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超短編小説:夏のただいま

 朝から蝉がやかましく鳴いている。網戸から風は入ってくるけれど、生ぬるい。夏の朝だ。
「おはよう」
 台所にいるおばあちゃんに声をかけると、おばあちゃんは一瞬止まって、
「ああ、おはよう」
 と言った。
 さてはおばあちゃん、僕が泊まりに来ていることを忘れていたな。もう、忘れっぽいんだから。
「あんた、早いねぇ」
「そう?」
 そんなに早起きじゃないんだけどなぁ。
「朝ごはん食べるかえ?」
「食べる食べる」
 久しぶりのおばあちゃんの朝ごはん。おばあちゃんは手際よく準備をする。
 赤味噌の麩が入ったお味噌汁、焼き鮭に夏野菜のお漬物、ほかほかの白ごはん。薄く切った生のオクラとしらすを生卵に混ぜてごはんにかけると、特製卵かけごはんになる。僕はこれが大好きだ。

「おじいちゃんは、まだなん?」
 朝ごはんを頬張る僕に、おばあちゃんは尋ねた。どうだろう。まだ寝てるのかな。僕と同じ部屋じゃなかったけど。
「わかんない。見てこようか?」
「いや、すぐに来るやろうけん、いいわ」
 ゆっくりお食べ、とおばあちゃんは言うと、花柄のコップに麦茶を入れてくれた。

 ざあざあとおばあちゃんが食器を洗う音がする。僕は、和室で寝っ転がって甲子園を見ていた。どちらも知らない学校だから、ユニフォームがかっこいい方を応援することにする。
 ああ、夏休みだなぁ。
 皿洗いを終えたおばあちゃんがお盆にジュースと木のお皿をのせてやって来た。
「はい、おやつ」
 お皿には、アーモンドとチーズがのった小さい煎餅や、立方体のゼリーなどがたくさん入っている。懐かしいな。
「そういえば、おじいちゃんはまだ?」
「あん人はゆっくりやけんね。まだやろう」
「そっか」
 まだ寝てるんだ。ゆっくりすぎない?

 おやつを食べ終えると、なんだか退屈になってきた。甲子園はまだ試合の途中だけど立ち上がる。久しぶりのおばあちゃんの家だし、探検でもしよう。
 ギシギシいう階段をのぼったり、ベランダに出てみたり、押し入れを覗いたり。どの場所もすごく懐かしいんだ。
 ひととおり部屋を見てしまって、庭にも行こうかな、と考えたところであれ?と思った。そういえば、おじいちゃんはどこで寝ているんだろう?
 きょろきょろしていると、ふと仏壇が目に入った。
 そこに飾ってある写真。
 おじいちゃんの写真だ。それから。

 あ、そっか。
 そうだった。
 忘れっぽいのは、僕の方じゃないか。

「お昼ごはん食べる?」
 台所から、おばあちゃんの声がした。まあいっか。もらっとこ。
「食べる!」
 返事をして、そちらに行く。
 お昼ごはんは、そうめんだ。平たいお皿にのせたそうめんの上に、細く切ったキュウリやハム、薄焼き卵、そしておばあちゃんお手製のゴーヤの佃煮が並んでいる。
 特製、冷やし中華風そうめん。

「あんた、お父さんとお母さんには会ったん?自分の家には帰ってないんかい?」
 そうめんを食べながら、おばあちゃんが訊いてきた。
「まだ。直接ここに来たの」
「そうかえ」
「だってお父さんもお母さんもこっちに来るでしょ?」
「今日の夕方に車で来るっち言よったわ。でも台風が来よんけんなぁ」
「そっか。無事に来られるといいけど」
「来れんときは、あんたが会い行っちゃげよ」
「そうする」

 お昼過ぎ。クーラーの効いた部屋で、そうめんをすする。
 そのうち、お父さんとお母さんがやって来る。おじいちゃんも帰ってくる。それから、他のご先祖様も。
 僕はいちばんのりで、おばあちゃんの言うとおり早かったみたいだ。
 まあいいや、ゆっくり待っとこう。






※フィクションです。
 こんな風に、ふらっと帰ってきてくれないかな。





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