イサカ

茨城県出身の21歳。 ムサビで映像を学んでいます。

イサカ

茨城県出身の21歳。 ムサビで映像を学んでいます。

最近の記事

受話機

卒業制作があまりにも煮詰まった。 彼女にとにかく何も考えず好きなことをやれと言われ、半ば無理やり山梨へ一人ドライブに行った。 ニコニコレンタカーでスズキの白いアルトを借りた。 何も考えず、日がな一日ただドライブをした。 今そこにいる自分と、今そこにいない自分が混ざった。 帰ってきた自分は、どこにいる自分なのだろうか。ドライブに行ってから2日経つが、いまだによくわからない。 帰ってきてからは何かをとにかく進めようとするのをやめている。本当は意識も向けたくない。だから本を読ん

    • なんちゃってロケハン

      今日はお盆なので実家に帰り、天気もいいので昼間から散歩をした。オーバーフェンスを見てから制作欲が旺盛で、ちょっとしたロケハン気分である。 ちょっと歩くと、道沿いの壁みたいに立ってる木に蜘蛛が巣を張っていた。 映画気分の俺は、試しにこの蜘蛛をどう撮るか考えてみようと思った。 しかし、どう考えても現実に見ている景色と映画のフィクショナルな画面が頭の中で結びつかなかった。急に自分のやってきたことが不安になって、過去の撮影で見た景色を振り返った。 そしてこの「結びつかなさ」って

      • だから煙草はイイんだよね

        • 煙草って要するに、自律神経潤滑剤なわけよね

          今はどちらかというと、テレビの方が必要な装置かもしれないね

          今はどちらかというと、テレビの方が必要な装置かもしれないね

          YouTubeは深める思考の装置。 対してテレビは、広げる思考の装置。

          YouTubeは深める思考の装置。 対してテレビは、広げる思考の装置。

          誰かのスペルマを心待ちにするコミュニティ

          なんかの本で庵野秀明がエヴァをオナニーショウに喩えていた。 自分のオナニーをショーとして見せて、みんながそれを見て喜び、スペルマが飛んでくるのを待っている。それがエヴァだと。 オーガズムに達しそうになってもうみんな「はやく顔にかけてくれ!」ってなった時に突然スペルマじゃなくて冷水をぶっかけて「現実をみろ!」と怒鳴る。 観客は唖然。 これを知った時はやべえやつだなと思った。しかし今は本当に素晴らしい人格者だと感じる。 いま、ストーリーが大事なんて言葉をよく聞く。人がスト

          誰かのスペルマを心待ちにするコミュニティ

          コミュ力は川に行けば上がる

          コミュニケーション能力がないということが最近わかってきた。 自分にコミュ力がないということではなく、コミュ力という能力そのものが存在しないということ。 コミュニケーションは、知覚、感覚、感情の伝達。 「知覚、感覚、感情」なしにコミュニケーションはうまれない。 また、それを伝達する目的がなければコミュニケーションは始まらない。 例えば、沈黙が耐えられないときにするコミュニケーションがうまくいかないのは、伝えるべき知覚、感覚、感情を持っていないのに、伝達だけはしたいという

          コミュ力は川に行けば上がる

          安全地帯、新橋

          昔は川だったかも。 ほぼ全てのものを分かった気になってしまう。 自己中心的な考え方になっていく街。 心地よい。

          安全地帯、新橋

          歴史と私

          生きた魚を釣って食べたくなって、旅行に行った 自分はもっと広く色んなものでできているぽい 複雑にできている フォトバイ染谷夏海

          歴史と私

          結局オンラインサロンには関わらない

          恥ずかしいが、自分の結論はおそらくこんな感じだと思う。 あんだけ大見得切っといて、とても恥ずかしい。つらい。 やっぱり何かから逃げていた。就活とか自分たちより大きいものとか、そういうものを見なくて済むから、自分たちだけでやっていけるって信じたかったんだろうなと思う。 そんなことに人を巻き込んで、とても自分勝手だったと反省している。巻き込むなら最後までやるべきである。 そこでマネジメントができる人間がいればそれでも続いて、いいチームになった可能性は十分ある。そうはならなか

          結局オンラインサロンには関わらない

          ドキュメンタリーは言葉を解体する

          「戦ふ兵隊」というドキュメンタリー映画を見た。写真はこれを撮ったカメラマン三木茂氏。 ドキュメンタリーが今の人の興味をそそらないのは、みんなドキュメンタリーが「客観的な事実の追求」だと思っているからだと思う。 見ても絵は楽しくないし、音も楽しくないし、情報を得るだけじゃないか、と。 実際そういうドキュメンタリーが多いんだろう。でも今日初めてドキュメンタリーの「超主観的な美の追求」を見たら面白くてたまらなかった。 ドキュメンタリーは情報量<描写量なのかもしれない。 「

          ドキュメンタリーは言葉を解体する

          PS5って、、、

          ps5が出るらしいですね、 バイオハザードとか、なんか日本を舞台にしたやつとか、スパイダーマンとか ものすごいカッコよくてリアル。スパイダーマンとかpvめちゃくちゃかっこいい。 でも俺が天邪鬼なのか、頼まれてもないのに水を指すような、反対のことも考えてしまう。 これは極端な考えだけど、「毎日仕事で忙しい中流階級の君たちは楽しいことも行ける場所もそんなにないだろうから、これで遊んでてね」とでもいうような虚しさがこみ上げてきてしまうのが、やっぱりどこか悲しい。 もちろん作

          PS5って、、、

          消費し続ける人たち

          テラスハウスの出演者が自殺した事件で気になるのは、それを見たSNSやネットの反応。 人の死を自分が暴れる理由として消費するような姿勢は、彼女をエンタメとして消費していた製作陣と何も変わらないんじゃないか? 彼女自身に問題はなかったのか、テレビ側にも事情があったのではないかといった複雑な事実を根気よく見なければ絶対にまた同じことが起きる。 黒人警官の事件もそうだが、ある出来事を自分の主張の為に消費する人がすごく多い。 なんかそういうのって、最近のエンタメ作品にすごくよく

          消費し続ける人たち

          〜bump of chickenについて〜 ‪ドラムは仲良く楽しげなのにギターは明るい音と寂しい音が同時になっていて、楽器の質感がアナログを感じさせるのにたまに遠くからシンセの未来的な音が聞こえる このコントラストがBUMPの色なのか、、?

          〜bump of chickenについて〜 ‪ドラムは仲良く楽しげなのにギターは明るい音と寂しい音が同時になっていて、楽器の質感がアナログを感じさせるのにたまに遠くからシンセの未来的な音が聞こえる このコントラストがBUMPの色なのか、、?

          まだやれることがある

          昨日まで順調だった脚本にかげりが出てきた。 恐らく、いろんな作品と自分とを比較してしまっている。 ポジションの参考に見たケンローチや、ソフィアコッポラ、それに、無意識下で過去の自分の失敗や勘違いを気にしているのだと思う。 そういうものを一旦無視しよう。 そうしてもう一度自分のイメージに立ち返った時、自分の好きなものへの信頼が揺らぎ始めているのを感じる。 そして、イメージする体力にも限界が来た。 そんな時に自分の好きを下支えしてくれるのはイマジネーションではなくロジッ

          まだやれることがある