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高校サッカーが教えてくれた

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高校サッカーを通して社会人として内省したり、スポーツビジネスやメディアとの関係を考えたり、かと思ったらただファンとしてアツくなったり
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すべてが今日につながっている

すべてが今日につながっている

サッカーW杯、日本は惜しくもベスト16で敗退。ベスト8への高い壁を越えるのはまた次回に持ち越された。
まだいろいろうまく言語化できない中だけど、本当に楽しかった。夢を見させてもらいました。ありがとう、ありがとう。。

今回のW杯にはわたしが兼ねてから応援している浅野拓磨選手がメンバー入りをした。

高校サッカー選手権 第90回大会、四日市中央工業高校の2年生ストライカーとして「ここぞ」というところ

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立派な芝生を一目見て応援したいと思ってしまった話

立派な芝生を一目見て応援したいと思ってしまった話

車の助手席に乗っていると偶然、青々と綺麗に生え揃った芝生が広がっているのを見た。その立派なグラウンド設備は大学や私立高校ではなく、市立「習志野高校」サッカー部のものだった。

千葉県の高校サッカーは長らく市立船橋高校・流通経済大柏高校の二強が続いていて、しかもこの二校とも全国トップレベルに強い。千葉県大会決勝は実質上の全国大会決勝なのではないか、と思うほど。

そんな千葉県の高校サッカーにも、近年

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自分ごととして取り組めるようになるマネジメント

自分ごととして取り組めるようになるマネジメント

わたしが所属する部署は、案件の担当を決める際に皆で話し合いながら決める。「この時期は誰の業務量が逼迫するから、これはわたしが持った方がいいですね〜」という具合だ。

今までは上長から「この案件はあなたにやってほしい」という依頼が降ってきて対応するのが普通だった。

まあ特にこの案件が持ちたい!という希望はないのだけれど。
とはいえ、皆で話し合って決めるスタイルに変わってから「自分が“やる”と言った

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ひどくダサくてカッコ悪い わたしの青春時代

ひどくダサくてカッコ悪い わたしの青春時代

何も頑張れない高校時代だった。
嫌なこと・面倒なことから逃げていたのは自分なのに、そんな自分にコンプレックスを抱いていた。

応援とはコンプレックスの裏返しでもあると聞いたことがある。
高校時代のわたしは同世代が活躍する高校サッカーを応援することで、欠けている部分をせめて補っていたところがあった。と思う。
なんともおこがましい話だけれど。

高校二年生のころ、地元・埼玉県の西武台高校にゾッコンだっ

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言われたとおりのこと だけでは

言われたとおりのこと だけでは

顔も見たことがないほどの経営陣が関わってくるプロジェクトの場合、ついトップダウンに身を任せてそのまま進めてしまう自分がいる。

すべて確認してもらって、彼らの思う通り・言う通りに進めていく方が効率的でスムーズだからだ。

最近、上長に『あまりにあれこれ確認して判断を仰いでいては、じゃあ我々の仕事ってなに?という話になる。上層部も判断できないと思うから、意見と理由をセットで持っていくといいのでは』

