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心の底から伝えたいメッセージには、知識も情報も、承認欲求も、羞恥心も、善悪もいらない

許しなき者達が、世の中から愛と優しさ、思いやりを消し去り、全てを腐敗させる。

なぜこんな世の中にした、なぜ愛と優しさを失う、なぜ誰かを敵視する、偏見を持つ、自分の思想主義の世界に引きずり込もうとするのか。

自分は予防接種も、ワクチンも子供の頃から一度も受けた事などない。それは自分独自の判断だった、本能的と言うか、そんなもの必要性すら感じていなかった、そんな無意味なものなど体に入れたくはなかった。だからこの体の中には余計なものなど一切入ってなどいない、生まれたままの自然なる身体。


しかし自分は反ワクチン陰謀論など語らない、そんな中には属さないし、接種者を憎んでもいないし遠ざけてもいない。抱きしめるなら何の躊躇もなく抱きしめる、必要ならずっと側にいる。誰も嫌わない遠ざけない。


TwitterXの中はもう、まるでコミンテルンやカルト宗教心酔者、偏った思想主義を掲げる者達の巣窟。そこは許しなき者の言葉で溢れていて、見るもの見るもの心を締め付ける。苦しくなる、悲しくなる、言われている側も、言っている側の人達も、みんながかわいそうだ。

こんな世の中だと、本当に辛い気持ちで生きている人達が孤立し悲しみ続ける。こんなの良いわけがない、間違ってる、世界中の人々の意識は間違った方向へ誘導されている。


高齢者を老害と言い蔑む、優しい言葉ひとつかけようともしない、迷惑行為だの、異常者だの、そんな酷いことを言い続ける。

誰も見向きもしない、1人孤独に生きている高齢者もいる、変わり行く世の中についていけない高齢者もいる。何も解らず、ワクチンを受けさせられ、反ワクチンの人達に蔑まされ、体を蝕み死ぬと言われる。テレビしか見ない高齢者は、それを信じて生きてきた。時代劇を見て、夜はお酒を飲み、バラエティー番組を見て笑って、弱った足腰で散歩に出かけ、買い物に出かけ、薬をたくさん飲んで、生きている、今も生きている。


もうやめてくれ、どうしてこんなに、高齢者を憎む。誰もが年を取る、それでも今を生きている。お金なんか関係ない、そんなものどうだっていい、俺はそんなものいらない、この世界にたくさん必要なのは愛と優しさ、思いやりと許し。

何かと戦っているつもりの反ワクチン陰謀論者達、彼らは何と戦っているのか。誰を守ろうとしてる、自分の思想主義を守るために、何と戦っている。


最初からだった、反ワクチン、それにセットでくっついてくる偏った思考主義の陰謀論が不快だった。それは陰謀論でも何でもない、それはたんなる主義だった。世界統一カルトの思想主義そのものだった。

許しなき者達は今もコミンテルンの巣窟と化したTwitterX上で、多くの人々の意識を偏った思想主義に引き込み続けている。

そこに中国共産党やロシアの工作員が多く潜んでいる。何も解らない人達が、それに賛同し意識を引き込まれる。買った数字なのか何なのかは解らないが、多くのフォロワーを持つ反ワクチン界のインフルエンサーらしきアカウントが多く見せられる、まるでサブリミナル、そんなものを何度も見せられたら、本当に洗脳され引き込まれる人々が増える。


ワクチン接種者は敵ではない、テレビを見て情報を得ている人達は敵ではない、自分の思想主義と相反する考え方を持つ人達は敵ではない。自分は全ての人々の味方、自分に敵は1人もいないが、自分を気に入らない者は敵視する、ブロック排除、自分の言葉を見えなくする。


しかし自分は、反ワクチンを主張する人達を攻撃する人達にも指摘する。一方に偏ってなどいない、マスクをしようが、しなかろうが人の自由。どっちに付くとかじゃない、偏った無重力のシーソーゲームになど参加していないだけ。


そんなに思想主義が大切か、なぜそんなものを守ろうとする、人を憎しみ対立し敵対させるそんな主義主張など捨ててしまえ。

自分を支配する何者かの洗脳など受けるな。拝金主義の支配下に屈するな。自由を求めるならその不自由なる原因となる思想主義を全て無くしてしまえ。0となれ、無となれ、そして左翼、右翼、両翼で空を羽ばたき、極限なる自由なる全てとしてあれ。


0となれ、全てを脱ぎ捨てろ、投げ捨てろ、何者にも支配されるな、愛を信じろ、神が全ての生命、人々に分け隔てなく与えてくれた、その心の中に宿るアガペー、神の心となる光、愛を守れ、愛に生きろ、愛に戦え、情熱的な激愛のために魂を燃やせ、愛を全てとしろ、愛を信じろ、神を信じろ。


心には常に愛と優しさを、許しと思いやりを、偽物の愛に惑わされず、本物だけを見極めて今を生きろ。

愛を生きろ、それが神の道。


知識など、情報などいらない、魂からの言葉を使えばいい。何者にも従わず、支配されず、物欲色欲金銭欲になど惑わされず、先に見える光だけを追い求める。

後ろなど振り返らず、ただひたすら光へ向かう。腕を失い、足を失い、這いつくばっても先の光を見つめ続ける。その体が朽ちても、魂はたどり着けるように、愛を目指せ。

羞恥心など捨て、善悪などに惑わされず、自分を信じ、愛を、神を信じて闇の向こうへ手を伸ばせ。魂に覆い被さる大きな影を払いのけて、光の元へ。


光を見つめて、神の道をただ進むだけ、それだけでいい。












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