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『SEASON: A letter to the future』感想:終末が迫る世界で問われる「未来に何を残すか」そして「どの思い出を捨てていくか」という選択


未来の誰かのために、世界の終わりを記録する。


主人公の女性「エステル」は、とある町で育ちました。
彼女は、町の外には出たことがありませんでした。

ある日、友人が予知夢を見たことで、今の季節が終わることを知ります。「季節」というのは、いわゆる四季、春夏秋冬のことではなく、このゲームは「時代」というようなくくりです。戦争の季節、豊穣の季節、などといった言葉が存在します。

そして、その季節の終わりには、世界を押し流す大災害が発生します。
終わりが決まった世界。その世界を後世に残すために、エステルは町から出て、世界を記録する旅を始めます。




写真、文章、音を日記に記し、未来に残す

ジャンルは3Dのアドベンチャーゲーム。
ゲームプレイのメインとなるのは、日記への記録です。
全てを押し流してしまう終末が来る前に、写真を撮り、音を録音し、文章を残します。
徐々に出来上がっていく日記が、未来への遺物となるのです。

日記は、エステルが旅をする中で徐々に形作られていきます。
エステルが通り過ぎる道程。そこにはいくつかのエリアが存在するのですが、それぞれのエリアにいる人や動物、建造物を記録し、今や過去の歴史を残していきます。

日記に記録する方法の1つ、写真。
持ち歩いているポラロイドカメラで、あらゆるものを撮影します。エステルがコメントを残す、特定のオブジェクトもありますが、基本的に正解はありません。何をどう撮影してもいいのです。

そして記録する方法の2つめが、音。
録音機を使うことで、風や水の音、動物の鳴き声、オルゴールから、危険を知らせるサイレンなど、様々な音を記録します。全て、この時代、この季節に存在し、未来の誰かが知るために。

最後に、文章。
エステルが特定のオブジェクトを撮影したり、特定の物にインタラクトすることで、文章が生まれます。エステルが考えたこと、知ったこと、思い出したこと。様々な短い文章から、日記に残す言葉を選択します。
その他、道中で拾った手紙を張り付けたりすることもできます。

一方で、写真、音、文章、拾った物、それぞれ全てを残せるほど、日記のページは広くありません。

残したい写真、音、文章や物を、取捨選択します。
逆に言うと、残さなかった物は後世に伝わりません。
このゲームの真髄は、その選択にあります。

何を選んでも正解である代わりに、必ずそこには選ばれなかったもの、選べなかった(残せなかった)ものが残ります。
その後悔がチクリと切なさとなり、常に小さな迷いが頭に浮かぶ。どの選択も正解というのは、逆に言えば何が正しいか誰も教えてくれないということになります。
エステルは自分の使命のもと、信念に従い、何を残して何を残さないかを決めていきます。



世界が終わる寂しさと静かさの演出に息を呑む

切ないゲームプレイおよび選択を盛り上げるのが、静かでありつつ終末が迫っているという、「何も起こっていないけどこれから何かが起こる」という、寂寥感と焦燥感。
ここの演出が本当に素晴らしかったです。

分解して考えてみると、ビジュアルとBGM、そして会話シーンにおけるセリフと「間」の存在が大きかったように感じます。

ビジュアルについて紹介すると、このゲームの映像表現はリアルさというよりはアニメーション寄り。多少デフォルメされたポリゴンで表現されていますが、その美しさには息を呑みました。

そしてどちらかというと、ほとんどの場所において「ごちゃごちゃしていない」という作りのが印象に残りました。

このゲームを通じて感じたのは、いわゆるサイバーパンク的な世界観とは真逆の、牧歌的な田舎の生活。一望できる景色の中に、機械の要素はほとんどありません。車自体、前時代の物として存在しています。

だからこそ、舗装された道路はあるけど車は通らず、携帯も無ければ時間に追われることも無い。
それはまさに「自然」であり、本来そこにはあるべきではない、機械的なものが存在しないのです。その結果、風景はシンプルであり安心できる、そして迫力のあるものとなっていました。

草や木などひとつひとつのオブジェクトは少し絵画のような、リアルではない描かれ方ですが、そこがまた「細かい部分を省略された描かれ方」で素晴らしかったです。

つまりは、想像の余白がある。『A Space for the Unbound』の感想でも書きましたが、はっきりと実写で描写するのではないからこそ、プレイヤーが想像で補完することができ、それが映像では描き切れない印象を残すのではないかと思いました。

特に、自然の陰影を含めた景色は、どこを切り取っても絵画のように見える美しさ。靄や雲で遠くが見えないのは少し惜しい感じもしますが、見える範囲はつい視点を色々な角度に動かして見てみたくなるくらい美しく、そして興味深いものでした。

