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もうすぐ命日だったりする。

思い出というものは美しいものだけではない。

それは、わたしの故人に対する想いとは別物で
大切な人だったとしても、だ。

身近な人であればあるほど思い出の数は多く、
思い出の数が多ければ多いほど、その思い出の種類も多様だ。


父が亡くなって20年以上経つ。
もう何回忌かもパッと答えられないほど昔になってしまった。
父が亡くなった年齢と、今のわたしの年齢は
1年前に追い越してしまって。
もちろん、わたしは追い越す気満々だったのだけれど。

父が亡くなってからもわたしや家族の人生は続いていて
思い出もたくさん増えて
わたしと父との思い出は、他の思い出に上書きされているかのように減ってしまったような気もする。
ふとした瞬間に思い出すこともあるけれど
それは全てではない。

悲観することもなくなった。
父と娘。
わたしは弟がいるので、ひとり娘になるのだが
娘に対して父というのは、家庭によりけりだと思うが、わが家の場合は結びつきが少ないように思う。
父は仕事人間であまり家にいなかったし
子供の頃の思い出は、母と過ごしているものが多い。

それでも思い出す父との思い出は楽しいものばかりではなくて、様々だ。
思い出は美化されるというけれど、美化されないものもある。



テニス部部長で、社会人になってからも趣味でずっとテニスをやっていた父に
ラケットを貸してもらい壁打ちを教えてもらった。
父のようにスパンスパン打てなくて悔しかったけど、寒い日に汗をかいて暖まった。
これは、うれしかったのでほわんとした思い出。

スイミングを習うのは嫌だけれど泳げるようになりたかったわたしを、ある夏、市民プールに毎週連れて行って教えてくれた。
市民プールまでのものすごい坂道を、一緒にヒーヒー言いながら自転車立ち漕ぎして、
プールでの練習が終わってからは、いつもわたしの好きな果汁100%のぶどうジュースを買ってくれた。
これは、楽しかったのでパアっとした思い出。

休日のクリスマスなのに仕事で、夕方に帰ってきた父は
母に頼まれていたクリスマスケーキを買ってくるのを忘れたらしく、母とケンカ。
ケンカのあと、自転車の後ろにわたしを乗せて
コンビニをはしごしてケーキを探しにいった。
まだケンカの怒りが残っているような、申し訳なく思っているような、なんとも言えない父の背中を
自転車の後ろから感じていた。
これは、なんだかセンチメンタルな感じで胸がきゅっとする思い出。

小さい頃は乗り物酔いしやすかったわたしを、旅行好きな両親は連れ回していたのだけれど。
わたしは車のにおいが苦手で、車に乗る時にはいつもりんごを持たされていて。
気持ち悪くなったらりんごのにおいを嗅いでね、って。
運転席の父はいつもちょっと大きめのサングラスをかけていて。
わたしはいつも、車乗るの嫌だなぁ。って思っていた。
これは、嫌だなと思っていたのでズンっとした思い出。




思い出なんてものは
思い出せる時に思い出すもので、
いま忘れていてもふとしたときに思い出すこともあるし
いま覚えていても数年後に忘れてしまったりもする。

そうやって思い出と付き合って
故人のことを想う。


子供の頃、父の顔にそっくりだったわたしは
いまは母によく似ていると言われる。
DNAというものは不思議だ。

お酒好きで、音楽好きなのは
どうやら父に似ているらしい。
自由人気質を持っていることも、もしかしたら父に似ているのかもしれない。
手先が器用なところは、少しだけ似たかもしれない。
機械が得意なところは、全く似ていない。

わたしの両親はどちらも、本好きの理系タイプで
わたしは本好きだけを継承した。


父の実家の関係でお墓の場所がとても不便なところにあり、毎年は行けていないのだけれど。
そろそろお墓参りに行かないとな。
近況報告しないと、きっとお父さん、知らないことばかりでしょ。
知ってるんかな。どこかで見てるんかな。
そういえばわたし、お父さんより歳上になったけど。知ってるんかなあ。


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