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誰にでもできることを、誰もできないところまでやる

誰にでもできることを、誰もできないところまでやる

社会人になって一年目のころ、痛いほど気づかされたことのひとつは「この世に‘自分でなければいけない仕事’なんてない」ということだ。

新卒のころはもうイケイケだから、少なからず「自分にしかできない仕事」がしたい、そんな人間になるのだと息巻いていた。

そんな輩は大切な基礎の基礎とも言える仕事を「誰にでもできる仕事」と抜かして疎かにしてしまう。
このまま社会人10年目、20年目と重ねてしまうと取り返し

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再現性はあるか

再現性はあるか

社会人になって4年目。ありがたいことに、たくさん仕事をもらって楽しくこなしている。幸いわたしはいくつかの案件を抱えて忙しく立ち回るほうが性に合っているようだ。

一方で次から次へと案件に追われていると、ひとつひとつに対して考え仮説を立て・深掘りして振り返る…ということが十分にできていないなと反省する。

高校サッカーを観ていると、チームの特色を活かしながら何人もの人が絡んで生まれるゴールに、素人な

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“美しく”勝つ

“美しく”勝つ

高校サッカーの試合を観ていると、上がってくるチームには各々のカラーを感じる。それをつくっているのは監督だろう。

お正月明けから高校サッカーの監督たちの本を読み漁った。

中でも印象的だったのは、元静岡学園監督の井田勝通さん。彼は著書で「美しく勝ちたい」と唱えている。

サッカーというスポーツをやっている以上、「勝つこと」は皆掲げる目標だ。これは大前提で、チームが「どうあるべき」でそれらを「どのよ

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「伝えること」と「理解させること」

「伝えること」と「理解させること」

わたしは学生時代、頭ごなしに強制されることが大嫌いだった。それには大概根拠がないからだ。

なぜスカートを短くしてはいけないのか、なぜ膝上10センチなのか?その規定サイズを守るのと超えてしまうのとで何が違うのか?

本気で疑問に思い考えていたわたしは面倒な高校生だった。
今思うと学生時代のルール自体に大きな意味はなく、「ルールを守る」ということが大事だったのだろう。

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先日、

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突出した武器を持っていればいい

突出した武器を持っていればいい

小学生のころ、通知表はぜんぶ「とてもよくできる」いわゆるオール5の評価をもらっていた。
中学生になって徐々に悪くなった。高校受験には通知表の総合得点がもろに響くため、足を引っ張っている苦手な教科を改善しようと努めた。

弱みを改善して何でもまんべんなくこなせる、五角形のチャートができるだけキレイな形を描く人間にならなければいけないと強く思っていたが、社会人になってみると意外とそうではなかった。

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「監督であり教育者」の愛情

「監督であり教育者」の愛情

わたしの今年の推し・履正社高校の小田村くんが発した言葉で印象的だったことがある。

「監督は自分の人間性を厳しく指導してくれた。恩返しがしたい」

この言葉を聞いて思わずウワッと目を伏せたい気持ちが湧いてきた。自分の「人間性」を厳しく指導されることはすごくキツイことではないか。

わたしは、そのようなことをされたら傷ついて立ち直れないんじゃないかと容易に想像がつく。
まだ若く取り返しがつくであろう

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選手の魅力を伝えるメディアの在り方

選手の魅力を伝えるメディアの在り方

第101回高校サッカー選手権、今大会の推しチームは大阪・履正社高校でした。
残念ながら3回戦でPK戦の末敗退してしまったけれど、とてもいいチームでした。もっともっと見たかった…

わたしが高校サッカー選手権で応援するチームは、前の年に活躍していたり印象に残った選手がいることがほとんど。

あれから一年後の選手権でどのように活躍してくれるか、期待と願いを込めて応援するのが毎年の楽しみだ。

しかし履

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王者としての振る舞い

王者としての振る舞い

今年も無事に第101回高校サッカー選手権が幕を開けた。
午前中で仕事を納め、今年も国立競技場で開会式・開幕戦を観ることができました。

昨年は、それまで三年間追っていた青森山田・松木玖生くんが三冠を成し遂げ幕を閉じ
28年間青森山田の指揮をとった黒田監督も来年度からJリーグ町田ゼルビアの監督に就任するため、実質今大会を指揮するのは後任の正木監督になるという。

大会としても100回という節目を終え

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わたしの推しはメディアに媚びない

わたしの推しはメディアに媚びない

かねてから応援している青森山田高校が決勝進出を決めた。今大会の注目、キャプテンの松木玖生選手。一昨年・昨年は決勝の場で涙を呑んだ、彼の優勝する姿を今年こそは見たくて追いかけている。

彼は一年生の頃から名門・青森山田で活躍してきた。高校生とは思えないメンタルやしっかりとした考え、言語化する力には脱帽する。

準決勝後のヒーローインタビューでは、6-0という大勝利後にも関わらず、優勝だけを見据え淡々

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