加えて、その景色を際立たせているのが画面上のシンプルさです。
こういう、マップを移動するゲームによくある「ミニマップ」「方位」などがありません。当然、文字情報もありませんので、景色を邪魔するゲーム上の表示がほとんど無いのです。自転車の操作方法が一瞬浮かびますが、それもすぐに消えます。

ミニマップの無いシンプルさは、ときに「いちいち地図を確認しないといけない」という煩わしさを伴います。

しかしそれはまるで、Ghost of Tsushimaでマーカーの代わりに風を用いるという工夫をしてでも画面上のUI表示を減らしたように、開発者のUI削減という気概があるように感じた部分でした。



ゲーム性は薄め、ストーリーも短め、だけど強烈な印象を残す

自転車で移動し、写真を撮り、会話を行い、少し謎を解く。
ゲーム性はそのくらいです。ウォーキングシム+アドベンチャーな様相もあり、カタルシスを感じるゲームではありません。ゲーム性は、薄いです。
また、そもそもプレイ時間が短く(私は6時間弱でクリア)、ストーリーもそれに比例し短いものとなっております。

特に、ゲーム中に登場する記憶に関する病気や今の季節より前の季節のこと、そして「神」と呼ばれる存在など、様々な謎が散りばめられるものの、そのあたりの解像度はかなり低め。えっ、ここでエンディングになっちゃうのか、と思ったのは正直な印象です。

AAAタイトルのゲームだったら、プロローグのレベル。「俺たちの冒険はここからだ!」というような印象だったので、もう少し物語は欲しかったな、という気持ちになってしまいます。

ストーリーの短さは少々投げっぱなしと言われても仕方ないかもしれないかもしれません。
しかし、もしかするとそこをどうこういうのは野暮かもしれないな、と思った点があります。

このゲームで感じたのは、そこはかとない「ジブリっぽさ」なのです。
トトロって、どこからどう生まれてどういう生態系だったかなんて、誰が気にするでしょうか。
それは、ただそこにあるもの。それ以上でもそれ以下でもないものです。

このゲームも、楽しみ方はそういうモノなんだと思います。
物語が短い分、出会った人々、体験した神秘、移動した場所、そういった、体験を数として捉えれば、それは少なくなります。
少ない体験だから物足りないのか。謎が解決されないからつまらないのか。
まあ、普通のゲームはそうです。

しかしこのゲームの凄いところは、このゲームから得られた寂寥感、後悔、希望、焦り、困惑、そういった感情がまるで大ボリュームのゲームをプレイしたときのように大きくなり、そしてそれらの感情が少ない体験に割り振られるのです。結果、数少ない体験が、とても濃密なものとなる。
私は、そういった印象を受けました。
そこには、謎が解決したとか解決していないとかの理論的な印象ではなく、ひとつひとつの体験の大きさの印象のほうが強くなっていました。

少ない体験だからゲームの印象も少ないのではなく、演出やセリフに非常に上手く彩られた印象は、少ない体験の「数」に比べて、釣り合わないほど大きいものなのです。そしてそれは、「ゲーム内の疑問を解消する魅力」ではなく、「そういうモノが存在する世界での出来事」という、強引ながらもエネルギッシュな力でゲームの魅力を押し上げていたのです。


主張しないという主張がビシッとハマったBGM

ドラマチックなBGMは感情を昂らせるのに有効ですが、このゲームにはメロディアス、つまり耳に残るフレーズや音、という印象はあまり受けず、どちらかというとヒーリング的な、アンビエントな音楽という感想でした。

オープンワールドは視覚的な情報が多いため、音楽が控えめになるというのは、先日桜井政博さんがYoutubeにて仰っていましたが、このゲームはまさにそれを体現していたように思えます。

もっとも、このゲームはオープンワールドというよりは箱庭的で、だだっ広い空間を旅するわけではありません。ビジュアルも、昨今のAAAタイトルのオープンワールドゲームのようにリッチではありません。しかし、そこに描写されたもの……。それらは、前述の通り、全てを写真に撮ることができ、全てを録音できます。

つまるところ、例え見た目として情報量が少ないデフォルメされた景色であっても、ことこのゲームにおいては……つまり、「映像の美しさの情報量ではなく、写真や音として保存、すなわちインタラクトできる物が無数に存在する」ということになり、それは景色の解像度云々とは関係なく、「インタラクト出来る対象を取捨選択する」というアクションをプレイヤーに起こさせる点において、非常に多い情報量となるのです。

だからこそ、BGMが一歩引いた、目立たない形となり、それでいて映える。
メロディとして印象に残っていなくとも、はっきりと主張する一音が強く心に残る。その鋭利で端的な情報量の音は、まるで写真のように解像度高いものでした。



「間」という演出の上手さ

このゲームで何より素晴らしいのが、演出。
演出というと非常に幅広い概念になってしまいますが、私が最も感じたのはいわゆるカットシーン。プレイヤーが操作しない、キャラクター同士の会話や回想など、人を主軸としたムービーシーンです。

