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読書感想 『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』  「これほどの環境の悪さ」

 何しろ、タイトルがストレートで、しかも、知りたいことでもあった。

 自分自身は、日本の会社員でいた時期が3年ほどしかないので、本当の意味ではそれほど分かっていないとは思うのだけど、それでも、縮小していくような、ひたすら心身を縮こませていくような30年だった、という実感は共有できると思っていた。

 だけど、どこかで「やる気」のようなものは個人の問題が大きかったし、働き始めた頃、少しだけ上の先輩に、いかに有給を取るか。という話しかしなかった人もいたし、その時代には、仕事とプライベートは分けて趣味を楽しむ、といった目標を掲げるような人たちも少なくなかったので、そのことと「やる気」のなさに関しては、どこか結びつけてしまっていたと思う。

 だけど、経済ジャーナリストとして、この約40年も見続けてきた著者の視点では、会社員の環境は、想像以上に苛烈だったことを、改めて知った。


『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』  渋谷和宏 

 日本の会社員の「やる気」のなさという表現は、ここ何年かでよく聞くようになった。

 それは、バブル期までは常識のようになっていた「会社への忠誠心の高さ」から考えたら、かなりの変化だと思うけれど、そうした現状が明らかになったのは、もちろん、自国だけの視点では分かりにくく、国際的な調査によってだった。

日本企業で「熱意あふれる社員」はたった6%

ギャラップ社の調査だけではありません。他の企業による同種の調査でも、日本の会社員のやる気の無さは世界で突出しています。

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

 こうした調査そのものに関しても、ネガティブな結果が出た時ほど、反論も出やすい傾向があるのだけど、それほど情報に強くないので、かなり表面的な印象にすぎないが、この「日本の会社員のやる気のなさ」に関しては、それほどの反論が出ていないような気がする。

 もしくは、この「やる気のなさ」を他人事として捉え、だからこそ、頑張れば成果が出やすくなっている、と説くような、いわゆる自己啓発系のビジネス言語も聞いたことがあるから、どちらにしても、「日本の会社員のやる気のなさ」に関しては、当事者である日本の会社員も、ほとんど否定していない印象がある。

 そうした事実をただ飲み込み肯定するだけになってしまったら、真面目な人ほど、自分を責めたり、無理な努力をする可能性もある、というような、勝手に心配のような気持ちにもなるのだけど、この著者は、この書籍の冒頭付近で断言している。

 大多数の日本の会社員同様、本来は使命感も熱意も持ち合わせているのに、あなたの会社の誤った経営、誤った社員への処遇によってやる気を奪われてしまっているだけなのです。
 あなたが悪いのではありません。あなたの会社の過去30年にわたる経営が間違っていたのです。 

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

 それが本当だと分かれば、一瞬、絶望的な気持ちになりながらも、それでも気持ちが少し楽になるのかもしれない。

この30年間の誤り

 そして、「この30年の誤り」について、この書籍全体で丁寧に証明しているようにも思えるのだが、まず現状の再確認から始まる。

 日本より賃金が低い国はポーランドやハンガリー、チリなど経済的に低迷している国が中心です。 

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

 そして、改めて約30年前から振り返る。

 日本の賃金はもともとここまで低かったわけではありませんでした。
 OECDの調査では、約30年前の1990年には、日本の平均賃金は3万6879ドルと、アメリカの4万6975ドルに比べれば見劣りするものの、イギリスやフランスよりも高い水準でした。  

 そこから、どうやって下がっていったのか。

 日本が「安い賃金」の国へと転落していくきっかけは、輸出産業の花形だった電機産業の凋落でした。1990年代半ばのことです。

 それは、他の分野にも広がっていく。

 執拗なコストダウンは1990年代後半以降、濃淡の差こそあれほかの産業にも広がっていったのです。
 そうさせたのはバブル崩壊が招いた1997年の金融危機でした。

 都市銀行や、証券会社の倒産など、あの頃の、空気の緊張感が一段上がった感じは覚えているが、コストダウンは、人件費にも向かっていった。

 当時の少なからぬ経営者たちは、社員や取引先を業績に貢献してくれる貴重な資産あるいは可能性ではなく、お金のかかるコストだと見なすようになったのです。
 結果論ですが、これは取り返しのつかない誤りでした。

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

「成果主義」というコストカット

 そういえば、たぶん2000年代に入ってからのことだが、私は仕事も辞めざるを得なくなり、介護に専念する生活に入っていて、会社という存在自体が、とても遠いままだったけれど、それでも「成果主義」という言葉は聞くようになっていた。

 それは、これまでの「年功序列」だけの人事査定よりは、もし、有効に作用すれば、公正なものになるかもしれず、それは、特に若くて有能なビジネスパーソンに対しては、それこそ「やる気」が出るシステムになる可能性があるのでは、と思っていた。

 だが、実際は、違っていたようだ。

当時、私は「成果主義賃金制度」を取り入れた大企業の人事部長数人に取材しました。何人かが「きれいごとを言っても目的は人件費の削減ですから」と明言していたのを今でもよく覚えています。

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

 つまり、「成果主義」であることは事実としても、その「成果」のハードルを高く設定し、実質的には、賃金をカットしてきた、ということのようだった。
 それは、想像に過ぎないけれど、最初から「人件費を削減する」と宣言されてからの賃金のカットよりも、気持ち的にはとても嫌な感じになり、より「やる気」が削がれるのではないだろうか。

