25年間「いじめ」に悩んだ人生が「最高」だったと思えるようになるまでの話をしよう
暴露します。僕は、約25年間。「いじめ」に悩みながら生きてきました。
人生で初めて、いじめを受けたのは幼稚園の頃。
早生まれの僕は、同級生に比べると身体が小さくて、同級生の中にいたジャイアンみたいに身体の大きな人から、殴る・蹴るの暴力を受けていました。
幼い頃のことだから、記憶はたしかではないんだけれど。
でも、毎朝送迎バスの中で、複数人の同級生や上級生からの身体的嫌がらせを受けていたことは強烈に覚えています。バスに乗るのが恐怖すぎた。
だから、毎日登園拒否をしては、朝から晩まで「帰りたいよ!!」と泣き喚き、先生の後を一日中ついて回るような子どもでした。
もちろん。いじめが辛すぎて、親にも相談したんだけど、当時は今ほどいじめが社会問題になっていなかったからか、両親は「そういうこともあるよね」くらいにしか扱ってくれなかったんですよね…
大人になってから当時のことを両親に話した際にも「あぁ、そういえば、そんなこともあったよね」くらいの薄いリアクションだったので、僕の記憶は間違いありません。
共働きだった両親は、僕のことを幼稚園に預けなければいけない事情があったと思うし、幼稚園に行かせることで、他人と関わる経験をさせて「強い子どもに育ってほしかった」という願いもあったかと思います。
でも、もちろん園児だった頃の僕は、両親のそんな想いや事情なんてわかるはずもなく。
「どうして、お父さんとお母さんは、僕にヒドイことをするんだろう…」
としか、感じていなかったんじゃないのかな?と思うんですよね。
記憶の隅っこの方に残っている光景は、泣きじゃくって暴れながら登園拒否をする僕を、無理やり送迎バスに乗せ、複雑な笑顔を浮かべながら「がんばれ」と声をかけて送り出してくれた母の顔です。
幼少期に、そうした経験をしたからなのか、僕は他人との関わり方がわからないまま育ちました。
自分に関わって来る他人は全て、僕のことをいじめて来る(傷つけて来る)人なんじゃないだろうか?という疑いの目で観るようになっていたらしいんですよね。(自覚はなかったけれど)
そんな感じに、曲がったものの見方を採用してしまった僕は、小学校に進学してからも、いじめを受けました。
同級生から物を壊されたり、仲間はずれにされたり。
「一人ぼっち」という、辛い経験をしました。
中学校に行った際にも、いじめを受けました。心の底から「友だち」だと思える人なんて、いなかった気がする。
高校時代も、専門学校時代も、常に「対人関係」で悩みました。
友だちだと思えた人たちはいたけれど、なぜかいつも心の底では「疑い」を抱いたまま付き合っていたような気がします。
だから、最初は仲がよかった友人たちも、疎遠になったり、敵になったりしました。
さらに、社会人になってからも、対人関係の悩みは続きます。
趣味で始めた音楽活動では、仲間たちから村八分にされるようになり。
職場では、お局さんや上司からのいじめを受けて、最終的には「うつ症状」という診断書をもらうほどに心が病み、働けなくなってしまいました。
その頃僕には、生後半年の息子と、35年ローンで建てたばかりの家があったから、働けなくなっている場合なんかではなかったんですけどね。
でも、心が壊れたら、僕の身体は動かなくなりました。
職場に行こうとすると、足が震えて、立っていることすらままならないほど の状態だったんですよね。
そこで、会社員という働き方が自分にはあっていないことを認め、個人事業主として生きていくことを決めました。
とはいえ、自分のチカラで「稼ぐ」をしたことなんてなかったから、スキルも知識も経験も全くない状態から、ガムシャラにビジネスを学んで、なんとか「稼ぐチカラ」を身につけました。
その結果、今では、会社員の頃よりも稼げるようになったし、自由に自分らしく働けるようになりました。
ちなみに、僕が「自分のチカラ」で生きられるようになるために、独立後に選んだ職業は「カウンセラー」でした。
「選んだ」というか、正確には「辿り着いた」という表現の方が正しいのかもしれません。
僕はなるべくして、カウンセラーという職業についた気がしています。
人生の汚点や弱点を「武器」に生きていく。「できないこと起業」も悪くない
きっと僕が「カウンセラー」という職業で稼げるようになれたのは、前述したような「過去の辛い経験」があったからなんだと思います。
自分がたくさん傷ついた分、僕は人一倍、人に優しくできる自信があります。人の心の痛みや辛さが、深くわかるからです。
それに、過去の「痛み」から逃れたくて、心理学や自己啓発などの学びを自発的にたくさんやって来たことも、今の職業に繋がっています。
気がついたら人よりも「こころ」の分野に詳しくなっていたからです。
「弱点」だと思っていた人生の「汚点」は、職業にした途端に、僕の「強み」や「魅力」「長所」に変わりました。
僕にとって「対人関係」は「できないこと」だったのですが、その「できないこと」をあえて活かしたおかげで、僕は「稼ぐ」ができるようになっただけではなくて、他人や社会に貢献できる自分にまでなれたんですよね!
不思議ですよね〜。僕はこれを「できないこと起業」と呼んでいます。
「できない」って、実は見方を変えると、「武器」になるんですよね。
だから、振り返ってみると、僕が対人関係や「いじめ」に悩んで来た25年の黒歴史は全て、未来の自分からのギフトだったんじゃないかな?とすら思うんです。
大袈裟かな。でも、本当にそう思っています。
凹だと思っていたものが、凸に変わったような感覚。
あの頃の僕には申し訳ないけれど、今となっては「あの頃があってよかった」とすら思うんですよね。
僕は今「いじめ」を受けたおかげで、最高の人生を歩むことができています。
でも、もちろん最初からそう思えたわけじゃありません。
“ある人”との出会いが、僕の人生を変えてくれました。
人生を変えてくれた恩人との出会い
僕の人生の恩人は、愛する子どもたちです。
前述した通り、僕は28歳の頃に「うつ症状」になり、働くことができなくなって、人生のどん底に落ちました。
でも、生後半年の長男がいたので、「この子の未来のためにも、もう一度頑張ろう」と思えたんですよね。
我が子たちには、僕のところに生まれてきて良かったと思って欲しいし、幸せな人生を歩んでほしい。
だから、「あと少し頑張ろう」と思えたんですよね。
正直、人生で最も辛かったときには、終わらせてしまおうかと、考えたことすらあります。
でも、子どもたちの笑顔を見る度に、力が湧いてきて頑張れたんですよね。
そのおかげで、今は愛する家族に囲まれ、大切なお客様方と一緒に、穏やかで、心豊かな暮らしができるようになりました。
幼稚園の頃から「信頼できる人」がいない人生を歩んで来た僕にとって、今の現状は幸せすぎる生活です。信じられません。
子どもたちや妻のおかげで、人を愛することがわかって来たからか、今では、心の底からちゃんと「友人」や「親友」「仲間」と思える人たちもたくさんいます。
いや、、きっと、昔から僕の周りには「友人」も「仲間」もいたのだと思います。
でも、僕がそれを許さなかった。許すのが怖かったのだと思います。
このように「幼少期のトラウマ」は、人生を歪ませる存在です。
だけど、歪みがあったからこそ、未来が面白くなったことも、また事実なんです。
人生って、不思議で面白いものですよね。
今の僕にとって、いじめを受けてきた25年間の「辛い記憶」は全て、宝物だったと思えています。
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