昨今のゲームとの比較で感じたのは、「間」の持たせ方の上手さ。
セリフが矢継ぎ早に発されるのではなく、独特の間を持つ。とにかく、プレイヤーが待つ時間を十分に確保する。

この間の持たせ方が非常に秀逸。
間というのは、どんなコンテンツでも非常に難しい演出の一つであると思います。そのコンテンツそのものに没入できていなければ、ただの退屈な待ち時間です。
それが、このゲームではもはや贅沢な時間でした。

もしかすると、このゲームの世界観があまり詳しく説明されず、カットシーンでの情報がとても貴重なものであるからかもしれません。
キャラクターの紡ぐ言葉が、具体的な情報として貴重だからこそ、その意味や背景を噛み締め、熟考する。
その、頭で考えるのにちょうどいい時間が、「間」としてとられている、つまりプレイヤーを「待ってくれている」ように感じたのです。

そしてそれは、「終末」が来ることに対する、人々の達観、諦観、悟り、覚悟、そのようなもの全てを表現しているように感じました。

また、これは声優さんの名演、翻訳の素晴らしさによる部分もあると思うのですが、主人公の独白のセリフはまるでドキュメンタリーのナレーションのような印象を受け、会話する相手のキャラクターはまるで仙人のようにどこか堂々としています。

それは終末という、時代の終わりが見えているからなのかもしれませんが、何よりカットシーンが素晴らしいこと、そしてそこに含まれる「セリフ」からの静かな終末感で世界観が形作られていくことが、このゲームにおいて最も強い求心力を持つ部分でした。



独特なセリフは詩のよう

このゲームは前述の通り、ボリューム自体が多いものではありません。
必然的に、他のキャラクターとの会話も少なくなっています。
しかし、そのセリフの「色」が、プレイヤーに強い印象を残します。

JRPGなどで町にたどり着いたとき、よく会話としてあるのは、町のこと、日常生活のこと、そして次のクエストのヒントやゲーム攻略のアドバイスなど。

ではこのゲームではどうか。そもそもの会話のベースとなっているのが、「季節の変動」「終末」「記憶」といった、このゲームの世界観に沿った、生命の根幹に触れる濃厚な会話となっています。

大災害が近いからこそ、自分や家族、生涯をかけてやってきたこと、記憶、思い出など、人生を振り返るような発言が多くなるのです。

そしてそのセリフがひとつひとつ、まるで詩のような瑞々しさと深い色を持って、プレイヤーに覆いかぶさってきます。端的であるセリフが、包み込むような印象を持っているのです。

それこそ、単なる日常会話ではなく、生と死、過去と未来など、この世界観だからこその会話であることが理由であり、ゲームを構成する具体的な要素として、世界観を支える要素となっていました。

他のゲームでは真剣で大事なシーン。
それこそ、死を目前としたようなシーンで放たれる、重く心に響く言葉。このゲームでは、終末を目前にした世界観だからこそ、キャラクター達が皆、心に響く言葉を残し、そして強い魅力を持っていました。



終わりに

非常に期待していた本作。ゲームのトレイラーから感じられた印象そのものの、終末の前という不気味で神秘的な静けさを感じられました。また、その世界を記録するということが、同時に何を記録しないかの取捨選択による「もう未来には持っていかない」という切なさが、この世界観ならではの魅力であったと思いました。

感想として、総合的にいうと、やはり「魅力的だからこそもっと味わいたかったな」というのが大きいでしょうか。

ゲームの世界観、雰囲気、演出の完成度が高すぎるので、プレイすればするほどその世界と、生活している人々に興味が沸いてきます。過去の季節ではどのような生活が営まれていたのか。強く知りたいものの、示されるのは端的な要素ばかり。知りたいのに、知れないのです。

それはもしかすると、自身が生活していた町から初めて外に出た主人公の、等身大の感覚だからこそ、「わかることはわかるけど、わからないことは想像するしかない」という体験を演出しているのかもしれません。
ゲーム的にはもう少し遊びたかったものの、しかしよりゲームの中に入り込み、主人公の視点からすると、「わからないものはわからない、そのまま過去に置き去りにされてしまう。でもそれも、どこか理不尽な『終末がくる』ということである」とも解釈できるのかなと思います。

あくまで、大きな事件を解決するとか、悪の枢軸を倒すとか、そういうゲームではありません。季節の終わり、終末の中での、たった一人の、ひとつの行動。そこを切り取って、普遍的なものすらも印象深く仕上げた本作は、まさにインディーゲームだからこその、一瞬を切り取ったからこその新たな芸術品と言えるのではないでしょうか。

steamでは3,000円弱。ちょっとPS4/PS5の4,389円は内容の割に高いかなと思いますが、興味ある方はぜひ購入してみてくださいね。


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