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やさしいスピリチャル (序)

(このnoteでは完全に私的な見解が多く含まれますので、もしご指摘やアドバイス等あれば真摯に受け止めさせていただきたいので教えていただけると幸いです。)


読んで下さっているあなたは
「スピリチャル」
と聞いて何を想像しますか。
ざっくりというと
目に視えない世界の事です。

「スピリチャル」の語源は

英語の「spirit」
(肉体・物質に対して人間の霊的な)心
(人体と離れた)霊魂,幽霊,亡霊
(神の)霊,神霊,神,聖霊
(天使・悪魔などの)超自然的存在

更にその語源はラテン語の「spiritus」
(息、呼吸、魂、勇気、活気)

になります。


「スピリチャル」と聞くと、
日本においては蔑ろにされているどころか、
笑い話にすらされてしまっているかも知れません。

しかし、詳しい話はここでは割愛致しますが
時の権力者や支配者層と呼ばれる方々は太古からこれらの力を利用しています。
そして日本においては、秘密仏教と呼ばれる密教、そして呪術や陰陽師とも親密に結びついてくると私は考えていますが、その話もここでは割愛します。

それらの話や小難しい話は、これからも私のnoteでは一切お話しする事は無いですし、
私の理解し得る範疇では無い事をご了承下さい。


あくまでお伝えしたいのは

「やさしいスピリチャル」

です。


ここで認識して頂きたかったのは
古くから大切にされ、間違いなく存在し、力を持っている
そしてそれが宇宙や世界の仕組みとも繋がっている

という事です。


このnoteではそんなスピリチャルについて、
極力難しい解釈や言葉では無く、感覚と言葉を使って説明しうる範囲でアウトプットしたいという意図を持って書いております。



わたしと霊性

平凡社 著・服部みれいさん



長くなりましたがここから本題になります。

私は幼い頃から「目に見えない物」が視えたり感じたり、友人に教えられて自分が共感覚という事を知ったり、書けば膨大な量になってしまう様な、いわゆるスピリチャルの領域に触れる事の多い人生を送ってきました。 

私は特別な人間だと主張したい訳ではなく
人間それぞれにある「普通」がそうだったという事を理解していただきたいのです。
そしてその日常を過ごしてきたからこそ、
伝えたい言葉や残せるnoteがあると思い、ここに書き残しております。


こんなことを言うと「病気」「精神疾患」「統合失調症」と笑われてしまうかもしれません。
又、世間的には「オカルト」「胡散臭い」
という価値観で捉えられてしまうかもしれません。

私も実際、
「現実はそんなキレイごとではない」
「オカルトだ」「異端だ」「病気だ」と詰られる事も少なくありません。

しかし私達の身近な所にもスピリチャル的概念は存在していて、
「意識」「直感」「第六感」「運」「運命」 「感情」「魂」「気持ち」「宿命」「愛」
などもその一種だと考えていますし、
占いなどはストレートでいい例です。

目に視えない、触れられない物はほとんど精神世界との関連性があると思っても良いかと思います。
それどころか、あくまで“私は”ですが起きる事柄全て、精神世界を通じて生きていると思います。
(カガク的に〜)みたいな話は置いておきます。

又、神社に参る事や死者を弔う慣習なども実際は
「目に視えない」世界や力と関連しているのでスピリチャルではないでしょうか。

更にこの辺りも話すと長くなってしまいますが、
「信じるか信じないかはあなた次第です。」
と言う有名な言葉があります。
極論がまさにそれで、
信じるも信じないも全て“あなた”次第であって
良くするも悪くするも“あなた”次第で
更に言えば
スピリチャルな力があると思えばあるし、ないと思えばないのです。

さて、その「スピリチャル」
とは一体なんなのでしょう。


先に私の考える結論からお伝えすると



です。
拍子抜けした方はすみません。
説明させていただきます。

イコールで表すのは難しいですし、「スピリチャル」の範囲は広いですし、一言にすると少し質素かもしれませんが、
世界は愛で出来ているのです。
目には視えませんが、人間は愛から生まれ、愛に育てられ、愛を覚え、育み、振り撒き、与えられ
愛がカタチになり、再び人間を生み出すのです。
キレイ事ではなく、「ありがとう」の一言ですら愛なのです。


愛は人間にとってとても大切で
植物でいうならば太陽であり水であり土であると考えます。
そして私は愛についてこう定義します。


「愛は生みの親であり、同時に全てである。」


「愛」は無償です。
逆にいくら払っても買う事ができないのです。

人間が心から欲しているのもまた「愛」で、「愛」の為に強く、やさしくなれます。
又、逆も然りで「愛」の為に強欲になったり、争ったりもします。

「愛」は全ての源なのです。

感じてみてほしいのです。
全ては愛に繋がっていることを。
愛は他人にだけ向けるものではありません。
自分にも、他人にも、動物にも、自然にも、物にも、機械にも、世界に対しても向ける事が出来ます。
それが「愛」で我々の産まれた所以でもあります。


一括りに「スピリチャル」と言っても、範囲が広い上、色々な用語や、仕組み、考え方の違い、規則や法則、歴史的背景、文献など様々なものや事柄があります。
これは私の一意見として捉えていただけたらと思います。
私が身をもって体験し、感じ、人の話を聞いたり読んだり見識を深めた上でこの結論に至ったのです。


眼に視えない世界の出来事が中心であるスピリチャルにおいて、言葉や概念などで
説明出来る事には限りがあります。
そして力を用いたり、利用したいのなら話は別ですが、そんなものを知らずとも精神世界との繋がりは既に私達1人1人に存在するのです。

そもそもが感覚的で視えない物なので「名称」や「法則」や「概念」に囚われてしまうより、
自分自身の身体や脳で感じられる嬉しいや気持ち良い、心地が良いに従うのが1番だと私は思うのです。

つまり、


社会や概念などといったフィルターを一切通さず
自分の「核」が1番満たされ、納得し、自己肯定をする事のできる選択を選択し続ける事。

また
自分以外の人や物に対しても同じく、
フィルターを通さずに、愛を表現したり与えたり、幸せにできる選択を選択し続ける事。



そしてこれがいわゆる
「直感」
だと思っています。

そしてこれらには

・フィルターを通さない事
・自分の核と自分の思考や意識が近づく事
・思考や意識に基づいた意志を導き出せる事
・こうして選んだ選択を選択し続ける事

が必要になります。
実はこれがとても難しい作業で、
これらをうまく引き出す事で、精神世界との繋がりを感じる事が出来るのでは無いでしょうか。

これこそが、「スピリチャル」と呼ばれるものの基本であり、人間としての土台になると私は考えているのです。

②につづく。

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