短編小説:角煮の美味しい居酒屋にて
真日には、あーちゃん、マキというふたりの親友がいた。あーちゃんは大学の後輩。マキは保育園から大学までずっと一緒の幼なじみ。
ふたりとも、それぞれ素敵な相手と結婚した。
とっても喜ばしい、それだけのこと。真日も嬉しかった。なのに、周囲の人は真日のことを「取り残されている」と表現した。
「きっと真日ちゃんにも良い人がいるって」
「真日ちゃんは美人さんだから、大丈夫!」
余計なお世話だ。
結婚したいと思っているわけでもないのに。ここで「興味がないので」と言ってしまうと角がたつから、曖昧に笑って流すようにしている。ただ、真日の笑顔は何か含んでいるように見えるらしく、「トラウマでもあるの?」と訊かれたり、わけアリなのではないかと勝手に疑われてしまうことが面倒くさい。
三十路を過ぎたあたりからなおさら、そういうことは増えてきた。職場の若い男の子が「あの美人な先輩、フリーらしいですね」「だけどやめとけ、どっかの偉い人と不倫してゴタゴタしてるらしいぞ」と噂しているのを聞いたときは、不快を通り越して笑えてきた。また、同僚が「あいつ、美人だからどうにでもなるって勘違いしてるのよ。今は綺麗でも、いつかオバサンになるんだし」と陰口を叩いているのを聞いたときは、なるほど、そう見られているのか、と驚いた。今は綺麗、と言われたのは素直に嬉しかった。
人からあれこれ言われるのは、今に始まったことではない。大学時代も多かった。
気が合うからあーちゃんと一緒にいたのに、「引き立て役にしてるだけだよね」とか、マキは幼なじみなのに、「真日って槇尾くんのこと『親友』とか言いつつ、絶対狙ってるよね」「マキ、って呼んで、特別親しいアピールしてるし」とか。
そんなわけない、ふたりとも、真日にとっては大切な友だちなのだ。
そして、ふたりも真日のことをちゃんと親友だと思ってくれていたのだ。
一時期、あーちゃんとマキが付き合っていたことがある。まったく寂しくなかったといえば嘘になるけれど、その時期だって、ふたりとも真日と変わらず仲良くしてくれた。いつだって三人セットだった。
「あれだけアピールしてたのに、冴えない後輩に取られてるじゃん」
と悪口を言う人もいたけれど。それは間違い。
真日とあーちゃんとマキは、ずっと仲良しだった。
でも、あーちゃんとマキが別れてしまってからは、三人でいることはなくなってしまった。
真日とあーちゃん、真日とマキは、今でもそれぞれ連絡を取っているのだが、あーちゃんとマキはすっかり疎遠になっているらしい。
数年前、マキの結婚式にあーちゃんがいなかったので電話してみたところ、あーちゃんは呼ばれてもいなければマキが結婚したことも知らなかった。
「別に、どうでも良いっすよ」
とあーちゃんは言っていたけれど、そんなの寂しいに決まってる。
マキだって、少し前にあーちゃんに子どもが産まれたことを真日が伝えるまで知らなかった。マキは「ふうん」としか言わなかったが、絶対に知りたかったはずだ。
あんなに一緒にいたのに、どんどん離れていく。親友がだんだん他人になっていく。
「真日ちゃんは偉いね」
とある休日、真日は古民家の縁側にいた。広い縁側に、二人用の木製のテーブル。背もたれのある、ゆったりと大きい椅子。正面に座るのは、麦野さんという職場の先輩だった。
「偉い?私がですか?」
「うん。とっても」
この古民家は、今は空き家だが昔麦野さんの祖父母が住んでいたという。古いが、庭も室内も綺麗に整えられている。
真日は麦野さんが好きだ。真日の結婚や恋愛についてあれこれ言わないし、詮索もしてこない。音楽とか、ご飯とか、楽しい話だけができる数少ない相手だ。休日もショッピングやランチなど、一緒に過ごすことが多かった。
麦野さんとは、あーちゃんやマキみたいな親友になれそうな気がする。
「さ、召し上がれ」
テーブルの上には、麦野さんお手製の昼ごはん。雑穀米、豆腐のお味噌汁、メインは豚肉とキャベツの炒め物、かぼちゃと人参と油揚げの煮物に、トマトときゅうりとチーズのサラダ、それから麦野さんが漬けた、きゅうりとナスのぬか漬け。
「すごい!美味しそうです!」
麦野さんは料理が得意だと言っていた。食べてみたい、と言うと、すぐに日にちを決めて実行してくれたのが嬉しい。
「野菜はそこの畑で採れたものと、いただきものを使ってるの」
