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文字単価0.5円、材料自腹で毎回赤字……それでも仕事を半年間つづけた理由

およそ3年前、確実に赤字になる書評記事を書き続けていた。

クラウドソーシング経由で得た仕事だった。2,000字で文字単価0.5円の書評記事で、報酬は1記事1,000円。平日の仕事で週に1本しか書けなかったが、1週間に1記事書いて4,000円だ。副業と呼ぶのもためらうほどの金額にしかならなかった。

安くても、労力がかからないのならまだいい。ただこの書評記事の仕事は、初心者の私にとってそれなりに重かった。1週間で5種類の本を読んで2,000字の紹介記事にまとめなければならない。朝や仕事終わり、電車の時間を使って5種類の本を2~3日で読み切る。そして残り3日ほどで記事として執筆していく。その繰り返しだ。要領のいい人なら本を買わずにレビュー記事から情報を得て書けただろうし、1週間の納期は決して短くないのかもしれない。ただ私にとってはいつもギリギリで、毎週死にそうになりながら書いていた。

そして執筆に必要な本の料金は、いつも自腹だった。本はどうにか図書館で借りて読んでいたが、図書館で手に入らないものもある。国立図書館にはめったに行けないので、マンガは漫喫やレンタルする必要がある。そうして書籍をそろえると、どう工夫しても1,000円以上はかかってしまう。そう、この仕事は毎回必ず赤字になってしまっていたのだ。

100%赤字になる仕事をやり続けた理由

誰が見ても「美味しくない」仕事だった。それでもわたしは半年間、毎週必ず納品し続けた。記事を書くたび、材料費で1,000円以上の赤字を抱えながら。もちろん騙されていたわけではない。この単価に、ちゃんと納得していたのだ。単に金銭感覚が狂ったアホだったのかもしれない。ただこの仕事を続けていたのには、私なりの平凡な理由があった。

自分の手でつくったものを評価してもらいたかった。誰かから、自分の力を認めてもらいたかったのだ。承認欲求が満たされるためなら、報酬金額なんて正直どうでもよかった。

当時の社会人1~2年目のわたしは、自分の仕事が嫌いだった。楽しくもないし、上手くも行かない。うまくいかないから、特別周りから評価もされない。評価されないのでつまらない……と負のループにはまっていた。

だから例え毎回赤字になってしまったとしても、自分の得意とする文章が評価され、1円以上の価値を生み出しているだけでうれしかった。やりがいだと感じていた。今では考えられないけど、あの時のわたしなら「文章単価100円」とかでも取り組んでいただろう。それくらい、人の評価や承認を渇望していた。

承認欲求は、人を安い労働力に変える

承認欲求は、時間やお金よりずっと強いらしい。だから「認められたい」と強く願う人は、たとえ割に合わない仕事も喜んで引き受けてしまう可能性が高い。

つまり承認欲求が満たされないと、過小評価でも認められさえすれば問題ないように感じてしまう。「認められたい」と思って始めたのに、本当の意味で認められてはいないケースが多い気がする。

だから「認められたい」と強く願っているときこそ、過小評価や不当な扱いをされていないか十分気を付けないといけないと思う。

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