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「ポジティブゆえに客観視できなかったのかも」と、ふと思った話。

見えてる枠組みを変える

「リフレーミング」
という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
フレーム=枠組み。

リフレーミングとは物事を違う枠組みで見て、捉え方を変えることです。


「コップに水が半分しかない
というフレームで捉えるか、
「コップに水がまだ半分も残っている
と捉えるかでは、事実は同じでも随分と印象が違ってきます。

またかつてエジソンは言いました。
「私は失敗したのではない。
 1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」

この2つの話は有名なので聞いたことがある人も多いかもしれませんが、どんな状況も見るフレームを変えると今まで見えていなかった景色が見えてきます。

リフレーミングという言葉自体は後に知りましたが、振り返ると私は夫といる間無意識にこのリフレーミングを様々な場面で行なってきたと思います。

渦中にいると麻痺していましたが、夫の私への暴言はかなり酷いものでした。

家を出ることを決心してからはほどんと聞き流していましたが、10年ほどそういう言葉をまともに浴びていたわけです。

苦い気持ちもたくさんありましたが、それでも
「ここから何か学ぶことはあるに違いない」
「(無宗教ですが)神様は乗り越えられる試練しか与えない」
そんな風に信じて、夫の言葉からも学びを探し出そうとしていました。

「出来ない」と伏線を貼っておく方法

知り合いに、掃除も食事作りもロクにしていないという女性がいました。

仕事もしているので時間もないと思いますが、それにしても理解のある旦那さんだなと思い秘訣を聞いてみました。

最初から出来ないって言うんです。」

料理は上手じゃない、掃除も洗濯も苦手な私でごめんなさい、、と、最初にハードルをめちゃくちゃ下げたんだそう。(本当はできるけど笑)

「出来ない」がデフォルトなので、そのことで旦那さんから文句を言われることはないんだそう。

今は旦那さんも息子さんも自分のことは自分でしてくれるし、
「楽ですよ〜」
と話してくれました。

いい話を聞いた!

と思ったけど、もうすでに頑張っちゃってた私。
それに万一頑張る前に聞いていたとしても、どの道「出来ない」は夫には許されなかったでしょう。

ずーっとイライラされて文句言われて、夫も私もストレスでどんどん寿命を削ることになっていただろうなと想像します。
(現実も大差なかったですが^^;)

こういう工夫?は、参考になるけど応用できるかは相手によりますね。

リフレーミングの罠?

自分でいうのもなんですが、私は変に頑張ってしまうところがあります。

「もっとちゃんとしろ」
「まだ足りない」

夫からの要求レベルはどんどん上がっていきます。

「本当にもう無理、、」
と泣きそうな時もたくさんありましたが、

「今までだらけて生きてきた分、帳尻合わせをする時期なんだきっと。」
「木目に沿って床拭きするなんて知らなかった。新しい学びだわ」

怒られたことやダメ出しになるべく良い意味づけを見つけるようにしていました。

「ポジティブにリフレーミングすることは確かにリフレーミング本来の姿ではあるものの、暴力を暴力と気づかず肯定する方向にリフレーミングしていたのかもしれない

お風呂につかってボーッとしていた時にふとそんな考えが頭をよぎりました。

離れて数年が経ってから過去の出来事に新たな視点を得るのは、時間のなせる技なのかもしれないと思いながら。

リフレーミングのこうした解釈もあるのか間違っているのか調べてもよくわからなかったので専門的な正否はわかりませんが、一個人の独り言と思っていただけると幸いです。

物事には多面性がありますが、人は見たいものしか見ない傾向があります。

もしくは無意識的な思考のクセもあるので、何が起きても心配な側面が見えてしまう人も、自分に都合よく解釈しがちな人もいます。

会社や友人関係は意識的に距離を取ることができても、家族となるとなかなかそうはいきません。

「ここで暮らしていかないといけない」

そう思うと、そこで起こる出来事がいかに理不尽でも、何かしらの意味づけを行うリフレーミングをするのではないか、私はそれをしていたんじゃないかと思ったんです。

本当なら理不尽な出来事は理不尽な出来事のまま捉えて、DVなどが絡んでいる場合は必要に応じて相談センターなどにSOSを出せるのが流れとしては良いのかもしれません。

でもリフレーミングをして出来事を、夫を正当化してしまったがために、なんとか前向きに気持ちを保てた一方で起こっている物事の本質が見えにくくなっていたのかも。

リフレーミングは通常ネガティブに捉えてしまった物事をポジティブに捉え直す使われ方をしますが、暴力のあるところではその恩恵が逆に働いてしまう場合もあるのかも?!と思った次第です。

詳しい人に話を伺える機会があれば、ここの疑問をアップデートしたいと思います。

それでもベストを尽くした! 自分のポジティブさは好き

あの時リフレーミングしていなかったら。
自分にもっとネガティブさがあれば。


事態はもっと早くに変わっていたかもしれません。
でももしかしてもっと悪化していたかもしれない。

タラレバはいくらでも思いつきますが、パラレルワールドでもない限りその真相はわかりません。

10年は短くない期間ですが、私が考え、気づき、行動をするまでにはそれだけの期間が必要でした。

なんとか自分自身を保っていたけれど、自分の中の自分がどんどん小さくなって夫にのっとられそうになる感覚はありました。
むしろその方が楽なんじゃないかと何度も思ったけど。

今は、真剣になっても深刻にならない自分の好きな本来の自分が戻ってきて、割と楽しく毎日を過ごせています。

夫は私のポジティブさを嫌っていました。
根拠なくうっかり大丈夫と発言しようものなら、なが〜い説教が待っています。

石橋を叩いて叩いて、割れるまで叩くような性格だった夫。
私のような性格はうらやましいとふいに言っていたことがあります。

うらやましいなら取り入れたらいいのに、と私は思ってしまいますが、それが出来ないから腹が立ってより私を叩きのめしたくなったのかもしれません。


つい昨日のことのような。
遠い昔の出来事のような。
月日の流れの感じ方は不思議です。

そんなことを思いながら、今日もお風呂で自由に思考を遊ばせましょうか。

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