最初にいただいたサラダは、オリーブオイルと塩だけのシンプルな味付け。真日は胡麻ドレッシングばかり使っているから、新鮮だった。煮物や炒め物にも箸をのばす。
「美味しいです」
正直、ちょっと薄いな、と思いながら真日は言った。麦野さんが嬉しそうな顔をしたので、真日は自分の発言に間違いがなかったと安心する。
「やっぱり、真日ちゃんは偉いね」
世間話をしながら食べていると、再び麦野さんが言った。
「なんでですか?」
「だって…、みんなにいろいろ言われても、怒らないでしょう。結婚とか、恋愛とか」
「…ああ」
独身の麦野さんも、言われたことがあるのだろうか。
「私だったら、ほっといて!って怒鳴っちゃうかも」
「そうなんですか?」
「だってみんなには関係ないでしょう、人の事情なんて」
「本当に、そうです」
麦野さんが同じ感覚なので、真日は嬉しくなった。
「今どき、結婚とか恋愛とか、自由になってる時代なのにね。まだあーだこーだ言うなんて、ほんとにみんな時代遅れよ」
「私も思います。そっとしといて欲しいのに…」
やっぱり、麦野さんとは本音で向き合えそうだ。
ちょっと味の薄い昼食を終え、麦野さんが淹れたコーヒーを飲む。味は、まあ普通。
「私ね、いつか、ここでカフェをしたいの。古民家カフェを」
穏やかに微笑みながら、麦野さんが言った。
「素敵ですね」
だったらなおさら、味はもう少し濃い方が良いんじゃないですか、と思うけれど、それは言わない。
「もう少しお金を貯めたら始めたくて」
「その時は私、食べに来ますよ」
そう言うと、麦野さんは優しい目を真日に向けた。
「その時は…、真日ちゃんも、一緒にやらない?」
「私も?」
「ええ、真日ちゃんとはとっても気が合うもの」
「本当ですか?嬉しいです」
「もちろん。だって真日ちゃんは…、こっち側でしょ?」
「え?」
「真日ちゃんも、マイノリティでしょ?」
まだ夜というには少し早いが、真日は小さな居酒屋のカウンター席にいた。数年前は飲めなかった日本酒も、すでに二合目だ。
あの後のことは、あまりよく覚えていない。
とにかく、ああ、麦野さんとは仲良くなれないんだ、と思った。
麦野さんは自分と同じだと思った。
同じ、というのは、「私のことなんて放っておいて」と他人に思っている点で同じ、ということだ。
しかし、麦野さんはそうではなかったらしい。
真日は「恋愛」も「結婚」もよくわからない。
でも、ただそれだけなのだ。そういう人間、というだけなのだ。
だから、そんな自分をカタカナやアルファベットで決めつけて欲しくなかった。どこかのコミュニティに押し込んで欲しくなかった。
何かに属したい人は、自由にすれば良い。主張したければ主張すれば良い。
でも、私のことはそっとしておいて。
放っておいて。
望んでいるのはそれだけなのに。
なんでこんなに上手くいかないんだろう。
塩が効いた枝豆と、てらてら光る味が濃い魚の煮付け。お酒が進む。今日は酔って良いことにしよう。
あーちゃんとマキに会いたい。
大学時代みたいに、三人で飲んで、はしゃぎたい。自分を「真日」という人間、それだけで見てくれるふたりと話したい。
真日は酔った勢いということにして、ふたりに『久しぶりに集まろう!』と連絡しようとスマホを取り出した。
メッセージアプリを開き、三人のグループを開く。
そこに、ふたりはいなかった。
あーちゃんもマキもとっくに退出して、真日ただひとりのトークルームになっていた。
ああ。
寂しいな。
「大将、角煮ください」
「はいよ。魚の煮付けも食べてるのに、大丈夫?」
「濃い味の気分なの。とびっきり濃いやつ、よろしく」
居酒屋おすすめの角煮を頼んで、真日はよく冷えた日本酒をぐいっとあおった。
大学時代、真日は日本酒が飲めなかった。
でも、あーちゃんとマキは日本酒が大好きだった。あの頃、今みたいに飲めたらよかったのに。
今はもう飲めるよ、って、一緒に乾杯したかったのに。
周囲の人は、真日を「取り残されている」と表現した。
もしかしたら、あながち間違ってはいないのかもしれない。
真日はずっと、三人の綺麗な思い出に取り残されている。
※フィクションです。
久々にトークルーム開いたら自分しか残ってなかった、という現象に名前はあるんでしょうか。
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