見出し画像

そしてKYOTOから見えた世界

学びの時間が終わった。

一路我が家を目指し、地下鉄にゆられ、ベルが鳴る新幹線に飛び乗った。

例によって、サカナクションを聴きながら、しばしの旅タイム。

さて。今日は学校臨床心理士の全国研修会だった。

全国の学校現場でスクールカウンセラーとして働いている人たちが集まって学びを深めたのだ。

子どもたちをとりまく環境はますます過酷になっている。

恥ずかしながら今日私が初めて聞いた言葉があった。

ヤングケアラーという言葉。

子どもが家庭の中で、祖父母の介護や幼いきょうだいの世話などを担わざるを得ず、登校や学習に支障をきたしている現状。

実際に、これに当てはまる事情を抱える児童生徒を目の当たりにしたことがあった。

あのときの彼は、彼女は、ヤングケアラーだったのだ。

今後もヤングケアラーについての認識や支援が広まっていくことが必要だと痛感するとともに、自分の知見を絶えず更新することの大切さを思い知った。

不登校、いじめ、子どもの自殺、子どもの貧困、虐待、犯罪被害、災害被害…

さまざまな要因が絡み合いながら、多様で困難な現実を生きている子どもたち。

ケースの個別性はもちろん大切に理解しながらも、やはり目の前に起こっている現象は、個々の、特定の、特別な問題ということだけでは片付けられない。

子どもたちの姿は、刻一刻と変わる社会を映しだしている。

どこであれ、誰であれ、無関係な人はいない。

私ももちろん、その渦中にいるのだ。

便利になっているはずの世界、どんどん息苦しく生きづらくなっていくように感じるのはなぜなんだろう。

学校にいると時々、はみ出すことを許さない、そんな余白のなさに胸が詰まることも正直ある。

しかも年々、その傾向は強くなっているように感じる。

曖昧さに耐える、不確実さを抱える、そんな力が子どもと関わる大人には(私にも)必要だと思う。

大人も一生懸命だが、子どもたちは白黒つけたがる世界にあってとても疲弊していると思うから。

そんな世界の隅っこで、私にできることは何ひとつないかもしれない。

渦に飲み込まれ、自分の無力さにくじけそうになる。

それでも、この世界の一員として、何かのご縁で出会ってくれた「あなた」に向き合い、寄り添うことがもしもできたなら。

その痛みを、その寂しさを、その憎しみを、その憤りを、その喜びを、その驚きを、その願いを、その悩み以前の形なきモヤモヤを、良ければほんの少しの時間、私にもほんの少しで良いから一緒に持たせてほしいと思う。

心から安心して、ただその場にいる、それだけでいいから。

いや、もしそれが本当にできたならどんなに良いだろう。

***

そして、今日は自分の職業人としてのあり方を振り返る時間にもなった。

学校臨床心理士(スクールカウンセラー)という職業の勤務形態は、一年契約の非常勤がほとんど。

今日は約1700人の参加者だったらしいが、だだっ広いホールにぎゅうぎゅう詰めになっているたくさんの人が私と同様の不安定な雇用状況に置かれているんだと思うと変に感慨深かった。

(文部科学省によると平成30年度には全国の27809校にスクールカウンセラーが配置されたらしい。このうち常勤職はごくわずかで、常勤職であっても有期のことが多い。そして私もだが、複数校をかけもちして勤務する人も多い)

もれなく不安定で先行きの見えない、私の職業生活。

職業人生のスタート時には、正規の雇用に巡り合えず、この道を選ばざるを得なかった部分も大きい。

しかし、やりがいを持ちつつ私たちが心から安心して働ける日が来るときには、この世界の子どもたちの安心が守られる仕組みができているのかもしれない。

いや、そうしていかなければならない。

もっと、能動的に。

あきらめずに、もうしばらくこの仕事を続けていこうかな。

イヤホンの向こうで山口一郎も歌ってる。

消し忘れ 消し忘れたライト
あとどれくらいで 朝が来るのか
悲しみ 悲しみと同じ
歩幅で歩いた 夢を見てた
  (ルーキー / サカナクション)

よし。

明日からも、悲しみと同じ歩幅で歩いて行こう。

朝が来るまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?