見出し画像

【ショートショート】深淵の光

 生きるだとか死ぬだとか、そんなことはどうでもいい。俺たちに必要なのは、快楽だけだ。

 二人で抱き合っていると、世界が急速に閉じていく。地球の表面がくるりと裏返り、俺たちは球体の中に閉じ込められて、外界のあらゆるものから遮断される。
 二人だけの閉ざされた世界には終わりがないかのように、それでいて、いつか来る終わりのときを恐れるかのように、俺たちは果てしなく体を重ねた。
「ねぇ、そのまま力入れてみて」と、俺の下で彼女が言った。
 荒んだ息遣い。甘やかな誘いというよりは、むしろ懇願するような切実な響きだった。
 俺の手は、彼女の白く細い首筋を愛撫していた。
 今夜は終わりが見えない。体中に倦怠感が広がっているのに芯は脈打ったままで、まだ何かが足りないのだ。
 少しもためらわなかったのは、ベッドサイドの間接照明に照らされた彼女の裸体が、神々しいほど美しかったからだ。
 体を繋げたまま、両手で彼女の首を押さえた。きつく目を閉じた顔に苦悶の色が滲む。彼女はもっと先を求めている。俺には分かる。俺にしか分からない。
 首を圧迫する力を体の動きにシンクロさせるように強めていくと、彼女が俺の手首を引きつけるように掴んだ。離さないで、もっと……という、俺にしか聞こえない声が唇の隙間から漏れ出る。聞き取った瞬間、全身の血流が一気に速くなった。
 もはや制御不能となった俺は、ひたすら快感に身を開け放した。
 果てが、見えかけている。
 両手に渾身の力を込めると、彼女の体が大きくのけぞり、痙攣した。
 そのとき、生きてきて味わったことのない衝撃が体を貫き、俺はエクスタシーの深淵を見た。

 すっかり落ち着いた彼女を抱いて、どれくらい時間が過ぎただろう。カーテンの向こうではやがて朝が来て、また夜が更け、それを繰り返しているようだった。
 俺の体温で彼女の体を包んでいると、逆にひんやりとした肌が俺の体を侵食していった。
 そうして何度目かの朝、部屋中に、まばゆい銀色の光の粒が溢れた。

 生きるだとか死ぬだとか、そんなことはどうでもいい。俺に必要なのは、快楽だけだ。そしてそれは、彼女と二人でなければ手に入らない。
 俺も、すぐ彼女に追いつくだろう。
 もうすぐだ。俺たち二人だけの世界が完成する。そこに永遠の深淵がある。完璧に閉ざされたその場所で、俺たちはいつまでもエクスタシーに溺れよう。
 もう、すぐだ……。

〈完〉

この記事が参加している募集

私の作品紹介

眠れない夜に

作品を気に入って下さったかたは、よろしければサポートをお願いします。創作の励みになります。