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村上春樹『螢・納屋を焼く・その他の短編』 感想とギャツビー、バナナフィッシュなど 【読書感想文】

   夕方になっても水道の水が生ぬるく、しばらく流していても生ぬるいままです。水道管の水がこんなに温まっているなんて。外で働いている方々のことを思うと、心が痛みます。特にいつも荷物を届けていただいている宅急便の方々。職場付近は狭い道が多いので、自転車付きリヤカーで回っておられるのです。東京在住・在勤でない方はご存知ないかもしれませんが、二十三区内には救急車も入れない狭い道がまだ結構あるのです…。



 先日、『螢・納屋を焼く・その他の短編』収録の「螢」の感想を書いたので、今回はそれ以外の短編の感想と、作品にインスピレーションを与えたかもしれない海外文学について書きたいと思います。

「納屋を焼く」

 映画を観る時には「あれは、何のメタファーなの?」などと考えるのが好きですが、小説は、シンプルにストーリーやキャラクター造形を楽しみたい方です。でも、「納屋を焼く」は、読み終えた後で、どういう意味なんだろう? と気になりました。この短編には、納屋を焼くのが趣味の青年とパントマイムが得意な女の子が登場するのですが、納屋を焼くという行為にも、パントマイムにも、何か意味がありそうですよね。
 考えてもわからなかったので、ネットでいくつか読んでみましたが…読んでも全くわからないままでした。
 とりあえず、意味を求めずに物語をそのまま受けとめることにします(村上さんの小説を読み進めるうちに、また何か見えてくるかもしれません)。
 意味は掴めなかったけど、小説の中のカップルのように、現実感のないことをしながらふわふわと生きている人って、結構いるのではないでしょうか。
 若い頃は色んなことに縛られていたので、この作品に登場するカップルのように楽しげに漂いながら生きている人達を羨ましく思っていたのですが、彼らにも別の顔があったのかもしれません。納屋を焼いたり、突然消えてしまったり…。
 村上さんの小説を読んでいると、現実の世界でよく知っている筈の人達の別の顔が見えてくることがあります。私にとって、それが村上作品の大きな魅力です。

 村上作品のもう一つの魅力は、海外小説の新たな読み方を教えてくれることです。夏目漱石や森鷗外の作品の源流に江戸時代の文学があるように、村上さんの小説の源の一つが、海外文学なんだろうなと感じます。

 例えば、「納屋を焼く」の場合、納屋を焼く青年が殺人鬼で、女の子を殺して納屋と一緒に焼いたという説をネットで読みましたが、そう読み解くならば(私自身の読み方ではありませんが)、作品内にも登場する『グレート・ギャツビー』へのオマージュ(パロディ?)と考えてもよさそうです。この作品の語り手=ギャツビーの語り手・ニック、納屋を焼く青年=ギャツビー、パントマイムの娘=デイジーというように、登場人物も当てはまりますし。
 ディカプリオが主演した《華麗なるギャツビー》以来、ヒロインのデイジー=キャリー・マリガンのイメージがついて離れないのですが、彼女の顔を思い浮かべながら「納屋を焼く」を再読してみようかな。

「踊る小人」

 読み終えた後でも、作品世界のイメージが頭から離れなくなる短編でした。ダークファンタジーというのか…こういうタイプの作品は、土着/民俗学的な雰囲気になりそうなのに、そうならないのが村上さんらしいですね。
 主人公はディストピアな世界でまったりと生きていたのですが、綺麗な女の子と出会ったのがきっかけで、日常からはみ出していく。これは、ジョージ・オーウェルの『1984年』等ディストピア物によくあるパターン。でも、この小説では、ディストピアはあくまでも背景に過ぎません。無機的な世界観と主人公が抱く暗く激しい情熱がどこかでつながるのか…。この先の物語を読んでみたくなる作品でした。
 
 ところで、「納屋を焼く」が『グレート・ギャツビー』へのオマージュというのは、そう読めなくもないという程度ですが、「踊る小人」は多分、ファウスト伝説のパロディだと思います。悪魔と取引して、美しい娘を我が物にするファウストと主人公が重なるので。
 ファウストの物語は、オイディプス王の物語などと並んで、あらゆる物語の源流の一つといってもいいほどなので、様々な作品に影響を与えています。
 私が好きな芸術家でも、マーラーが交響曲八番にゲーテの戯曲『ファウスト』の一部を使っていますし、森鷗外もその戯曲を訳しているので、偉大な芸術家にインスピレーションを与える素晴らしい作品なんでしょうね。私自身は、数ページで挫折してしまったのですが。

「めくらやなぎと眠る女」

 この短編集に収録されたものと後の短編集『レキシントンの幽霊』に収録されたもの、二つのヴァージョンを読みました。
 この短編集で読んだ時には、「サリンジャーっぽい話だな」と感じましたが、後のヴァージョンでは特に感じなかったので、サリンジャー的なものが削ぎ落とされたのかもしれません。

 心の奥に傷を負った大人(大人になり切れていない若者)と、少し風変わりな、年齢よりも大人びたこどもの交流を描く。ーーサリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』に収録された作品を軽くまとめると、こんな感じになります。
 「めくらやなぎと眠る女」の主人公の青年といとこの少年も、お互いの抱える周囲への違和感(ぎこちなさ)が響き合い、どこかで交わって、一瞬の安らぎを得たように感じました。

 また、『ナイン・ストーリーズ』には、作品の中に、登場人物が語る別の物語を含むものがいくつかあります。この短編で、「めくらやなぎと眠る女」の話が登場人物によって語られるように。例えば、最も有名な「バナナフィッシュにうってつけの日」では、主人公が幼い女の子にバナナフィッシュの話を語って聞かせます。
 まだ読んでいないのですが、村上さんの短編にはバナナフィッシュとの関連をダイレクトに感じさせる「カンガルー日和」という作品もあるようですね(サリンジャーの短編のタイトルは柴田元幸さんの訳では「バナナフィッシュ日和」となっています)。

 
 『ファウスト』は海外文学最難関書の一つだと思いますが、『グレート・ギャツビー』と『ナイン・ストーリーズ』は、気楽に読める作品なので、村上さんの短編を深読みするためにも、一度読まれてみてはいかがでしょうか。「バナナフィッシュにうってつけの日」の方は、本屋で立ち読みできる長さです。


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