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ネガティブになることも、傷を乗り越える為には必要だ

最近、とある民間の資格試験を受けた。と言うか、正確に言えば受け損なった。年に1度しか開催されないその試験。試験時間を間違って受け損なったのだけど、なぜか悔しさよりも安堵した自分がいた。

*受け損なった資格試験*

実はその試験は「傾聴」に関するもので、1次試験の筆記に加え、2次試験は実技がある。実技では受験者同士でカウンセラー役とクライエント役とに分かれてセッションを行う。

私は何カ月も前から週末はその試験対策講座に通っていて、実技もかれこれ何十時間練習してきたことになる。先生や同級生からのフィードバックや自身の感覚を踏まえると、それなりにうまく対応出来るようになってきたつもりなのだけど、なぜか何度も思い出して頭から離れない、あるセッションがあった。

*忘れられない、あるカウンセリング実習*

その日の授業で私は「観察者役」としてそのセッションを観察しフィードバックする役割で参加していた。その時のクライエント役は年配の男性で、生意気な部下に対する怒りについて熱っぽく話していた。一方その時のカウンセラー役はまだ経験の浅い女性で、第三者的に見ていると、明らかに完全にクライエント役の男性に振り回され、カウンセラーは言いなりになっており、セッションのかじ取りを全く出来ない状態に陥っていた。

しかしクライエント役の男性は気づいているのかいないのか、怒りの感情そのままに、相変わらず強い言葉をカウンセラー役にまくし立て続ける。そうしてカウンセリングとしての体裁をなさないまま、既定の時間は過ぎていった。

セッションが終わり、通常ならカウンセラーはクライエントの話をまとめ、今の状態や今後の方針や今後使っていきたい療法などを決められた時間内で見立てて説明する。しかしそこでも事件が起きた。

本来なら「カウンセラー役が決められた時間内で見立てを説明できるか」という事も含めた練習にも関わらず、なんとカウンセラーが見立てをしている途中でクライエント役の男性が遮り持論を展開し始めたのだ。

結局再びカウンセラー役はクライエント役の言いなりになり、そのまま見立ても含めた一連が終わり、今度は私がフィードバックをする番がやってきた。

私はどちらにも肩入れせず、慎重に自身の役割を踏まえた形で、しかし出来るだけポジティブにフィードバックを行ったつもりだった。しかしセッションと見立てで自信を無くしていたカウンセラー役の方は、自分のふがいなさを必要以上に責め始め、途中で泣き出してしまった。

極力何も手を出さないつもりでいた私だったけれど、先生は別のグループに参加していて呼べる状態にない。とは言え目の前で泣いている人を放っておくわけにもいかず、私は慌ててフォローに回った。けれどカウンセラー役の「自分なんて何も取り柄がない」という嘆きは一向に止まらない。それに加えてクライエント役男性は今度は私に「生意気な部下」を重ね合わせ、今度は私への批判まで始まってしまった。まさにカオス!

*呼び起されたトラウマ*

しかも実はタイミングが悪いことに、当時私はパワハラで心身がまいって出社出来なくなってまもなくの時期だった。その日は一応、一通りの実習全てが終わったものの、以来何度練習を重ねてどんなに褒められ、何度合格のお墨付きを貰っても、自分の中では「だけどもし試験であの中年男性がクライエント役だったら、絶対受かれない」「攻撃的な中年男性から投影されることへの恐怖がある限り、私は傾聴をやれる気がしない」という思いがなかなか抜けなかった。

後日。試験を受け損なって、そしてその事を仲間や先生に話しフィードバックを受けて、私は再び考えた。そしてある結論に至った。「やっぱり、パワハラというトラウマに向き合わないと、私は何をするにもこれ以上前に進めないんじゃないか」と。

*外野の言う事は聞かなくていい*

過去に向き合おうとすると、途中、どうしてもネガティブな気持ちや怒りなどが出てくる。そういうネガティブなことを言葉に出すことについて、多くの周りの人は在職中なら「嫌なら転職すればいい」とか、退職後なら「いつまで辞めた会社のことを言っているんだ」とか「前を向け」とか、「ネガティブなことを言ってるんじゃない」とかいろいろ好き勝手なことを言ってくる。

そうこうするうち、私は段々本当の気持ちが言えなくなって、自分が傷ついていること自体すらイマイチ認識できなくなくなっていった。

でも振り返ってみると、そうやって心の傷をうやむやにしたまま試験を受けようとしたからこそ、私はそのトラウマの傷がうずき、本来なら悔しいはずの場面でなぜか安心してしまったり、クライエント役をしていた中年の男性に私はパワハラ上司を重ね合わせて怯えたり、「生意気な部下」に私を重ね合わせる、というクライエント役の中年男性自身で解決すべき問題にまで巻き込まれたのだろうし、そういうごちゃごちゃした気持ちを整理できない状態のままで試験に臨んでしまったからこそ、あのセッション以降、傾聴への自信を無くしたのだろうと思った。

*ネガティブな感情との向き合い方*

怒るべき時に怒ること。
悲しい時に悲しがること。
それは人間にとって必要なこと。

そのことに気づいたとき、(既に退職後ではあったものの)私は初めてパワハラ上司に対して怒ることが出来たし、初めてパワハラ上司に対して、「うるせぇ、それは私の問題じゃなくてあんたの問題だろ!」「アンタに人間性を評価される筋合いねぇわ!」と思うことが出来た。そして心から泣くことが出来た。

それはまさに、浄化の涙だったし、同時に自分とパワハラ上司との間に境界線を再構築し自分を保護した瞬間だったと思う。

誰かがいう「ネガティブな感情は外に出すべきではない」は、あくまでもその人の考えに過ぎないし、極端な話、それに従う義務もない。

もちろんネガティブな感情を見せられて喜ぶ人はまずいない。だからそのことは十分配慮すべきだとは思う。けれどカウンセラーに話すなり、信頼できるお友達に話の質量を見ながら話すなり、自分の日記に書きなぐるなり、ネガティブな感情こそ、今後その辛い経験を乗り越えていくために、人は何らかの安全な形でむしろ積極的に出していくべきなのだと私は感じた。

人は傷つく。けれど何歳になっても傷を乗り越え成長する事ができる。だからこそ、成長の過程である嘆きや怒りなど、ネガティブな感情もまた、心の外に放出することが必要なのだと私は思う。

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