 高い成果を上げた一部の社員にはそれなりに報いる「成果主義賃金制度」でした。それなりに報いることで「高い成果を上げれば会社は報いてくれるのだ」と社員に思わせ、やる気を維持しようと考えたのです。
 しかしこんな都合の良い二兎追いの思惑はもろくも外れました。

 その追えなかった方の「兎」は、賃金削減ではなく、「やる気」の面だった。

 全社員の7〜8割が減給となった企業も続出しました。 
「成果主義賃金制度」の人件費削減効果は経営者たちの予想を上回ったのです。
 しかしその分、社員のやる気はさらに失われてしまいました。

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

 時期によっては、そればかりではない選択肢もあったはずなのに、とにかくコスト削減だけに力を注入し続けてしまった。

バブル崩壊後の最悪期の何とか乗り切り、利益を出し始めてからも、危機対応の「縮み経営」を続けコストダウンに励みました。思い切った賃上げで社員に報い、新分野に積極的に打って出るチャンスは幾度かあったはずなのに、そのような企業は相対的に少数派でした。

 人に投資せずモノにも投資せず、それどころか人材を業績に貢献してくれる資産ではなくお金のかかるコストだと見なして目先の利益のために人件費を削減し続ける(中略)そんな危機対応の「縮み経営」は、1997年の金融危機からほぼ10年後に起きたアメリカ発のリーマンショックでいっそう強固になりました。 

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

 その結果、ただ身を削るような年月が過ぎて、それは「失われた30年」と言われるようになり、結果として、世界的にも低い賃金と、国際的には突出して低い「会社員のやる気」という現状になったようだ。

 この30年間、日本企業で働く社員の平均賃金はほとんど上がっていません。それどころか「賃金が上がらないのは会社に貢献できていないからだ」と言わんばかりの巧妙な人事考課と賃金制度によって、社員の賃金を減らしてきた企業も少なくありません。頑張っても報いてくれない会社に対して、モヤモヤした気持ちを抱いている社員は多数派だと言って良いでしょう。

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

 確かに、これらが事実であれば、「やる気」のなさは、個人の責任とは言えない。

脅しの経営

 その「やる気」を削ぐような環境は、賃金の削減だけでないことを、この著者は指摘しているが、こうしたことが本当であれば、会社はちょっとした地獄のようで、そして、そこに毎日のように通えるだけすごいのではないか。と会社には長くいられなかった人間は思う。

「失われた30年」を通して、少なからぬ日本企業の経営が「仕事やノルマを無理強い」し、できなければ減点する「脅しの経営」へと変質していったように私には見えてなりません。

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

 それは「不信の経営」であり、大げさに言えば背中に刃物を突きつけるような発想だと感じる。

 仕事でミスしたり成果を上げられなかったりした時の責任を、ほとんどすべて社員個人に負わせ、人事評価や給料に反映させる無責任なマネジメント(経営・管理)の実態です。

 これが、当たり前になってきているとしても、少し冷静に考えれば、これは「行き過ぎた自己責任論」とも言えるはずだ。

社員が仕事でミスしたり成果を上げられなかったりした場合には、社員の仕事の進め方を点検して改善点を見出すのと同時に、上司や経営者が本来の役割を果たしていたかどうかを検証し、至らなかった点を是正しなければなりません。
 それをしないで、社員個人を叱責したり評価や給料を下げたりするのは、責任転嫁にほかなりません。ミスは減らないし成果は上がらないでしょう。それどころか「脅しの経営」によって社員のやる気はいっそう失われ、その結果ミスが増え、成果がますます上がらなくなってしまいます。 

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

 それどころか、この本でも改めて名前を挙げられている、トヨタ完全子会社のダイハツ。日野自動車、三菱電機、東芝などの不正も、こうした「脅しの経営」によるものではないか、と分析されている。

「脅しの経営」に萎縮し「減点主義的な処遇」を恐れる社員たちの姿勢は時に不祥事を招き、企業の存続さえ危うくしかねません。

 そして、元々の「経営」≒「マネジメント」に関しても、実は欧米から見たら、誤解を元にした思想だとしたら、改善自体が不可能ではないか、という思いにさえなってくる。

 上司がすべきマネジメントとは、部下にゴールを示し、走ろうという気にさせることなのです。その意味でマネジメントは「誘導」という日本語に近いと言えるでしょう。
 一方で多くの日本企業ではマネジメントとは「管理」にほかなりません。「部下の業務をずっと監視し、細かく指示を出し、逐一報告させること」すなわちマイクロマネジメントこそ「マネジメント=管理」であると思い込んでいる経営陣も少なくありません。

 大企業を中心に、多くの日本企業ではこれが組織的に行われているので、社員は些末な仕事の予定調和的な実行を指図され、行動を監視され、上司への確認や報告に忙殺されているのです。  

(『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』より) 

おすすめしたい人

 私がおすすめするのは、もしかしたら失礼かもしれませんが、やはり、真面目に働いているのに、なんだかやる気が出ないともやもやしている会社員の方に読んでもらいたいと思いました。

 この書籍を読むと、この「30年」の救いようのなさに、ちょっと絶望的な思いにもなるのかもしれませんが、現実への解像度が少しでも上がり、それで自責の念のようなものが軽減されるかもしれません。

 そして、「失われた30年」の現実だけではなく、それを踏まえて、それぞれの人ができるかもしれない提案までされているので、200ページ足らずの新書ですが、その内容はかなり密度が高いと思います。

 できたら、少しでも興味を持ってもらえた人全員に、これからの未来のためにも、読んでもらえたら、と思っています。


(こちらは↓、電子書籍版です)。

 

(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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