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こんな私を、人は薄情だと言うのだろうか。

私にしては珍しく夜の更新です。
かなり暗い家族関係の話が続きます。

その点、ご了承いただける方のみ
この先をお読みください。

生理による体調不良も相まってか
精神が地面を這っております……











いつからだろう。
私が父を「父」と思わなくなったのは。

昔は父のことが大好きだった。
本を読むことが好きで知識が豊富な父。

子供好き、世話好きで
小さい時からだっこしてもらったり
高い高いしてもらったり。

背が高くてすらっとしてて、
指が長くて綺麗で。
でも骨ばったあの手が好きだった。

あの手に引かれて
色んなところに連れてってもらった。

プラネタリウムや水族館、
USJや長野旅行にも。

運動会の時、仲良しな両親が自慢だった。
いつも2人はにこにこして一緒にいた。

いつからだっただろう。
両親の関係に亀裂が入ったのは。

確か私が高校に入ったくらい。
とはいえ、その頃の記憶は曖昧だけど。

そもそも、事の発端は
私が小学生の頃に
祖母(父方)と同居し始めたこと。

その頃は、幼心にただの引越しとしか
思っていなかったけど
当時、リーマンショックによる
リストラを受けた父が
働きながら私たちを養うのが難しくなり
仕方なく自分の母に
助けを求めたのだと後から知った。

母と祖母(姑)の仲はとにかく悪かった。
毎日のように祖母の悪口を聞かされた。

次第に母はヒステリックになり、
その怒りを私たち子供(私と妹)に
ぶつけるようになった。

祖母と同居し始めて、
元々片鱗を見せていた
母の潔癖症が更にひどくなった。

物の位置を少しでも動かせば怒られ、
外に出た服のままでは
椅子に座らせてもらえなかった。

マネキン人形のように操られ、
毎日服にコロコロをされる日々。
(動物の毛とか取るあのコロコロです)

自分の物すら勝手に触ることを許されず
母の手を介さないと使えない。

どんどん自由は制限されていった。
それでも子供とは不思議なもので、
その環境で一生懸命生きようとした。

とにかく、母に怒られない方法を探した。
物を少しずらしてしまったら
元通りに直せば怒られないことに気付いた。

(母の勘はかなり鋭く、というか
潔癖症がひどすぎたのか
直したと思っても気付かれることもあった)

そして、母の父に対する扱いが
どんどん酷くなっていった。

母が愚痴をこぼしていたのを整理すると
おそらく祖母(姑)から何をされても
うんともすんとも言わず放置し、
守ってくれない、何もしてくれない父に
ほとほと愛想が尽きたのだろう。

それでも、私たち子供にとっては父は父だった。
その時点では間違いなくまだ「父」だった。

しかし、そのうち父は車中泊するようになった。
夜、仕事が終わっても家に帰って来なかった。

そりゃそうだろう。家に帰ってきたら
母からの限りない悪口と罵倒が待っている。

家に帰りたくなくなる気持ちは嫌でも分かる。
だから私は、家の前の駐車場で
車中泊している父によく会いに行った。

車の中で漫画を読んだり、
一緒にテレビを見て過ごすこともあった。
父は相変わらず博識だった。

でも、ある日を境にーーーー
いや、境なんてなかったかもしれない。

徐々に、徐々に、家族は壊れて行った。
父がだんだん「父」じゃなくなっていった。












気持ちの赴くままに書いたら
ここでちょっと力尽きました。

ここから先も聞きたいという声があれば
また記事にしようと思います。

特にそのような声がなければ
お蔵入りにしようと思います。

突然の暗い話でごめんなさい。
お風呂に入りながら両親のことに
頭を悩ませているうちに
ふと昔のことを思い出しました。

それと同時にモヤモヤが抑えれず
noteに吐き出すことにしました。

おかげさまで少し気持ちが落ち着きました。

ここまで読んでくださった方がもしいるなら、
心から感謝を申し上げます。


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