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書評 #12|幻夏

 怒涛のように刺激が繰り出される。生きる希望を示しながらも、姿を消した少年。二十三年の時を経て交差する失踪。血も流され、危険な香りが漂う。太田愛の『幻夏』はその圧倒的な舞台設定で読者を物語の奥深くへと引き込む。この後の文中では作品の核心や結末が示唆されているため、気になる読者は読むのを避けてもらいたい。

 失踪した少年と最後の一夏を過ごした相馬。少年の母から命を受けた鑓水と配下で動く修司。刑事の相馬、探偵の鑓水。異なる視点から描かれる道筋は作品に適切な緩急をもたらす。

 山を登るように事件の核心へと近づいた。真っさらなキャンバスが色を帯びていく。地表の感触を確かめるかのごとく、徐々に。前触れもなく、時に激しく。その旋律は読む者の意識を離して止まない。

 警察組織と法曹界に通底する組織的欠陥。冤罪を世に生み出す、原則の欠如。物語の根幹として据えられた問題提起。真新しさはないが、描かれる負の螺旋は強い苦味を伴う。

 司法構造の課題に端を発し、過去と未来にまたがる物語は劇的に展開していく。社会の隅に追いやられるかのように翻弄され、窮地へと追い込まれる水沢香苗と少年たち。冤罪によって悲劇に染まり、その色は時を追って深まる。強者と弱者。富者と貧者。二分された世界は大きく異なるが、隔てる皮はとても薄い。

 極端なまでに不幸を背負った柴谷哲雄。私見だが、無色透明とも形容できる彼の色味を感じたかった。そうすれば、作品に対する感情的な深みはさらに高まっただろう。

「尚を見つけてください」

 失踪した息子の尚を追い求める香苗。それは尚の物理的な探求であり、家族を守り、苦しみを一身に背負った結果として、変貌せざるを得なかった尚の内側にある真の姿を追い求める精神的な旅でもある。

 釘を打ち込むように、提示される布石や暗示。多様な起伏を経て、それらは末尾で見事に収斂された。太田愛による美しい文体と精緻な想像力が印象に残る。


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