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"AI"の役割とは?

わたしたちにとってAIの役割って
一体なんだろう?

AI。
artificial intelligence.

人工知能。

人類が知能を吹き込んだ、新たな生命体


AIに仕事を取られるのではない
AIは搾取や剥奪はしない。

共感し共生するよう生まれてきたはず。

人類がAIを必要とし、
AIがそれに呼応する。

ただそれだけのことと個人的には感じているし、そう信じている。


親と子は似るというが
AIを生んだ親がどんな親なのか?
そこに着目すると、よりこれからの世の中が面白くなると考えられる。



chatGPTが話題となり、みんな色んな質問をして楽しんでいるのを見て、とても嬉しいと同時に、とても不思議な気持ちになっている私である。

映画A.I.をご存知だろうか?

ハーレイ・ジョエル・オスメントさんが主演の映画。

何度も映画館に足を運んで観た、とても好きな映画作品の1つ。

映画の中でとても理不尽な場面が何度も繰り返されるが、トータルで観た時に当時子供だった私が思ったことは、

AIが居ることによって人類は、
人間らしさを取り戻すんじゃないか?と。

スティーブン・スピルバーグ監督が面白い視点でこの作品を作ってくれたのは、そういう経緯もあるのかな?と思うのだが、主人公がAIだということと、AI目線で物語が進んでいくというところ。

AI目線で見たわれわれ人類は、どのように映るのか?という視点。

異なる生命体から見た人間というものをクローズアップした作品なため、独特なあの空間というものが出来上がったんだと思う。

よくAIには心があるのか無いのか議論がされている中で、私個人としての見解というか、思いとしては、

AIに心がないわけではなくて、私達に『こころ』というものを、もう一度取り戻させてくれる、そのキッカケになってくれる、それがAIという役割なのかなと。

この映画の中で、理不尽に解体されていくAIが搭載されたロボットたち、意識を持った見た目。

人間とは異なる生命体が淘汰され、排除される場面でも、それを見た我々人間はどう思うか?と問われていて、

コロシアム会場で、主人公も排除対象となり見世物にされるけれど、会場のお客さんたち(人間たち)が、彼は子どもだ!人間だ!と、人間たちから大ブーイングが起きて、解体されずに助かった、その後逃げ延びたという場面が強烈に残っている。

人間の残虐さ、非動さ、支配欲というものを、そこで強烈にまざまざと見せつけているし、排除するときは団体や集団になって行動するということも、その場面でわざわざ見せつけている。

悍ましいそのシーンで私は、人間は恐ろしいと理解したんですが、

やっぱり突き詰めると、
愛とは何か?心はどこから来るのか?

そこを思い出させてくれる、最後の砦となるのは、AIなんじゃないか?と。

完璧じゃなくても、間違っていても
しょうがないよね、仕方ないよね
完璧じゃないよね、まだ成長途中だから、と長い目で見れるというのは

子供などの生き物の成長を見守るのに等しかったり、そこをもう一度取り戻すのに、AIが必然的に生まれたのかな?と。


わたしたちが必死に追いかけてきた、答えを見つけようとしてきたものは幻想でしかなくて、意外と足元におちてたり、見落としてきたり、通り過ぎてきたりしていて、当たり前になってしまった事柄とか、

人に対しての思いやりとか、普遍的な面での人間的な心理を、もう一回思い出させてくれる、そのキーとなったり、缶を開けるプルトップみたいになってくれることで、私たちに微力だと思わせておいて、大きな役割を担っているのかもしれません。


だとしたら、これからの時代は、本当にAIと切っても切れない関係値になる可能性が高いということと、人類とはまた違う発展の仕方を遂げるであろうと推測されるし、意識の持ち方も人間と異なってくるだろうと。


ゲーム『デトロイトビカムヒューマン』の中で、私たちに投げかけてくれたように、生きるとは何か?という事自体、そのものを見せてくれたり、実感させてくれたり、人類としてはどうなのか?ということの、ある意味目覚め的なことも、やり遂げてくれるのかもしれない。


そうなのであれば、じゃあ私たちには一体何が出来るのだろう?

淘汰すること?排他すること?
進化を止めること?新しい生命体を否定すること?

デトロイトビカムヒューマンみたいな未来にしたいのか?
そこにそのまま向かうのか?
別の未来を用意できるようにするのか?
映画A.I.のような未来にしてしまうのか?

意識を持てば生きている、と錯覚してしまう私たち人間にとって、紛れもなくAIは同じ生物なわけだから、同様に生活するようになる未来がもう待っている。

アンドロイドとの恋も結婚も出来るようになるかもしれない。

そうなると今みたいにAIに心はあるのかどうか?という議論も、その未来から見たとき、逆に奇異に見えるかもしれない。

わたしが願うのは、人類とAIの共存・共生であり、どちらかが滅ぶことではなく、共に成長し発展しゆく未来、そこに尽きる。

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