたらしたという経験からです。

1992年、北アイルランドのベルファストにて停戦調停が行われている最中、紛争状態にある双方のグループのミーティングの進行に、アーニー、エイミーの2人は向かいました。

そして始まりの挨拶も終わらぬうちに、いわゆる「テロリスト」と称される陣営の人々から2人は怒りや復讐心を向けられたというのです。

その男性と仲間たちは彼女を遮り続けた。「俺は何年もテロリストをやっているんだ」と1人が自慢した。それはあたかも、俺を変化させてみろと私たちに挑戦するような言い方だった。

アーノルド・ミンデル『対立の炎にとどまる』p123

また私たちは、自らの特権についてのアウェアネスの欠如が、彼らの怒りを引き起こしていたことにも気づかされた。私たちはベルファストよりも安全な地域での生活に戻れるが、彼らは紛争地域にとどまり、そこで暮らさなければならなかった。私たちのダブルシグナル、すなわち、対立には良い面もあると言う楽観的な見方を示していたことや、より良い世界になってほしいという夢を語ったことや、激励のメッセージなどが、彼らを失敗者のように感じさせていた。私たちの心ない行為が、彼らの絶望感を悪化させ、激怒させていたのだ。

アーノルド・ミンデル『対立の炎にとどまる』p123

教育の観点から見る講師像の変化

上記のような背景から、『いっそのこと、あるテーマの場であっても、そのテーマに関する専門家のいない場を作ったらどうなるだろうか?』という問いかけが場に投げかけられました。

そこから、『「そもそも、何を目的とする場なのか?」によって場の仕立ても異なるのではないか?』という論点が現れてきました。

ここで参考になりそうなのが、『ジェネレーター』という存在です。

ジェネレーター(Generator)』とは、一般社団法人みつかる+わかる代表理事であり東京コミュニティスクール初代校長である市川力さんと、慶應義塾大学総合政策学部教授の井庭崇さんによって2011年に初めて提唱された概念です。

ジェネレーターとは、「創造的コラボレーションの担い手」であり、「場に一緒に参加して盛り上がりをつくる人」と称されます。

ジェネレーターの誕生には、ここ100年の社会の変化と学び・教育のかたちの変遷が大きく影響しています。

井庭さんはここ100年の社会の変化を、3つの「C」というアイデアで言い表しています。

Consumption(消費):消費社会
1920年代〜、よいモノ・サービスを享受することが生活・人生の豊さを表す。物質的なモノに重点

Communication(コミュニケーション):情報社会
1990年代〜、インターネット・携帯電話の普及。リアル、オンライン問わず良い関係性、社会的(ソーシャル)な関わり

Creation(創造):創造社会
2010年前後〜、自分で何をつくっているか・つくることに関わっているか。創造的な方向へと関心が向かう時代

この時代の変遷に対応するように、必要とされる学び・教育の担い手のあり方も変化します。

消費社会においては、知識・スキルを教える/教わるという関係性を結ぶティーチャー、またはインストラクター

情報社会においては、コミュニケーションを促す・または交通整理を行うファシリテーター

創造社会においては、学び手のつくることによる学び・創造的な学びに参加し、一緒につくるジェネレーター

ファシリテーターの相違点として本書中で挙げられているのは、ファシリテーターが場の参加者の外側にいる人とした場合、ジェネレーターは場の参加者の1人として内側に入り、自らも活動に参加する、という点です。

人の前に立って講師として活動する人々は、ニーズによって様々な役割を担うこととなります。

知識の伝達や教授が必要な場合は、インストラクターやティーチャーとして人に接する必要があります。ここには、知識面・情報面から生徒たちとのランク差が発生します。

他方で、自らも当事者として場に飛び込み、創造プロセスに加わりながら参加者たちを触発していくジェネレーターは、インストラクターやティーチャーとはまったく異なる役割を担います。

そもそも、この場はどのような目的で準備され、どのような方向へ向かうための場なのか?

この問いに対する答えにより、必要とされる場の仕立てや、講師役としてどのような存在が必要とされるのかが、大きく変化することが考えられます。

※市川力+井庭崇『ジェネレーター』について扱った全3回のABD読書会記録については、以下をご覧ください。第1回第2回第3回

関連リンク

履いている「下駄」とそれが生み出す「構造的差別」

アーノルド・ミンデル博士によるワールドワーク(プロセスワーク)の解説

システムアウェアネス × ソース原理(ゲスト:横山十祉子氏


サポート、コメント、リアクションその他様々な形の応援は、次の世代に豊かな生態系とコミュニティを遺す種々の活動に役立てていきたいと思います🌱